五話「吟詠の夜に、詩歌ありて」②
「無理です駄目です反対です」
取り付く島もなかった。
詩歌は鬼の形相で、断固拒否の姿勢だった。
しかし詠も折れなかった。
「わたしのはれっきとした護衛ですよー、うふふ。これが不純とおっしゃるなら、ふたりの同棲もおかしいんじゃないですかー?」
「おかしくありませんし、そんなことあなたに言われる筋合いもありません」
火花がバチバチと散る様が見えるようだった。
ああ、すごく居心地悪い。
「だいたい――」
「はい!」
「恭平くんも恭平くんですよ。なんなんですかこの女は。早広さんを助けに行くって言っといてなんで女の子が増えてるんですか」
「いや、俺はこの子を助けに」
「はあ、もういいです。そういう人でしたね、昔から」
詩歌は嘆息しつつ何かを諦めたようだった。
何にせよ助かった。が、少し拍子抜けした。
もう少し反対されるかと思っていたからだ。
「折部さん」
「詠でいいよー」
「あなたは護衛が目的なんですね?」
「そうだよ、うふふ」
詠は詩歌の詰問をのらりくらりと躱すように。
詩歌は詠の言葉の真贋を問うように。
「私は恭平くんの身の回りのお世話をしています」
「そうみたいだねー」
「炊事、洗濯、夜のお世話は私の担当です」
夜のお世話は違うよおおお。
「わたしは護衛ってわけだねー」
「そういうことです。私と恭平くんのプライベートゾーンには立ち入らないでください」
プライベートゾーンてお前。
ここワンルームだぞ、と言おうとして。
彼女の真意を汲み取り、戦慄した。
「えええええええええええ」
「うるさいです、恭平くん」
「おかしいよお、ベッドはお前らがつかえよおお」
「この家の主にそんな窮屈な思いをさせるわけにはいききませんもん」
「ふええ」
救いを求めるように詠を見た。
相も変わらず状況を楽しむように笑っている彼女を見て。
俺は全てを諦めたのであった。
◆
シャワーは先に使わせてもらった。
こればっかりは譲れなかった。
次に誰が使うか、という議題に対し、詩歌と詠はお互いに譲らなかった。
「これはあれだね。ジャパニーズじゃんけんだね」
「異論はありませんとも。公平にいきましょう」
詩歌が崩れ落ちていた。
いいじゃんお前家に居たんだし。
「ははっ、相変わらずお前、じゃんけん弱いのな」
「……弱かったのは私じゃないですよう」
詩歌がぼそりと言ったのを俺は聞き逃さなかった。
は、と口を覆うようにする様は、しまったと口に出しているかのような態度だった。
「悪い。まだ記憶が断片的なんだ」
「戻ったんですかっ!?」
詩歌が身を乗り出す。
互いの距離が詰まった。
淡い香りが鼻孔をくすぐる。
詩歌は頓着した風もなく、俺に詰め寄る。
表情は真剣そのものだった。
「妹がいたんだな……」
その程度だった。
顔も、声も思い出せない。
あの日、あの場所で、何があったかも。
「嘘……、絶対に戻らないって、言ってたのに」
彼女の表情を見た。
しかしそれは。
安堵ではなく。
恐怖。
まるで俺の記憶が戻るのを、恐れているような。
「よ、よかったですね。きっとすぐに、思い出しますよ」
しかし表情はすぐにいつもの詩歌に戻った。
彼女がいつか俺に放った言葉を思い出す。
――貴方には正直、殺意すら覚えました。
詩歌。
お前は俺に何を隠している?
しかし今、問うことはできなかった。
答えなど期待できない。
やはり鍵は、詠だった。
「おまたせー」
呑気な声。
シャワールームから出てきた詠は、シャツ一枚の扇情的な姿で。
亜麻色の髪は火照った頬に張り付き、首元に拭き残した雫が滴る。
目を奪われた。
そんな俺を詩歌は目ざとく見つけ。
「本当変態ですね。次は私が浴びます。……覗いたら殺しますからね」
「覗かねえよおお」
詩歌はそう捨て台詞を吐き、俺から逃げるようにシャワールームに入る。
詠を見た。何があったのか察しているような笑みだった。
「うふふ」
「うるせえ。早く教えろよ、真相とやらを」
「気が早いよ。多分真実を知ったら、あなたはぜったいにわたしと組まないよ?」
「……どういうことだよ」
「おしえない。うふふ」
詠は俺を翻弄するように。
しかし俺に身を寄せる。
鼓動が早くなるのがわかった。
彼女はシャツ一枚なのだ。
どうも思わない男など、この世にはいまい。
「離れろよ鬱陶しい」
「思ってもないことを言うもんじゃないのー。知りたいよね、うふふ」
「どうせ教えないって言うんだろ」
「ヒントだけならあげるよー」
そう紡ぎ、俺を抱く。
唇が、耳に触れた。
彼女の熱が、柔らかさが、吐息が。
全てが俺を刺激した。
「な、何を」
しかし。
凍りついた。
彼女から放たれた一言は。
眠気と。火照った身体と。興奮を。
一瞬で冷ました。
「瑞原詩歌には気をつけたほうがいいよ」
「どう、いう」
言葉にならなかった。
思考がぐるぐる回っていた。
詠はそんな俺を見て、満足そうに微笑む。
怖いくらい綺麗な笑顔だった。
「信じなくてもいいよー、うふふ」
からからとそういう様は。
妖艶と可憐とが共生するようで。
不気味なほど気持ち悪く。
そして、ぞっとするほど惹かれている自分に恐怖を感じた。