三話「アザレアの花言葉」⑳
崩れ落ちた俺に。
その声は不意に。
「恭平くん! 私は生きています! 早く、早く!!」
幻聴か。
幻に救いを求めているのか、俺は。
しかし、聞こえる声は、確かに。
「詩歌……?」
「いつまでボオっとしてんだよ!! 早く逃げるぜ!」
不遜なる声。堂々とした姿。
暗がりの中、煌めく金髪。
榊だ。
逃げずに、来てくれたのか。
いや、おそらく、ずっと機会を伺っていたのだ。
熱いものがこみ上げてきた。
一瞬でも疑った過去の俺を殴り飛ばしたい気分だった。
しかし、先ほどの飛沫は?
たしかにナイフが刺さった瞬間、暗がりの中、飛んだ。
「糞おおおおおおお!!」
詩音の慟哭。
長い髪は、濡れ、張り付き、整った顔立ちは般若のように歪んでいた。
相対する榊。
ダガーは跳ね跳んで、また部屋の隅に。
詩歌が跳ね飛ばしたのだ。
状況を遅れて理解した。
詩歌は何らかの状況で、榊が部屋の奥に隠れ、潜んでいることに気付いていた。
しかし、それは最後の作戦。
絶対に悟られるわけにいかなかったのだ。
だから、俺すら、騙した。
詩歌を囮にしての榊の背後からの殴打。
振り返った詩音に、榊は持っていた何かをかけた。
飛沫が飛び散る中、詩歌がナイフを奪い、投げたのであった。
「俺がこいつをおさえる! 店長! はやく早広を!」
いつも気怠げな声色からは、考えられないほどの意志がそこにあった。
呆けている場合ではない。
「ああ! 分かった!」
早広の元へと駆け寄る。
途中、詩歌と目が合う。
心臓の高鳴りを感じた。
彼女も、少し逡巡し、頬を赤らめた。
生きたい。
久々にそう思ったかもしれない。
ひどく懐かしい感情だった。
早広を抱く、意識は戻っていた。
電圧は己が意志で抗えるものではない。
悔しそうな表情が見て取れた。
「いくぞ、早広」
彼女の柔肌に触れる。
いわゆるお姫様だっこというやつか。
頬にかかる吐息が妙に熱く感じた。
庭先に出た俺達が振り返り、見たものは、相対する榊と詩音。
「邪魔しやがってええ!! もういい! お前から殺す!」
「来いよボケ! 返り討ちにしてやらああ!!」
郁夫の手にあったはずのスタンガンは、詩音の手に。
奴は俺達を観劇するように、ほくそ笑んでいた。
――何が狙いだ。
微動だにしない郁夫に不気味なものを覚えた。
しかしサシの勝負に持ち込めただけでも好機。まずは早広と詩歌を安全な場所まで連れていかなければ。
うしろ髪引かれる思いで、しかし、脱兎のごとく庭先を玄関口まで駆けた。
今は榊を信じよう、この状況で出てきたのだ、無策ではあるまい。
ぼそり呟いた言葉とは裏腹に、俺の心は不安で満ちていた。