三話「アザレアの花言葉」⑩
少し平和。
日常回難しいいいい
◆
「おう、お疲れさん、店長」
「こんばんは~! 店長どこいってたんですか~?」
二人の声が暖かかった。
榊と早広。文句をいうまでもなく、声をかけてくれた。
二十時を少し回った。もうピークは過ぎたのか、閑散とした店内を見渡す。
「店長……」
早広だった。
子犬のようにこっちに寄ってくる。
漆黒の制服がはためいた。健康的な太ももに思わず目をやる。
いやいや、そうじゃなくて!
「おう、今帰った。急用ができて、榊に代わってもらったんだ。任せてすまない」
早広は、とんでもないです、とぶんぶん手を振る。
「あー、大丈夫です! 私馬鹿だけど、店長が何をしようとしているのかくらい、だいたいわかりますよ! 詩歌ちゃんのこと! よろしくお願いします!」
客席に響く声。
何人かの客が何事かとこちらを見ていた。
やめろやめろ、恥ずかしい。
「わかったわかった、詩歌の件は任せろ。それよりも、何か手伝うことはあるか?」
誤魔化すように話題を変える。
ストレートにに言われるのは、慣れない。
「えーと、営業はだいじょうぶなんですが、閉店作業のほうが、まだ全然手付かずで……」
「オーケー分かった。営業はそのまま任せるぞ。俺は作業の方を進めていく。早広、休憩は大丈夫か?」
このペースでは二十二時をまわるだろう。
俺の提案に早広は。
「だいじょぶっす!」
太陽のように、軽やかに笑う。
ありがとう。
礼を言って、業務に戻る。
「俺には聞いてくれねえのかよ!!」
キッチンから抗議の声。
うるせえ。レディファーストだ。
◆
さすがに榊の動きが目に見えて鈍ってきたので、十五分の煙草休憩をやった。
俺、優しい。
休憩から戻ってきた榊は、倍のスピードで、業務をこなし始めた。
「煙草すげえ……」
とんだチートアイテムだ。
榊を見て、つぶやいた俺に早広が、ぼそっと一言。
「煙草吸ってるから、数時間ごときでへばるんですよ……」
なるほど至極正論だった。
哀れ榊。
つつがなく、閉店は終了した。
「お疲れ様。榊、ありがとうな」
「たまたまだよ。たまたま休みだったんだ」
照れたように顔をそむける榊。
先程からうるさく鳴り響く、携帯のバイブレーション。
榊の携帯だった。
男のツンデレは気持ち悪いと思います、はい。
「で、どうだったんだよ」
「親父と会った」
「……は?」
「そのまま戦闘になって、劣勢になったから、やむを得ず離脱した」
「何してたんだよ……」
呆れたように榊が言うが、事実は事実なのだ。
嘘をついても仕方あるまい。
「榊、何点か聞きたい。お前、詩歌の親父に会ったことはあるか?」
「あ、ああ。今朝話しただろう。半年前だ。やくざみたいな男だった」
「それより前に会ったことは?」
「……? いや、ないな」
怪訝な顔をする榊。
何故そんなことを聞くのか。
一応の確認だ。今夜仕掛けることは、間違えました、じゃすまない。
「そうか。なら母親は? 会ったことは?」
「あ、あるぜ。最寄りのスーパーが一緒なんだ。瑞原さんと母娘で買い物する姿をよく見たな」
榊の逡巡を、俺は見逃さなかった。
目線が左上を向いた。これは過去の体験を思い出している。
少し鼻を擦った。躊躇いのサイン。
「過去形なんだな。最近は? 見てないのか?」
「ああ、……瑞原さんの母親なんだが、これも今朝言ったとおり、少し、こう、精神的に参ってるみたいでな、最近はあまり出歩かないらしい」
そうか、やはり。
打ち消したかった最悪の想定は、どうやら現実であるらしい。
「具体的にはいつから会っていない?」
「ひと月程……いや、三週間か。最後にあった日は、瑞原さんのことを少し話した日だから覚えている」
「わかった、聞きたいことは以上だ。ありがとう榊」
「おい店長、何に気付いているんだ? 俺にはさっぱり……」
扉を開ける音。
早広、ナイスタイミングだ。
「おまたせしました~!!」
紅茶とシナモンの香りが控室に広がる。
俺はすっかり彼女お手製チャイの虜になっていた。
疲れた頭と身体に糖分はいい。
「店長、聞いてるのか……?、何これうめえええええ!!」
「な、そうだろ、そうだろ! これ絶対売れるぜ!」
興奮して叫ぶ俺達。
余談ではあるが、夜中である。
「あはは、廃棄品なんでむりですよ~」
お客様用の紅茶。早広はその出枯らしを丁寧に集めている。
当然二杯目なので、甘み香りよりも先に、渋みが来る。
絶妙な淹れ具合と、シナモン、ミルク、クリーム、シロップの配合がなければ、とても飲めるものでは無いはずだ。
まさに、神業だった。
榊はうまいうまいと言いながら、携帯に目をやる。
鬼電コールに表情が固まっていた。
そのまま面白い顔をしながら、携帯を持って、慌ててBYに出て行った。
笑いを堪えるのに苦労した。
「店長……。榊さんに代わってもらって、少しひどいとおもいますよ……」
じい、と俺を見る早広。
彼女はいつも正論だった。
反省。