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一話「アザレアカフェ」

「片倉恭平くん」


 自宅から徒歩十分の駅前コーヒーチェーン。俺はひとりの女性と、小さなテーブルに向かい合っていた。

 女性の名は片倉郁代かたくら いくよ。母の妹だ。

 二年ぶりに会った叔母さんは、年齢を感じさせないような力強さで俺を呼んだ。


「もう、貴方しかいないの」


 これで三度目だった。諦めるどころか、より一層押してくる。

呼び出されるままほいほい来たのは失敗だったな、と頭の中で少々毒づく。

彼女の性格を思いだすと、これは断りきれないだろう。おそらく話が平行線のまま、帰してはくれまい。俺はそう思うとこれ見よがしに溜息をついた。

 駅の時計に目をやる。すでに十四時をまわろうとしていた。

 かれこれ話し始めてから小一時間はたっただろう。

 しかし、むしろ叔母さんは勢いを強めて俺の目を見るのだ。


「恭平くん。貴方に、店長を任せたいの」


 懇願。真剣な眼差しだった。

 こういうのには、とても弱い。

 

 ……なんでも、彼女の話を要約するに。

 初耳ではあったのだが、叔母はとあるファミレスのオーナーをしているとの事。

 まあ、そこの店長が激務の中、過労で倒れてしまったらしい。で、急遽代行を探しているとのことだった。


 しかし、まあ本当に、唐突ではある。

 こちらには懸念すべき事項がいくらでもあるのだ。


「叔母さん、俺はまだ学生ですよ? こんなガキを頼らなくても、他に気の利いた人材はいそうなものですが」

「親戚をたらい回しにされて、ようやくたどり着いたのが貴方なのよ?」


 あいつらには嫌われていてね、と叔母さんは頭をかいた。


「なんで親戚限定なんですか……」


 当然の疑問をぶつける。

 すると叔母さんはくすりと笑い、あからさまに誤魔化すかのように。


「身内の不始末は身内で取るのが当然でしょ?」


ぞくりと、背筋に冷たいものが走る。少し昔を思い出した。それを否定するように、俺は返す。


「……大体、前の店長は過労で倒れたと聞きましたよ? そんな店に配属なんで嫌です」

「半年でいいわよ。お給料も多めに出す。まだ文句あるかしら?」


 叔母さんが焦りながら提示した額面は、学生アルバイトで稼げる額では到底なかった。

 心が揺れる。

 いくつかアルバイトを探しているさなか、叔母から着信があり、仕事を斡旋してやるといわれてここへ呼び出された。

 彼女の性格を思うに、もう少し疑うべきであった。普通の仕事でなど、あるわけがない。


「ね? いい条件だと思うわよ?」


 ごくり、と唾を呑んだ。たぶんこの女は、俺が断りきれないのを知って言っている。

 二年ぶりの再会とはいえ、親族なのだ。

 いくらでも隠したいことは知られているだろう。


それに、俺は彼女には逆らえない。


「……わかりました。でも、俺に務まりますか?」


 正直自信はなかった。

 俺は過去に飲食店でのアルバイト経験はあるものの、それだけで店長が務まるとは楽観視していない。

 

 ああ、やっちまった。また俺は非日常に片脚を突っ込もうとしているのだ。

 

◆ 

 

 見事なスピード契約だった。

 あれよあれよと説明を聞かされ、スーツに着替え、俺は叔母さんと店舗へ向かっていた。

 聞けば、前任が倒れた今、ある程度はアルバイトだけでもなんとかなっているらしい。

 黙っていると、不安に押しつぶされそうになるので、無理にでも口を開く。


「店長が倒れてから、スケジュールはどうしてるんですか?」

「ああ、フリーターの子がいるのよ、その子が全部やってるわ。今はとりあえず店長代行も任している感じ」


 なるほど、優秀な奴がいるらしい。聞けばそいつは俺と同じ歳なのだとか。

 まあ、少し興味がわいた。


 ――ちょっと待て、そいつがいるなら、やっぱり俺は不要じゃないのか?


