二話「夢幻泡影」②
「こちらが、榊和人さん。キッチン全般をお任せしています」
今更ながらだが、詩歌が間に入りお互いを紹介してくれた。
本当に今更だなお前!
「こちらが、片倉恭平さん。雑魚店長ですが、どうぞよろしくお願いします」
「一言余計なんだよてめえ!」
しかし扱いが悪い。こんなので大丈夫か?
「邪魔すんなよ片倉、俺の仕事にケチつけるなら承知しねえぜ」
しかも呼び捨てかよ!
しかしまあ榊の仕事っぷりは眼を見張るものがあった。
ざわついた店内に涼やかな声が響く。
「22番オーダーです! アザレアパフェ2つ! 次19番! ハンバーグランチが1つ入ります!」
「オーケー! 18番トマトスパ2つ! 15番ヨーグルトサンデー上がった!!」
満席だった。凄まじい密度の来店、オーダー。
これ、二人でこなせる量なのか……?
「店長! 満席になったので、BGM音量上げて下さい! あと、12番のお客様が帰られそうなので、そのまま会計フォローお願いします!」
有線の機械はキャッシュドロアーの下にあった。これか。
ツマミを右に回すと、流れていたクラシックの音量が上がった。
「ご馳走様。美味しかったよ」
しわがれた声。年配の老夫婦だ。伝票ときっちりの金額の小銭が目の前にあった。
ああそうか、会計だ。
叶としたシュミュレーションを思い出す。昨日のディナーでも会計はやったが、忙しさがランチの比ではなかった。
「丁度頂きます! ありがとうございました! またお越しくださいませ!」
カランカラン、退店、いや入店だ。
同時に出入りがあったので気づけなかった。
サラリーマン風の男が、まだか、といわんばかりにこちらを睨んでいる。
「っ大変お待たせ致しました! ご案内いたします、どうぞこちらへ!」
息を切らした詩歌だった。
案内の遅れを察知し、客席の端からここまで走ってきたのだ。
「愛想ないね君。煙草吸える席空いてる?」
「すぐご用意致します、申し訳ございません……」
いかんせん感情表現に乏しい詩歌は、何を言っても棒読みのようになってしまう。
男は舌打をし、ついて行った。
「……くそ」
自分の力の無さに辟易する。
キッチンを見る。榊が凄まじいスピードで、調理をこなしていた。
◆
「全然役に立たねーな」
最もだった。ホールは詩歌、キッチンは榊がほぼ一人でこなし、自分は足を引っ張っているだけだった。
マニュアルで見た知識はあるが、いかんせん体がとても追いつかなかった。
「もう上がっていいぜ。後やっとくわ」
言葉だけ見れば優しくとれるが、表情は侮蔑に満ちていた。
――役立たず。
声には出さずとも、その顔が語っていた。
「まだやるよ。せめて片付けくらいは」
敬語はもう忘れていた。そんな余裕などなかった。
「そうか、勝手にしろ」
榊は少し笑っているように見えた。
客足は一三時を回ると遠退き、山のような未バッシングテーブルと洗い物が残されていた。
詩歌が走り回りながら片付けたテーブルの食器とゴミを、仕分けスペースで仕分け、キッチンにまわり洗浄する。
「下げ物完了しました!」
二百回程同じ作業を繰り返した後、詩歌の一声で区切りがついたのだ、と感じた。
「これくらい片付ければ、あとはディナーに任せればいい。俺はもう抜けるぜ」
ランチ閉店時間の十四時を一時間程過ぎたあたりで、榊は呆れるようにそう言った。
控室で詩歌に頭を下げた。
「すまなかった」
「何がですか」
「俺が案内遅れたばっかりに、お前に嫌な思いをさせてしまった」
詩歌は少し考え込むように。
「慣れてますから大丈夫です。私は無愛想ですから、何人かのお客様はやっぱり不愉快な思いになってしまうみたいです」
だから店長が謝ることではありません、と。
少しも悲しくなさそうに言う詩歌を、俺は悲しく思った。
「……」
まいったな。
控室は俺と詩歌の二人だけだった。
榊はこれから現場の仕事があるらしい。淡々と挨拶し、さっさと帰ってしまった。
詩歌もその事実に気付いたのか、赤くなった頬をごまかすように長い髪をくるくるを指に巻く。
「あの……」
沈黙はよほど居心地が悪いのか、驚いたことに詩歌から声をかけてきた。
「そうだ店長。お昼まだですよね」
「……え、まだだけど」
「何か賄いでも作りますよ。待ってて下さい」
それじゃいけない、と思った。
「待って」
とっさに詩歌の手を握っていた。
このままじゃ、甘えきってしまいそうだ。
なんか、今日の詩歌は優しい。
「あ……」
真っ赤になって俯く詩歌に気付いた瞬間、自分の大胆さに気付いた。
「俺が作るよ。まだ調理の実践もしてないし。これからはキッチンもできないと」
違う、俺が言いたいのはそんなことじゃなかった。
「お、お願いします」
消え入りそうな声の詩歌を見た。
とてもじゃないが、取り消せる雰囲気じゃなかった。