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夢幻泡影のアザレアカフェ  作者: ナナカセナナイ
クーデレ美少女 瑞原詩歌ルート
24/56

三話「アザレアの花言葉」⑯


 身体の弱い詩織は、外であまり遊べなかった。

 このアザレアの庭で子供の頃駆け回ったのは、俺と、詩歌と、詩音だった。

 瑞原家の長女である詩音は、少し変わった子供だった、と記憶している。


 はじめは、些細な悪戯だったのかもしれない。

 詩音が、詩歌にしていたのは、子供同士のじゃれ合いにしては陰険な嫌がらせだった。

 かくれんぼで、詩歌が鬼の時、そのままほっぽり出して帰ったり。

 詩歌が大切にしていた日記を燃やしたり。

 遊んでいるときに、急に池に突き落としたり。

 しかし、その時から詩歌は、あまり感情を表に出さない子供だった。

 何をされても、慌てるまでも、泣くまでもなく、ただただ無感動に、課せられたものを処理していった。

 その詩歌の様子に業を煮やしたのか、詩音の嫌がらせは次第にエスカレートしていった。

 見てられなくて、詩音の腕を掴み、やめさせようとした事があった。

 彼女が大切にしていた、朝顔を踏み荒らされそうになった時だ。

 やめてくれ、と頼んだ。

 しかし、彼女は嗤い、花を踏みつぶし、植木鉢をひっくり返した。

 俺は叫んだ。

 詩歌が毎日水をやっていたのを知っていた。

 花が咲いた時、乏しい感情の隙間から嬉しさが滲み出ていた。

 朝顔よりも綺麗な、笑顔だった。

 ああ、やってしまった。

 なぜ詩歌は無感動だったのか。

 この姉がいるからだ。

 詩音は、人が哀しむのを見て、喜びを覚える子供だった。

 だから、詩歌は姉を退屈させようと、痛む心を殺したのであった。

 まだ二桁の年齢にもいかぬ少女が、である。


 そうした俺の感情を見て、詩音は方針を変えた。

 今までは、俺の目の届かぬところで行っていた彼女への私刑を、全て、俺に分かる形にした。

 結果的に、彼女が受ける仕打ちは更にエスカレートした。


 俺は詩歌に泣いて詫びた。

 すまない、俺のせいでお前が傷ついている。

 当時は拙い語彙で、精一杯謝った。

 詩歌は焦り、俺を慰めた。

 私は大丈夫だから、と。

 気にしないで、と。

 詩歌は珍しく感情を出し、一生懸命俺を励ました。

 情けなくも、とても救われた。

 俺も詩歌の為に頑張る、と言った。

 詩歌は顔を赤くし笑った。


 ひと月ほどが過ぎた。

 詩音も反応を無くした俺たちに飽きたのか、別の楽しみを探すようになっていた。

 もう、三人で遊ぶこともなくなった俺たちは、詩歌と二人で遊ぶことが多くなり、そこにやがて、詩織も混ざっていった。


 それからやがて、一年ほどが過ぎた。

 自分の年齢が、両手の指を使っても数えられなくなる頃、ある事件が起きた。


 町内には猫おじさんと呼ばれる人がいた。

 いつも白いランニングと白い短パンで、小肥りの中年男性。

 禿げ散らかした頭が印象的だった。

 文字通り、猫を大量に飼っている、動物好きの変わったおじさんだった。

 両親や、先生は、彼に近寄るのをあまり良い顔はしなかったが、俺と詩歌はよくおじさんの庭に遊びに行った。

 このおじさんはいい人だと、本能的に分かっていたからだろう。

 自慢じゃないが、俺も詩歌も、生まれて十数年で数限りない悪意に晒されてきた。

 きっと無意識下で、自分に害を与える人を判断できた。

 おじさんは、純粋なのだ。

 信じても大丈夫。

 俺と詩歌の共通見解だった。


 その日も、詩歌と二人で猫おじさんの庭に遊びに行った。

 最近の日課となっていた。

 見渡す限りの、猫、猫、猫。

 十匹、いや二十はいるだろうか。

 猫と戯れる俺たちを、おじさんは優しく見守っていた。

 詩歌も、自分にじゃれつく猫達に、顔をほころばせていた。

 ――動物は、嘘をつかない。

 ――自分を傷つけない。

 猫おじさんは俺にそう言った。

 ――だからおじさんは動物が大好きなんだ。

 

