四話「泡沫の夢をかなえ」④
気がつけば榊との約束の時間が迫っていた。
あの後、どう早広と接したかあまり覚えていない。
ただ無難に仕事をこなし、ただ終えた。それだけだ。
早広はからりと態度を変え、接客をしていた。いつもの笑顔で。
「恭平くん、どうしましたか?」
「店では店長と呼んでくれよ」
二人きりの控室。しかし詩歌は気付いていた。
この娘はこう見えて、他人の感情の機微に聡い。
自分では押し殺していた思いを、いとも簡単に見破られてしまった。
「早広さんと、なにかあったんですね」
断定。間違っちゃいない。
こうも、すぱりと言い当てられると逆に気持ちがいい。
「おまえは、どうなんだよ」
「……なんのことでしょうか」
「早広は”選別”の事を知っていた。詩歌、おまえはどうなんだ」
彼女は逡巡し、しかしはっきりと答えた。
「……はい。私の境遇は、あなたの”選別”のために用意されたものです。恭平くんと再会した時には、もう知っていました」
「……悪かった、何も知らずひどい目に合わせてしまった」
「憎みましたよ、なんでこうも理不尽な暴力に耐えないといけないのか、命を断つことすら考えました。でも”片倉”はそれを許してくれなかった」
そうだろう。それが”片倉”だ。
目的のためには手段を選ばない。いかなる犠牲も厭わない。
「あなたを憎んでいました。それこと殺したいほどに……、でも」
――恭平くんが。
「この理不尽な世界から私を解放してくれたのも、また恭平くんなんです」
「……自分で撒いた種だ。巻き込んですまない」
「命を賭して私と早広さんを助けようとしてくれました」
やめてくれ照れくさい。
一度失った命だ。誰かを助けるためなら惜しげも無く使いきろう。
「俺が憎いか」
「はい。……妹を奪ったあなたが」
「詩織のことは、今でも悔やんでいる」
彼女が最後に過ごしたのは、家族でなく俺だった。
詩織がもの言わぬ骸に変わるさまを、俺が看取った。
ただ、詩歌の口から出たのは、予想外の言葉で。
「違いますよ。詩織のことじゃないんです。また、すり替えるんですね」
――どういうことだ。
詩歌はやはり憎しみのこもった、しかし憐れむような視線を俺に向けて。
「あなたがそれを思い出すまで、私はけっして恭平くんを心より許すことができません。どうか、思い出してあげてください。彼女の存在を、無かったものにしないで」
◆
身を切るような寒さが肌をつく。
躑躅駅4番出口。榊は約束の場所にいた。
「すまない。少し遅れた」
「いいぜ別に。少し付き合えるか」
ネオン光る町並みに紫煙を燻らせる姿が、妙にはまっていた。
榊はゆっくりと名残惜しむように煙を吐くと、告げる。
「早広の話は聞いているな」
「ああ、次の選別の通達だった。……榊、お前はどこまで知っている?」
「大したことは分からん。お前の実家がなかなかにクレイジーだと言うことは分かった」
クレイジーてお前。
しかし本題は別のところにあった。
あの時あの場所で。
詩歌の家で何があったのかを知りたい。
しかし榊は、嘆息するように。
「……薬を盛られた」
「は?」
「お前が去った後、あっさり詩歌の親父に組み敷かれ、何か注射されたんだ。その後、急に眠くなって気づくとあの部屋にいた」
榊は襟元を俺に見せるようにまくる。
浅黒い肌には、二つの注射痕らしきものが見てとれた。
――多分まともな薬品ではあるまい。
俺の目線に気付いたか、榊は取り繕う。
「体調はもう大丈夫だよ。今さっきも穴ほってた、問題はないさ」
「本当に、」
「謝るな。これ以上な。そんな暇あるんだったら、今度は早広を救ってみせろよ」
榊は俺をそう睨む。
そのとおりだ。今はただ、与えられた課題をこなすしかない。
俺は凡百たる挑戦者のひとりなのだから。
決して巻き込まれたわけでない。
――俺は、自分で望んでこの場にいる。
「榊、今回も力を借りたい。早広をもう悲しませたくない」
「……ひとつ、約束できるか」
榊は頷くと、俺にある条件を告げた。
◆
「こんばんは、早いな」
「店長が遅いんです。もう十分は待ちました」
いつもの人懐こい笑みは影を落として。
月明かりの夜に早広は立っていた。
榊とのやりとりの後、すぐに駆けつけたのだ。
「寒い中あれだ、どこか店にでも……」
「ここで大丈夫です。思ってもないこと、口にしないでください」
まあ容赦がない。当然か。
俺は彼女の日常を壊した張本人なのだから。
謝罪はしない。おそらく彼女もそれを望んではいない。
早広は俺を睨むように、白い封筒を渡す。
「ラブレターか」
「しばきますよ店長」
冗談が許される空気感ではなかったが、そうでもしないと心が凍りついてしまいそうだった。
早広に目で許可をとると、ビリビリと封を開ける。
そこにはA4サイズの紙に、パソコン打ちの文章。
”選別”の案内だった。
◆
片倉恭平様。第一の試練をクリアされた事、本当に御目出度う御座います。
長い猶予は有りません。
首を長くして待っていたでしょうから、次の試練を案内します。
準備は出来ていますか。心の方ですが。
何と、早広叶さんの親友である折部詠さんが昨晩未明、拉致されてしまいました。
敏腕な貴方に求められるのは、彼女の親友を命在る内に助け出す事です。
然し乍らタイムリミットは三日間、それが貴方に残された猶予期間であり、彼女の命のリミットです。
詰まる所期限に成りましたら、なさけ、容赦なく、折部詠さんは殺されてしまいます。
異論は有りませんでしょうか。
健闘を祈ります。
◆
ひどく奇妙な文章だった。
暗号文だ、とすぐに思った。
――馬鹿にしているのか。
「早広、大学に向かうぞ。そこに、お前の親友がいる」
「……え、え? 闇雲に探すんですか? うちのキャンパスだいぶ広いですよ?」
知っている。同じ大学だ。
「これは暗号文だ。もう解けたが、折部さんの居場所が書いてある」
「……いやいや、わかんないですよお! なんでそんなに冷静なんですか!?」
昔から慣れている。こういうのには。
足早にキャンパスへ向かう。おそらくこんなもので終わりではあるまい。
間に合うか。いや、間に合わせる。
眠気は飛び、足取りは確かに。
「いくぞ早広。折部さんを助け出す」
自信満々に言い放った。