「あー、疑問点が顔に出てるわ、恭平くん。ちょっとその子には問題があってね……」


 詳しくは言えないのよ。と叔母さんは言葉を濁した。



 アザレアカフェ。

 営業時間はランチタイムが十時から十四時で、ディナータイムが十七時から二十一時。

 そんでもって、定休日は月曜日。

 座席数は二十席。ファミレスの平均が四十席とすると、半分くらいの規模らしい。

 メニューは和洋中。ある程度なんでも揃う。

 ここまでが叔母さんに教えてもらった前情報だ。


 さて、連れられて入った店内は、なかなかのお洒落さだった。

 茶を基調とし、木目調のシックな雰囲気。狭い店内だが、薄暗い照明のおかげか窮屈そうな印象はなかった。

 流れるBGMはジャズ調で、音楽にさほど詳しくはないが、しっとりと落ちついた雰囲気を醸し出している。


 はっきりといえば、俺のような学生には少し敷居の高いような喫茶店。壁掛けの調度品をひとつ見ても、とても金がかかっていそうだとわかる。


「いらっしゃいませ、すいません開店時間は17時から……、ああ、オーナーか」


 黒を基調としたヒラヒラの制服に身を包み、いかにも愛想無さそうに出てきたのは、叔母さん曰く、問題のある、店長代行様だった。


「……瑞原詩歌みずはら しいかです」


 彼女は形式的な挨拶を交わす。

実のところ、俺は眼前の少女に魅入っていた。

 漆黒の制服の袖からのぞく、透き通る様な白い肌。まるで精巧な人形のようだ。

 大きな鳶色の瞳と相まって、ひとつ羽根でもはやして「どうも天使です」と言われてみれば、ころっと信じてしまいそうな神秘さ。

 長く伸ばしたこれまた漆黒の髪が、照明に揺られ、妖艶とも、可憐とも違う、不思議な魅力を放っていた。


 一言で言ってしまえば、綺麗だった。

 ただただ、彼女は美しかった。


「この子が代行の詩歌ちゃんよ。仲良くしてあげてね」


 詩歌ちゃん、あとはよろしくね〜、と叔母さんは台風のように帰っていった。

 残されたのは、俺と、天使のように可憐な、彼女。


「ご案内します。どうぞ」


 涼やかな声で、店内を指す。

 導かれるままに、俺はついていった。



「ここが、更衣室です」


 最初のほうこそドキドキしていた俺だが、半ばくらいから、叔母がぼそりと言っていた、詩歌の欠点が分かった。


「……これで、案内は以上です」


 淡白なのだ。本当に。

 どこか、語り口調も物語然としていて、現実味を感じさせない。


「次に、マニュアルの保管場所ですが……」

「待ってくれ、理解が追いつかない。少し休憩を」

「わかりました。再開できるようになったら、教えて下さい」


 息が詰まりそうだった。美少女と一緒にいるのは理由のひとつではあるが、それと同時に機械と会話してるような不気味さがあった。


「詩歌」

「はい」


 いきなり名前で呼ぶのは不躾だと思ったが、当の本人に気にしているそぶりはない。

 ひとつ、試してみるとしよう。


「いつも、そうなのか……?」


 彼女の頬がぴくりと動いた。

 なんだ、少しは感情をだせるじゃないか。


「どういうことでしょうか」


 少し、怒っているような気がした。

 でも、性格上、あまりこういう人は放っておけないたちなのだ。


「なんか、淡々としてるというか、抑揚がないというか……、少し変わってるよな、詩歌って」


