四話「泡沫の夢をかなえ」⑫
暗闇の中、煌々と灯るライト。
意を決して突入した。
辺りは、凄惨の一言につきた。
男が二人いた。
大学生くらいの若い男が、汗を流し、一心不乱に腰を動かしていた。
薬でもキメているのか。
俺の存在に気付いた風もなく、単調な動きを、時に緩急をつけて繰り返していた。
部屋の中央には少女がいた。
苦しそうに喘ぐ様は、何をされているのかは明白だった。
間に合わなかった。
そう自分を呪った。
醜悪なる雄の臭い。もう何時間も犯され続けているのか、少女の目は虚ろだった。
ああ。
「罠だ」
思わず言葉に出ていた。
この冬場に、汗をかくほど。いったい何時間行為を続けているのか。
それでは人質の意味はないではないか。
思考を切り替える。
目指すは早広。
廊下を駆ける。階段を飛び降りる。
心臓は警鐘を打つ。
なぜ気づかなかったか。
「なんで一人にした……!」
悪態をつく。こうなることも読まれていた。
ギリギリのリミットを告げ、俺達を分断させる事こそが、奴らの狙い。
早広の裏切りなど、奴らはあてにしていなかったのだ。
◆
13階。薄暗がりに一筋の光。
明るさとは対照的に、その色は絶望を灯していて。
なりふりかまっていられなかった。
早広を救いたい。そう切に願っていた。
まだ、そんな感情が残っていたのか。
詩歌以外の人間は雑兵ではなかったのか。
「絶対に、助けてやる」
そう心に誓った。何を犠牲にしても救うと決めた。
それくらい早広は、俺にとって大事な存在になっていたのだ。
右も左もわからぬ俺に、丁寧に仕事を教えてくれた。
荒唐無稽な話を信じ、危険を顧みず詩歌を救ってくれた。
俺と詩歌の時間を作るために、彼女は全く休まなかった。
事件の真相を聞いた。
俺の正体を知った。
親友が誘拐された。
それでも、俺を裏切らなかった。
命を賭すには、充分すぎる理由ではないか。
◆
廊下の果て。L字の角を曲がる。
観音開きの大きな扉。薄明かりが漏れていた。
両の手で押し、開ける。
大きな講義室。
低くなった中央に教卓とスクリーン。
それを囲うように半円状の階段を机たちが埋める。
状況を瞬時に把握した。結論は最悪だった。
早広はやはりそこにいた。瞳は絶望に染まり、もはや俺の存在に気づいていないのか。
縄のようなもので後手に縛られていた。あれでは動けまい。
傍らには少女がいた。教卓の上。磔にされた贄のように、彼女は机ごと縛られていた。
腰辺りの長さの髪。詩歌よりは少し短い。
目を引くのは特徴的な亜麻色の髪。金髪よりもやや淡く、幻想的な。
それが机の上に散り、伝うように机の下に垂れている。
不謹慎ながら、とても綺麗だった。
しかしながら。
「遅いわ。もう待ちくたびれたで」
振りかかる魔王の声。
こいつは眼下にいるはずなのに、振りかかるという表現がしっくりきた。
圧倒的なまでの存在感。
大柄な体躯。トサカのような金色の髪。太い腕。
そして手に持つのは刀。
日本刀だろうか。時代錯誤なその武器は、しかし奴に違和感なくはまっていた。
相対するのは三度目だが、こいつは常に気配を殺していた。
しかし、今回は違った。
身体が震える。
ああ、武者震いだと思いたい。
対面するだけで、絶望的なまでの実力差が感じ取れた。
「久しぶりだな、おっさん」
「相変わらず生意気やなあ。お前のおしめもわしが替えてやってんぞ?」
こいつは郁代の弟。
俺とも血縁関係がある。
しかし、殺気を隠そうともしない。
片倉に、肉親に対する情など無い。
「それはありがとな。ならお礼に耄碌してるお前の下の世話でもすればいいか?」
「笑かすなや。膝、震えてんぞ」
精一杯の虚勢は、いとも簡単に見破られた。
思わず、奴から目を逸らす。
逸らした、逸らしてしまった。
目があった。
早広の虚ろな目が、こちらを見ていた。
幾筋も、涙がつたう。
虚ろだった眼に、僅かの光が灯った。
希望の光だった。
「馬鹿野郎」
その言葉はぼそりと俺の口から。
小さく、か細く。
誰に向けてのものなのか。
早広か。それとも自分自身か。
――この絶望的な状況下で、なぜ、俺を信じられる?
早広の唇が動いた。
精一杯、俺に向けて伝えていた。
「た
す
け
て」
瞬間、何かが沸騰した。
自分自身に対して、爆発的な怒りの衝動。
相反するように、心は凍りつくように冷静に、状況を確認していた。
「絶対に助ける」
何度目かの言葉。しかし虚飾はなく、何よりも強い思いを持って紡いだ。
この距離だ。言葉は届いていないだろう。
しかし、俺が何を言ったか察したのか。
早広の瞳から、涙が止めどなく溢れる。
考えろ。
この状況を打破する何かを。