 猫おじさんには家族がいなかった。

 庭に住まう猫達が、おじさんの家族の代わりだったのだ。

 野良猫を世話し、捨て猫を拾っているうちに、いつの間にか、こんなに増えていったのだという。

 猫は我が侭で正直だ。

 少し、詩歌に似てるな、と思った。

 優しく笑う詩歌を久しぶりに見た気がする。

 俺も少し、楽しい気分になった。 


 ある日事件が起こった。

 通学路から一本外れた路地。

 そこに向かう赤いライン。

 それが何かわからなかった俺と詩歌は、探検気分で路地裏へ入った。

 ――赤。

 夥しい数の、赤い血だまりができていた。

 ひとつじゃなかった。

 ふたつ、みっつと血の海は広がっていた。


 地獄だった。

 ああ、思い出しても吐き気がする。

 コンクリートに広がる紅色の上。

 点々と、白いものが置いてあった。

 運動会の玉入れみたいだな、と思った。


 白玉と、目が合った。


 その顔を俺は知っていた。

 詩歌は隣で震え、息を飲んでいた。

 そのまま、力尽きたようにへたり込んで、さめざめど泣きはじめた。

 遅れて俺は白玉の正体を知った。

 いや、すぐに分かってはいたのだろう。

 ただ、現実を認識できなかっただけ。


 十、いや二十か。


 猫の頭部だけが、路地に散乱していた。

 詩音の耳障りな嗤い声が、聞こえたような気がした。


 誰かが通報したのだろう。

 すぐに警察が来た。

 駆けつけた警官が息を呑んだ。

 新人と思しき若い隊員が嘔吐していた。

 白髪の警官に俺たちは幾つかの質問をされた。

 詩歌はとても喋れる状態じゃなかったので、俺が答えた。

 犯人が俺たちじゃない事がわかると、すぐに解放された。


 遅れて、猫おじさんが蒼白な表情でやって来た。

 おじさんは、わなわなと崩れ落ちると、大声で叫んだ。

 長い、慟哭だった。

 俺は生きてきてはじめて、大人が泣くところを見た。

 もう、人目をはばからず、わんわん泣くその姿に、俺もとても悲しくなって泣いた。


 猫おじさんは、次の日、自宅の庭で首を吊って死んだ。

 おじさんのまわりには、首のない猫たちがたくさんいた。


 猫殺しの犯人はすぐに分かった。

 詩音だった。


 猫おじさんが飼っていた猫たちは、やはり、正規のペットではなかった。

 保健所への手続きもしていなかったらしい。

 大量殺傷の非常に残虐な事件だが、対象が動物の為に、罪状は器物損壊となった。

 また、犯人が未成年であること、充分な証拠が無かったこと――本人は嗤いながら否定していた――そして、猫おじさんには家族も、身寄りもなく、誰も訴えなかった事で、この件は有耶無耶になった。


 詩歌は、そして、その日から一切、笑う事が無くなった。


 たまに、見せてくれた乏しい感情も、全く無くなった。

 俺は決意した。

 この子を一生掛けて守り抜くと。

 彼女が再び笑える日まで、そばにいると。


 しかし、六年前に起きた事件で、俺と詩歌は離れ離れになった。

 しかし、俺は今、この街にいる。

 この街へ戻ってきた。

 そうして、詩歌と再び出会った。


 彼女の姉、詩音とも六年ぶりに、再会した。



 眼前の敵を見る。

 早広に組み伏せられた、身体。

 詩歌とよく似た体つき。

 しかし、決定的に何かを違えていた。

 眼は死んでいなかった。

 薬の効果だろうか、異様なぎらつきを持つそれは、俺に過去の恐怖を思い起こさせた。


 まずい、全く感情が読めない。


 所詮心理学は統計論だ。

 こういう行動をする人は、こう思っていることが多い、というだけの話。

 それを多元的な解釈、多要素からの分析で確実なものとするのが俺だ。


 しかし、未だかつて、このような異常者とは相対したことがない。

 心理学は異常者用の学問ではない。

 対象は大衆なのだから。


 突如、刹那、閃光。

 弾ける火花と火花。

 崩れ落ちる早広。

「早広!」

 おそらく改造スタンガンのようなものを使ったのだ。

 詩音の左手に黒いものが見えた。

 早広は昏倒していた。

 やられた。

 しかし、有段者に関節を決められ、どうやって。

 ――瞬時、理解し、驚愕した。

 詩音の右腕がありえない方向に曲がっていた。

 おそらく、抜いた。

 薬で痛みが麻痺しているのか。

 それとも、驚異的な精神力か。

 ただ、異常なだけなのか。


 きっと、全部だ。


 痛みで鈍くなっている身体が恨めしい。

「もう一人いたよなあ。どこいったんだよお」

 榊、よくやった。

 おそらく会話の隙をついて、姿を隠した。

 ……逃げたのではないと、思いたい。

 ――警察を呼ぶのは安易だが、それだけは絶対に阻止しなければならない。

 信じるぞ、榊。

 ここにいない仲間に祈る。


「遺言くらいは聞くぜええ、恭平くんよおお。

 お前は最後に殺す。

 まず私を投げた、この茶髪。

 こいつを殺す。

 両手両足切り落として殺す。

 次に詩歌、お前を殺す。

 まず私と同じでムカつく眼を潰す。

 指を一本一本落とす。

 腹掻っ捌いて、殺してやる。

 最後に恭平くん。お前はやっぱり殺す。

 二人が死ぬのを見せ付けてから、殺す」


 榊は不在。

 早広は気絶。

 詩歌は意識朦朧。

 俺は、まだ、身体が動かない。


「絶対絶命だな」


 そう、つぶやく。

「終わり? あれ、遺言終わり? もういい? こいつ、殺すね」

 晩御飯を待ちきれない子供のような無邪気さで、死刑宣告を済ます。

 だが。


「……え、……あ」

 呆けたような声は、しかし詩音の口から出たものだった。

 遅いよ。

 今頃気付いたのか。

 驚愕に目を見開く詩音を見据える。

 瞬時に勝利を確信した。


 当然、此処までは想定内だった。


「チェックメイトだ。詩音」

 嘲るように、俺は言った。


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