 彼女の眉が釣り上がる。怒っても可愛いなんて、狡いな、本当に。


「失礼なひとですね、ここで会った私に、そこまで良く言えますね」

「ここで会ったからだ。俺は君の内面も、思いも何も知らない。……でも、初めて店に来られるお客様は、そうじゃないのか?」


 くっ、と彼女の顔が歪む。

 余程、気にしている事だったのか。それは、悪いことをした。


「貴方は……!」

「貴方でなく、恭平だ」


 会話の流れは俺が握った。久々だが、勘は鈍っていない。

 俺は、詩歌の事が知りたい。


「詩歌が、俺に向けていたのは、感情じゃない。無関心だ。それは対話を望む相手にとって、何よりも失礼な事だよ」

「仕方ないじゃないですか、私はずっとこうなんです……!」


 詩歌は少し声を荒げる。

 きれいな顔が、怒りで歪む。


「そのせいで……」


 は、と詩歌は口を覆う。

 何故そんな事をさっき会った男に口走っているのか、という顔をしている。

 当然だ。そう仕向けている。


「敵意でもいい。憎しみでもいいよ。ただ、無関心はやめてくれよ。これから同じ店で働くんだ」


 諭すように語る。

 我ながら自分が気持ち悪い。

 心を操る、自分が。


「わかりました……」


 感情を向けてくれた方が、御し易い。


「恭平くん。私は貴方のことが、嫌いです」


 詩歌はややの涙目で言った。

 おそらく、自分の思い描く作戦通りにはいった。


 しかし、胸はチクリと痛んだ。



「もうすぐ、他の子が出勤してきますので」


 詩歌はむすっとしていた。

 怒らせた当の本人が思うのもなんだが、居心地は悪かった。


「悪かったって。そんなに怒るなよ」

「恭平くんの無神経さには、呆れます」


 怒りは最もわかりやすい感情のバロメーターのひとつだ。

 その人と深く繋がりたいなら、まず自分をさらけ出し、その人を知る。結果的にそれが近道だと教わった。


「俺はな、ずっと一人だったんだ」


 だから話す。自分の事を。


「なんつーかな、斜に構えていてさ、こう見えても、中学の時は大人しかったんだよ」


 しかし詩歌は、黙って聞いていた。

 相手にするのにも疲れたかもしれないが、自分語りには不自由なかった。


「気がついたら、まわりに誰もいなくなってさ、家族も俺を毛嫌いするようになって。別に不自由は感じなかったさ。まわりが相手ににしないなら、俺も相手にしない。そう斜に構えてた。拗ねてたんだな」


 詩歌はほう、と息を飲んだ。

 興味ない風を装って、聞いてくれてるのか。


「恭平くんの、昔語りなんて、興味はありません」


 淡々と、しかし、先程よりも感情がこもった声で詩歌は告げる。

 彼女は一度目を細め、二度瞬きをした。傾聴のサインだ。自信を持って、俺は続ける。


「死んだんだ。両親が。交通事故だった。即死で、死に目にも会えなかった」

「……え」

「後悔したよ。もっと色んなこと、言えば良かった。なんか、やるせない感情がぐるぐる回って、おかしくなりそうだった」


 すく、と俺は立ち上がる。

 詩歌の目を見る。


「そっから俺は変わった。いや、変わろうと努力しているだけかもしれないが、ともかく、変化した。感情を出し、自分を晒した。何人かは、より離れていったが、同じ数だけ、親友もできた」

