三話「アザレアの花言葉」⑰
「びっくりしましたよ、詩音さん。感電って初めてしましたけど、本当に動けなくなるんですね」
涼やかな声。
スタンガンは詩音の手元からすでにはたき落とされていた。
瞬時に逃れようとする詩音。
だが、早広はそれを許さなかった。
「くっ」
悔しそうに唇を噛む詩音。
「店長! さすがですよ、作戦通りですね!」
羽交い締めし、後頭部からのぞかせた指でVサイン。
白い八重歯がのぞく。
元気そうだな。
「よかった……」
安堵のため息をつく。
危険な、賭けであった。
「くそ、なんで……」
呆然と呟く詩音。
声には驚愕の色。
おそらくは違法改造だろう。
彼女のスタンガンは強力だった。
非殺傷武器として開発されたスタンガンは、強い電流により行動を停止させることが目的だ。
しかし、対象が水に濡れていたり、長い通電時間を伴わなければ、強い痛みこそあれど、対象を気絶まで至らせることはまずない。
そういう知識で、自分はいたのだが。
素肌に直に当てられたわけでなく、厚い冬服の上から早広が感電したのは想定外だった。
おそらく電極部分も、先端を尖らせている。これにより、通電をサポートしているのだろう。
まだ痛みが取れないのか。早広の筋肉が硬直しているのか視認できた。
可愛らしいコートに二つの穴。ここより電極が入り込んだのだろう。
無力化を通り越して、心肺停止の危険すらある、改造だ。
「たしかに、通電させたのに……!」
そう、ならなぜ、早広は動いているのか。
自分は、今拘束されているのか。
「自分がつけてる手袋ですが、二重構造になっています。下には清掃用のゴム手袋。あとは、恥ずかしい話ですが、私今、全身タイツなんです。ゴム製の」
暗がりの中ではよくわからないだろう。
スカートから覗くものは、ストッキングやタイツの類と相違ない。色も黒を選んだ。
あとは彼女の持っている服の中で、なるべくの厚着を薦めた。
靴はキッチンで使うゴム製の安全靴。
唯一露出している顔と首元を狙われると危険ではあったが、柔道有段者の早広がそれを許すはずもない。
完全絶縁での完全防御。それが俺達の作戦その3。
「ちきしょう……」
「観念しろ詩音。詩歌は俺達が保護する」
「ああ、ちきしょうちきしょう……ああああああああああああああ!!」
無様な呻き。
勝った。
早広と目を合わせる。
彼女も目尻が下がっていた。
守れた。
今度は。
「恭平くん……まだ、だめ……」
声。
震えるような。
それは。
詩歌の口から。
何か、重大な事を見逃しているような気がした。
気づく。瞬時、遅かったと判断した。
早広は、地に付していた。
「あ、あ……」
大きな目を、ことさらに見開き、口をパクパクと動かしている。
典型的な、感電の症状。
スタンガンはどこだ。
何故。
早広が、叩き落としたはずだ。
あった。
それは。
奴の手元に。
「郁夫……!」
スタンガンでは気絶しないのではなかったのか。
郁夫は何故昏倒していたのか。
俺は見たのか。
奴が何によって倒されたのかを。
見ていない。
「ずうっと倒れた演技すんのは、疲れたわあ」
気だるそうに、そう言う。
手元には早広を攻撃したスタンガンが、鈍く光る。
終わった。
俺の慢心が招いた結果だ。
全員殺される。
「……待て」
痛む頭を抑えて立つ。
足がふらつく。
後頭部から血が垂れる。
視界は薄くぼやけていた。
「ああ、立てるんだ、恭平くん。おかしいなあ、思いっ切り殴ったのに」
先ほどの悔しそうな表情はどこへやら。
淡々と詩音は言った。
こうまで平然と演技できるものなのか。観察では全く見て取れなかった。
俺は覚悟を決めた。
「俺を殺せ、詩音。……代わりに、みんなは見逃してくれないか」
早広が息を呑む。
よかった、首筋に当てられていたので、危険だと思ったが、動けないまでも意識はあるらしい。
本当に、よかった。
「だめ、駄目」
詩歌は震える。
か細い手で、俺を掴む。
悲しいくらいに、弱々しく。
「お別れだ、詩歌。六年ぶりに会えて、嬉しかったよ」
手を振りほどいた。
彼女の表情が絶望に染まった。
「格好つけているとこ、悪いけど、あかんわ、全員殺すで」
無慈悲に郁夫は言う。
しかし、それで下がる俺ではない。
「なら、警察を呼ぼう」
それは、覚悟。
俺の些細なプライドと家庭事情と、こいつらの命を天秤にかけるまでもなく。
「俺の店のやつに言ってあるんだ。二時間で戻ってこなかったら通報しろと。さっきの金髪がいないだろう? あいつは安全圏から110番に手をかけているんだ。最後の保険ってやつだよ」
清々しいほどのブラフだ。
榊がどこに行ったかはわからないし、逃亡したかもしれない。
ただ、俺達が殺された後なら、口止めはしているが、通報するだろう。
しかし、それでは詩歌と早広は戻ってこない。
「本気か……?」
詩音は、俺が警察に頼れない理由を知っている。
訝しげに、眉を動かした。
「ああ、俺が死んだ後なら意味ないしな。三人も殺したんだ、今はお前も未成年じゃあない。確実に法がお前を殺す」
「そうかよ、覚悟は分かった、恭平くん」
詩音が近づく。
明確な殺意を持って。
ポケットからはナイフ。
ダガーナイフと呼ばれるそれは、充分な対人殺傷能力を持つ。
「約束は守るよ、みんなは開放する。よかったね、守れたね」
愉悦。
「人を殺すのははは初めてなんだ」
興奮で声はうわずっていた。
「や、やめ」
詩歌が弱々しく呻く。
頬からは幾筋にもつたう涙。
思えば、お前のこと泣かしてばっかりだったな。
「すまない。ありがと」
俺は笑い、今生の別れを告げた。
刹那、飛沫が舞う。
戦いが、終わった。