二話「夢幻泡影」③
まさかの料理回
「むう……」
マニュアル片手に調理場に入る。
詩歌が所望したのはなんと。
「オムライス、か」
恥ずかしい話だが、料理は正直不得意だ。
両親と一緒に暮らしていた頃は母がよく作ってくれていたし、一人暮らしをはじめてからは、スーパーの惣菜などで簡単に済ましていた。
特に今まで必要に駆られなかったし、不自由したこともなかった。
ただ、これからはそうはいくまい。
「テフロンフライパンにバターを乗せて、溶かしている間にチキンライスを温めて……」
冷蔵庫の中からラップにくるまれたチキンライスを取り出し、レンジ加熱する。
すかさず卵を三個ボウルに割り入れ、菜箸で溶く。
「やっべ、もう溶けてきた!」
バターの焦げる香ばしい匂いが、キッチンに充満する。
俺は慌てて卵を流し込む。
ジュゥ、と固まり出す卵を、すかさずかき混ぜる。
「……しまった、溶きが甘かったか」
白身のダマが残ってしまっていた。
レンジの音が鳴った、電磁調理器の加熱を止め、チキンライスを取り出す。
「っ熱! 熱うううう!」
チキンライスはキンキンに温まっていた。こぼさないように事前加熱した皿に盛り付ける。
「このときに温度確認、整形を実施する……!」
卵が予熱でどんどん固まってゆく。
ああ、これじゃあ厚焼き玉子だ。
トロトロ感が微塵もない。
チキンライスに卵を滑らせ、上からデミグラスソース、生クリームをかけ、生パセリを添える。
ソースである程度は誤魔化したが、これは自分の分にしよう……。
嘆息して、俺は詩歌の賄いを作りはじめるのだった。
「……なんですかこれは」
平常運転だった。さっきの可愛い姿はどこへやら。
俺は二度目も懲りずに失敗したオムライスを詩歌に差し出す。
「ゴミでございますお嬢様」
「あなたはゴミを食べさせる気ですか、馬鹿ですか」
そうはいうものの、詩歌はスプーンでオムライスを口に運ぶ。
少しドキドキした。
「…………」
妙な間があった。
俺も少し冷めた自分の賄いに口をつける。
「……店長」
「はい」
敬語だった。
「オムライスのポイントを言ってみてください……」
「①卵のトロトロ感を大事にすべし! ②盛り付けは高く、丸く! ③品温は八十度以上であります!」
「全部できてません」
仰るとおりです。でも生まれて初めてオムライスをつくったんです。形になっただけでも評価してください。
「詩歌に任せとけばよかったです格好つけてすいません」
はあ、と詩歌が溜息。
「ま、まあ、味はそんなに悪くなかったですよ。ソースとクリームの量もマニュアルどうりですし……」
――あれ、詩歌さんフォローしてくれている?
「形と食感は最悪ですけど」
あまりフォローになっていないよ。詩歌さん。
◆
まあ、かなり今日はヘコんだ。マニュアルの知識では全く太刀打ちできなかった。
良いところを見せようと作った賄いですら、あのザマだ。
「はあ……」
知らず溜息が出た。全部食べてくれたのが救いか。
「ご馳走様でした」
数分前。
詩歌はそう告げると、は俺の分の食器も持ってて控室を出て行った。
どこへ行くのだろうか。
気にはなるが、今はやるべきことをやらねば。
「……オムライスはフライパンにバターを溶かして、合間に……」
マニュアルの復習だ。知識だけではどうにもならないが、やはり知っているといないとは違う。
昨日より精度をあげて、苦手分野を重点的に……
早く、詩歌の力になりたい。
静かな店内に響く軽やかな声。
子犬のような愛らしさ、それでいてさんざめく太陽のような凛々しさを併せ持つ少女が眼前に立っていた。
短めのフレアスカートから健康的な足が覗く。栗色の髪を靡かせ、朗々と。
「こんにちは店長! 昨日はおつかれさまでした!」
「誰だお前」
「昨日あったじゃないですかあああ! 早広ですよ! 早広叶!」
当然知っている。昨日ここで忘れられない事があった。
こいつは詩歌と俺との関係に気付いている。
「すまない奴隷一号」
「誰が奴隷ですかあああ!」
しかしこうやって、変わらず接してくれる早広がありがたかった。
「昨日はありがとう早広、今日も一緒に頑張ろう」
「うう、なんかストレートなのは恥ずかしいですよう」
喜怒哀楽の豊かな表情も素敵だ。
「……そういえば詩歌ちゃんは?」
「さっきまで一緒にいたんだけどな」
見てないですよう、とキョロキョロする早広。
時刻はオープン十五分前だった。
「とりあえず着替えてろ早広。オープンの仕方なんて全くわからん」
「自信持っていうことですかソレ……、わかりました、お任せしますね店長」
少し没頭しすぎたか。
頭をかく。昔から集中しすぎる悪い癖があった。
長所でもあると思うのだが、いかんせん時間を忘れるのは感覚が狂う。
SAへ続く扉を開ける。
さて、すぐに詩歌は見つかった。
薄暗い店内。闇に溶かしたかのような彼女の髪は、しかし同色ながらその艷やかさで圧倒的な存在感をはなっていた。
室内の闇と対極をなす、彼女の絹のような白い肌に俺は見とれていた。
いや、その全てに。
閉じた目蓋、長い睫毛。スラリと伸びた長い手足。少し肉づいた頬、全てが愛らしかった。
いったいいつまでそうしてただろうか。
時計を見る、あまり余裕はない。
「詩歌、時間だぞ」
天使の肩に触れる。吐息が妙に艶めかしかった。
照れを隠すように、わざと乱暴に揺する。
「……んぅ、きょうへいくん……」
目蓋を擦る詩歌。鳶色の双眸が薄く覗く。
「時間だ詩歌、もう早広も来たぞ、オープン十分前だ」
「……んゆ、っふええええええええ!?」
絶叫。
そして抗議の眼。
――なんでもっと早く起こしてくれないのか。
お前が可愛いのが悪い。
時間にしてゆうに五分。詩歌の寝顔を見つめていた。
そんなこと、恥ずかしくて言える訳なかった。
「とりあえず顔洗って来い。涎でブサイクだわ」
口をついたのはそんな言葉だった。
「~~~~~~~~!!!」
言葉にならない声を上げて、詩歌は走り去っていた。
やれやれ、オープン間に合うのかね?