四話「泡沫の夢をかなえ」⑤
大学までの電車はこれが最後の一本だった。
閑散とした構内を抜け、外へ。
早広がふと、呟く。
「店長は何もさっきから教えてくれないんですね」
「何のことだよ」
少し拗ねたような口調に、どこか放っておけなくなる危うさを感じた。
しかし、静寂を破る彼女の言葉にどこか安心する自分がいて、少し困惑する。
やっぱり一人は辛いのだ。
「……俺の事は後だっていいだろ。お前の親友の命のほうが急を要する」
「わかりましたよー。で、なんで暗号文だってわかったんですか?」
「簡単だ。文章に奇妙なほど脈絡がなく、前後の文が繋がっていない箇所が多すぎる」
「はあ、だから?」
「少しは考えてみろよ、着くまでの暇つぶしだ」
そうなだめるように、早広に説明する。
――まず不自然なほどに漢字が多いんだ。
御目出度う、命在る、然し乍ら、などは通常の常用の範囲ではない。
「そのなかで仲間ハズレがあるのがわかるか」
「あ! ”なさけ”ですね! なんで漢字にしないんでしょうか?」
「そこがヒントだよ。いや、答えだな」
情け――ではなく、なさけ。
小学生のなぞなぞブックと理論は同じだ。全く、馬鹿にしてやがる。
「訳わからん文章の下に、狸の絵が描いてあったらお前ならどう思う?」
「え、可愛いなーって痛! なんで殴るんですかあああ!」
メールで早広に文章を送る。
――たたはたやひたろたたのばたかた (たぬき)
「誰が馬鹿ですかああああ!!」
「わかってんじゃねえか!」
「馬鹿にするのもいい加減に……、あ!」
「気づくの遅えよ。そうだ、情けでなく”な”避け。言葉遊びだわ」
問題は”な”を避けて読んでも文章にならないとこだが。
ここには早広は気付いたようだ。
ふふん、と鼻を鳴らし得意気に語る。
「あとは……、縦読みですね!」
「そうだ。”かがくじゅんびしつ いけ”って具合にな」
「……こんな小学生のなぞなぞにも気付け無いなんて……」
肩を落とす早広に俺は告げる。
「それが普通だよ。自分にとって大切な人が傷つけられそうな時、冷静でいられる人間なんてまずいないさ」
「……なんだか店長、そういう経験があるように言うんですね」
「いや、無いが……」
たしかに詩歌は特別だ。
しかし、自分で今の台詞を吐いた時、思い浮かぶのは別の顔。
しかし記憶にもやがかかる。
まるで思い出すのを拒否するかのように、心が拒む。
――また、すり替えるんですね。
詩歌がそう言っていたのをふと、思い出した。
「大丈夫ですか? 店長、顔色が悪いです」
「問題ない。てかお前、俺と普通に喋ってんじゃん」
「いや、なんか色々気にすんの馬鹿らしくなって。店長は私のために動いているんですよね?」
ふとした上目遣いにドキリとする。
やっぱりこいつは、普通にしてるほうが可愛い。
「……そのほうが可愛いよ」
「はあ!? 詩歌ちゃんいるのにナチュラル口説きですか! この天然ジゴロ!」
「そういえば……」
「は!? 悪いこと考えている時の顔してますよ店長!?」
「お前、俺の奴隷一号だったな」
よし。伏線回収だ。
早広の真っ赤な顔が、可哀想なくらい朱く染まって。
「変態だ~~~~!」
夜の街に可愛らしい慟哭が響く。
完全に変質者じゃん。俺。
嘆息するが、二人に漂う雰囲気は幾分か心地の良い物に変わっていた。