幕間「早広叶」
昔から、気になることは放っておけない性格だった。
今までも疑問はすぐに解決してきたし、それが良好な人間関係を築いていく為に重要な事である、というのは若干十八歳にして、薄々感じていた。
しかし当然、人と人との間に定石などなく、こころよく思わない人間もいることも知っていた。
どちらも理解できるが、私はやはり前者のタイプが好きだった。
◆
閉店作業はほとんど詩歌ちゃんにまかせてしまった。
――また今度お礼しないとね。
ぼんやりと疲れた頭でそう考えた。
時計を見る。もう日付が変わろうとしていた。
周囲にはマニュアルの山。しかし、彼らたちはもうその役目を終えようとしていた。
なんなのか、この人は。
六冊、六冊だ。付き合った自分も自分だが、まさか全部読破するとは思っていなかった。
最初のうちは、小馬鹿にしていた。何度か意地悪な質問をした。
――お会計、オーダー、料理提供が同時に発生しました。ホール担当一人の時の優先順位は?
――会計後にお客様がクーポンを出された時の対応は? また、その後の伝票処理の仕方は?
彼――片倉恭平の理解力は、はっきりいって異常だった。貪欲に知識を吸収していた。
自分でも、少し迷うような場面の回答を、はっきりとした説明をもってして答えた。
バイトの経験がある、といったレベルではない。目の前の男が、店長となっていくのを、まざまざと見せつけられているような感覚だった。
「遅くまで悪かった。今日はありがとう。明日もまた、よろしく頼むな」
少し自分の顔が熱を帯びていくのがわかった。
自分がいいように使われているのはわかっていた。ただ、それに対して不快感を抱かない自分に対して、不快感を抱いた。
「……っ、わかりました。また、明日です」
私の感情に気付いているのかいないのか、彼は笑って言った。
「ああ、また明日。ご苦労様」
いや、多分気付いている。
だから、ちょっと悔しかった。ちょっとした仕返しのつもりだった。
「店長。あなたは、詩歌ちゃんのことは、なんで名前で呼ぶんでしょうか?」
ずっと気になっていた事だった。
言った瞬間、ああしまった、と思った。
彼の顔から色が消えた。目元がすうっと細くなった。
すぐに謝ろうと思った。ただの好奇心だ、もう少し仲良くなってからでも良いだろう。
「……ごめん」
先に動いたのは彼の唇だった。不遜な態度は消え、声はか細かった。
自分より少し高い彼の体が、今はとても小さく見えた。
――え?
私は少し動揺していた。
拒絶された。今、私確実にやらかしたよね?
しまった、しまった。まただ、また、やってしまった。
もう一度、謝罪を口にしようとした瞬間、震えるような声で彼は、こう言った。
「ごめん、悪かった。驚かせるつもりじゃなかった。詩歌とは、何もなかったよ」
嘘だ。悲しくなるくらい下手くそな嘘だった。
「何もない。……何もなかった」
最後はまるで自分に言い聞かせるようだった。
戸締まりは彼に任せ、ひとりで店を出た。
謝罪すらできるような雰囲気ではなかった。
悪いのは確実に私なのに、まるで彼が自分一人で悪者になりたがっているようだった。
何があったんだろう。彼と詩歌ちゃんとの間に。
間違いない。あの二人は、今日ここで会ったわけではない。
そう確信するとともに、自分の中の野次馬根性に火がついていくのがわかった。
――ああ、もう。
悪い性格だ。自己嫌悪してしまう。
しかし、やはり知りたいと思ってしまうのだ。彼のことが気になってしまう。
彼が来て、何かが変わろうとしていた。
少しの期待と不安を織り交ぜた夜風に、自分の体が冷まされていくのを感じると、私は足早に帰路を急いだ。
幕間「早広叶」完