「それが何ですか。同い年のくせしてお説教ですか」


 ぐい、と詩歌に身を寄せる。今までにない近さだった。少なくとも今日会った異性に対しての距離ではなかった。

 びくん、と詩歌の身体が震えた。


「詩歌は、俺と同じ後悔をしてはいけない」


 目線は逸らさず、声に抑揚をつけ、語る。

 心なしか、詩歌の頬は紅潮していた。


「私は……」


 バタン!と控え室の扉が開いた。

 そう、俺たちがいる部屋のである。


「あーーー! 詩歌ちゃんが襲われてるーーー!」


 女の甲高い声。

 どこからどう見ても、勘違いしないほうが無理、という状況だった。



 誤解を解くのに小一時間ほど要した。

 いや、小一時間立つのだが、誤解は解けていない、というのが正解だ。


「詩歌。ちょっとは協力してくれよ」


 隣の詩歌をつつく。


「なんで嫌いなひとのフォローをするんですか馬鹿ですか」


 つん、と顔を背ける仕草ひとつも可憐だ。可愛いなもう。

 さて、状況を説明しよう。

 俺は今まさに、高校での三者面談に近い形で、鎖なき拘束に合っていた。

 眼前に立つは、一人の少女。

 どうやら顔採用というのは実際にあるらしい。前任よ。女の好みは会いそうだな。

 まあ、つまるところ、可憐なのだ。

 詩歌を夜に輝く月と喩えるならば、彼女は青空に凛と煌めく太陽だ。

 宝石をくり抜いたかの様な、大きな目。

 短く切り揃えた栗色の髪は、愛らしさをこれでもかといわんばかりに振りまいている。

 かといって化粧っ気もなく、目鼻立ちははっきりと、美しい。

 十人に問えば、まず八、九は美少女と答えるであろう。


「なにか弁明はある?」


 凛々しく、朗々と彼女は俺を詰める。


「俺は何もしていない!」


 事実だ。


「そうなの詩歌ちゃん?」

「なにもされてないわ。……まだ」


 てめえ。


「とりあえず、強姦未遂ということで……」

「待て待て! おかしいだろ普通に!」

「じゃあ、準強姦未遂……」


 痴漢冤罪の哀れな被害者は、こうやって生み出されていくのか。

 俺は現代社会の闇を知った。



「ごめんなさいごめんなさいほんとごめんなさい」


 平謝りだった。先程の威勢は何処へやら。

 あまりにも腹が立って、叔母さんに確認の電話を繋いでやった。

 受話器につけた顔がみるみる青くなっていくのは笑えた。

 我ながら大人気ないと、少し反省する。


「詩歌ちゃんもわかってるなら説明してよう」


 うん、それ俺も思った。


「ごめん、恭平くんを困らせたかったの。こいつ嫌いなの」


 淡々と詩歌が少女に謝っていた。全く誠意は感じられなかった。


「ごめんなさい! 新しい店長さん! 私ここしか働き口ないんですよー、辞めさせないでくださいー!」


 なんか必死そうな顔を見て、こいつ面白いな、と思った。

 表情がコロコロ変わるし、見ていて飽きない。感情にも正直で、裏表もなさそうだ。

 ……そしてなにより可愛い。

 信用に足る人間だな。しかし、情報を客観視して分析するのは苦手なようだ。


「辞めさせないかわりに、俺のいうこと一つ聞けよ」


 しかし、そういう人間は扱いやすくて、側に置いておくのはいい。

 すこし悪戯心が踊った。


「……はい! なんでしょうか?」


 仔犬のような顔をこちらに向ける。彼女は悪意というものを今まで向けられたことがないのか。

 ……少し、彼女の将来が不安になった。


「お前、今日から俺の奴隷な」

「はい! ……って、ええええええ!?」


 少女が大声で抗議する。

 隣の詩歌も驚きのあまり、口を金魚みたいにパクパクしていた。


「俺は、片倉恭平。明日からここで店長をやらせてもらう。さあ奴隷、お前の名前聞こうか」


 俺は絶対の自信を持って、不遜にて尊大に言い放った。



 奴隷の名は早広叶はやひろ かなえと言った。

 自己紹介というには一方的に、叶の情報を聞きまくった。

 歳は十八。シフトはディナータイムと土日。

 大学一回生。部活、サークルには所属せず。

 なんの因果か、俺と同じ大学だった。キャンパスでは絶対に会わないようにしよう、と心に決めた。


「おかしいですよう、なんで痴漢冤罪くらいで性奴隷決定なんですか〜」

「痴漢冤罪じゃねえよ。さっき強姦とか言ってたろうが」


 ついでにいうが、性奴隷などとは一言も言っていない。


「せっ、せい……」


 ほら詩歌が真っ赤になってやがる。可愛い。


「早広。別に俺はお前を夜の慰みものにしようという気はさらさらない。俺が店長、お前がアルバイトとして良好な関係を築ければ良い、と思っている」

「は、はあ」

「だが、お前が俺の仕事を阻むのであれば、容赦なく権限を行使しよう」

「ひ、ひぃ……」


 仔犬のように震えてしまった。とんだ悪役だな、俺は。

 悪役ついでに頼みたいことがあるんだ。


