三話「アザレアの花言葉」㉓
「ご挨拶ね、年上には敬語を使いなさいと教わらなかったのかしら」
あくまで淡々と、平然と。
狂気あまねくこの場所で、彼女は優雅に微笑む。
それこそが異端、異常。
「それは悪かったよ叔母さん、で、どうしてここに」
「決まっているじゃない、”選別”の続きよ」
――馬鹿野郎。
血液が怒りで沸騰するかのような感情をおぼえる。
落ち着け、冷静になれ。それこそ奴の思うつぼではないか。
しかし、思い出すのは六年前。
”選別”と呼ばれる地獄絵図。
吐きそうなほどにおぞましく、忘却したい過去の記憶。
背後を振り返る。
榊は力尽きたのか、意識を失っていた。
よかった。
不謹慎ながらそう思う。
ここからは、本当に聞かせたくない。
「……また、始めようというのか」
「顔色が悪いわね、ついでに言うと往生際も悪いわ。あなたは仮にも”片倉”の血を引いているのだから、もっとしっかりしてもらわないと」
「黙れよ外道。何人死んだと思ってやがる、何人が、苦痛と後悔を抱いて、怨嗟の声を上げて沈んでいったと思っているんだ」
「十七人ね。覚えているわ、忘れもしない私の愛すべき親族たち。いまでも名前を言えるわ、顔も思い出せる。そう、声だって。でも残念、運か実力が無かったのよ、ひっくるめて言えば”才”に欠けていた。残念ね、ホント残念」
片倉の血族は二十歳になるまでに一度、”選別”と呼ばれる試練を受ける。
優秀な才を後世に残すため、現当主により、幾つかの課題と苦難を与えられるのだ。
「……狂ってやがる」
「あなたは自分が正常だと思っているの? ”選別”の生き残りが? 普通? ああ、可笑しい。普通じゃ生き残れないわ、普通じゃ殺されるの、食い扶持の無駄だから。片倉には才に優れるものしかいらないのだから」
わかっているとも、許されざることをした。
わかっていたとも、叔母の考えなど。
「アザレアカフェも、利用するのか」
「まさか、利用されていないと思っていたの? 前任はどうして倒れたのかしら? なんで都合よく詩歌ちゃんと運命の出会いを? 私の弟が偶然にも詩歌ちゃんを虐待していた? 馬鹿馬鹿しい!」
瑞原郁夫。
片倉郁代の弟だった。苗字が変わっていたのですぐには気づかなかった。
しかしあの風格、狂気は、詩織の葬式であった男性とは確実に違っていた。
叔母は俺を嘲るように続ける。
「この世に運命、偶然なんてものはないの。全ては打算、計略。全てのキーワードに意味があるのよ」
「……みんなは」
「は……?」
叔母は目を見開く。
ああ、自分でも何を言っているのか。
情にでもほだされたか。
「みんなは、片倉の息がかかっているのか」
「甘っちょろいわね、そんなんじゃ」
「答えろ!」
月夜に咆哮がこだまする。
怒りを覚えている自分に驚く。
「……関係ないわ、詩歌ちゃん、叶ちゃん、和人くんはある条件のもと、バラバラに集められた被害者よ」
「”選別”のためにか」
「そうよ、これ以上は教えられないわ。試練はあなたが気づくことから始まっているの。課題は自分で考えてこなして」
安堵を覚える。よかった、あいつらは信用できる。
仲間として触れ合える。
「俺は、貴様らの言いなりにはならない」
「自由よ、恭平くんの自由。ただ、あなたは受けると思うわ。……いいえ、受けざるをえない」
叔母はそう言い切った。
瞳は確信に満ちていた。
そうしてこう続ける。
「恭平くん、あなたには王者の資格があるわ。……いい恫喝だった、あなたにはやはり片倉の血が流れている。頑張って、応援してるわ」
叔母は意味深に言い放ち、去った。
胸に去来する不安、何かが始まろうとしている。
とてつもなく大きな陰謀が。
遅れてサイレンの音。
火事だと騒ぐ隣家の声。
おおきくなる喧騒。
「行こう……」
榊を背負い、逃げるようにこの場を去る。
アザレアの深緑を眺め、ぽつり思い出した。
――「ねえ恭平さん。アザレアの花言葉って知ってますか」
ああ、調べたよ。
お前がいなくなった後にだが。
――あなたに愛される幸せ。愛の楽しみ、恋の喜び。そして、自制心と節制。
なあ詩織。お前は俺に何を望んでいたんだ?
言葉を返すのは、身を切るような夜風のみだった。
アザレアは、何も語らなかった。
三話「アザレアの花言葉」 完
ようやく長かった3話も終了です。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
物語はまだまだ続きますので、どうぞ末永くよろしくお願いします。