「ひとつ、お願いがある」

「はい……?」


 少し声色を変える。会話の流れを自分のものにする時、俺はよくこういうことをする。


「もうすぐ営業時間だ。早広、俺に仕事を教えてくれないだろうか」

「……いいですよお、でも、なんで詩歌ちゃんじゃなく私なんですか?」

「少しはなしたんだが、どうやら嫌われてしまったらしい」


 嘘はついてない。ただ、本当のことを言える程俺はこいつと親しくはない。

 ちらりと詩歌に目をやる。俺たちの会話は聞こえているのかいないのか、ともかく興味なさそうに。


「……私、オープンの準備してきますね。早広さんも着替えたらお手伝いお願いします」


 淡々と彼女は出て行った。


「怒っているみたいですね。珍しい、いったいどんな変態なことをしたんですか?」

「俺を変態キャラにするのはやめろ早広よ。さっきは何もなかったよ、少し口論になっただけだ」

「何かありまくりじゃないですか! まいったなー、詩歌さん機嫌悪いと、こっちやりづらいんですよね~」


 どうでもいいが時間やばいんじゃないのか、早広よ。



「……うう、これで、全部です……」


 本当に疲れたような声で早広が終わりを告げた。

 閉店後の控室。俺はまだアザレアカフェにいた。

 時計を見た。もう早広と四時間はここにいてる計算となる。


「ありがとう。施錠の仕方、機器の電源位置はもう聞いたから、帰っていいぞ」


 まあ、毒を食らわば皿までだ。

 簡潔にいえば、散々早広を酷使し、マニュアル内容の確認をしていた。

 ピークタイムこそ、俺でもわかる皿洗いや、会計などのフォローはしたが、客が引いたのを見計らい、詩歌に営業を任せてきた。

 代わりに早広には、マニュアルとともに、俺にトレーニングをしてもらった。

 簡単な調理、翌日の仕込み、機器の清掃、下げ物仕分け……。

 といっても、流石に全て終えるのは骨が折れた。実践はほどほどに、ある程度は斜め読みだが、まあ問題はあるまい。

 それどころか、どちらがトレーナーか分からぬほど、早広はへばっていた。


「情けないな。若いのに」

「はああ!? マニュアル1日で、それも四時間ちょいで一冊っておかしいですよう! 普通経験者でも一週間はかかるんですよ? あと店長もじゅうぶん若いですよう」

「問題無い。予備知識はあったからな。オーナーからあらかじめマニュアルをもらっていた。それを事前に読んでいただけだ」

「……読んだって、これ全部ですか?」


 早広が指した冊子の束は、全部で6冊あった。それぞれが、まるで辞書なみの厚さである。


「時間はかかったけどな。まあ、俺。ファミレスバイトの経験はあるんだわ」

「は、はあ……」


 早広は納得できない、という顔をしていた。

 とても感情がわかりやすいのは魅力のひとつだと思う。


「遅くまで悪かった。今日はありがとう。明日もまた、よろしく頼むな」

「……っ、わかりました。また、明日です」


 ストレートにお礼をいわれるのに慣れていないのか、少し早広は照れていた。


「ああ、また明日。ご苦労様」


 お疲れ様でした、と言おうとした早広の唇が、ふと止まった。


「店長、ひとつ、いいですか」


 まるで、俺にとっては至極当然な。しかし、ずっと疑問符があったようなしこりに早広は踏み込む。


「店長。あなたは、詩歌ちゃんのことは、なんで"名前"で呼ぶんでしょうか?」



「お疲れ様。遅くまで、相変わらず恭平くんは変わってますね」


 月明かりの中、彼女はいた。

 六年前と同じように、しかし、確実に違えてしまった関係を忘れさせるように、笑う。


「待っててくれたのか?」


 何を好きこのんで、深夜の街を少女がふらつくのか。

 もう少し気の利いた言葉は言えないのか。情けない。


「……ううん、決して会いたくは、ありませんでした」


 しかし、彼女から告げられたのは明らかな拒絶。

 当然だった。俺はそれくらいのことをこいつにした。


「今更、何をしに来たかなんて聞きません。言いたいのは、私とあなたは今日出会った。それだけです」

「それを伝える為に、待ってたのか?」


 雪が降ってきた。こんなにも優しく、冷たい。

 彼女は無言の肯定をした。いいのか、俺がその救いを得ても。

 忘れてもいいのか。過去の罪を。


「……詩歌」


 幼馴染みの名を呼んだ。


「これから、よろしく」


 六年ぶりの再会。

 俺の声は、寒さのせいか、震えて、泣きそうだった。


「ええ、こちらこそです」


 泣きながら、詩歌も笑った。


 アザレアカフェは、今日から始まる。

 噛み合ったように見えた、しかし確実に不安定な歯車が、軋みをあげて動き出すのが俺にははっきりと見えた。


 一話「アザレアカフェ」完

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