三話「アザレアの花言葉」⑧
三話長い……ほんとうに長い……。
伏線貼りまくってますが、なんとかエタらずに、風呂敷たためるよう頑張ります!!
公園のベンチに座り一息をつく。
先ほどコンビニで買ってきたコーヒーの香りが、昂った気分を落ち着けてくれた。
アザレアカフェで淹れたコーヒーには敵わないが、やはり淹れたてというものはいい。
自宅で飲むならほぼインスタントの俺にとって、この香りは癒やしそのものだった。
詩歌と別れてから、まだ三十分も経っていない。
店舗に戻る気はなかった。
名残惜しむように、コーヒーを最後の一滴まで飲み干す。
「さて」
誰に告げるまでもなく、独りごちた。
気持ちを切り替えるのに、言葉は充分なトリガーとなる。
「ご開帳っと」
いうまでもなく、今から行うのはれっきとした犯罪行為である。
電信柱の根本。
残っていた五つのゴミ袋全てを持ってきた。
近隣に住宅は十件。
瑞原宅の廃棄物という保証はないが、いてもたってもいられなかった。
「うわ……臭え」
最初の二つは生ゴミだった。
腐臭に悪態をつき、次を開ける。
「ビンゴ……」
――躑躅工業社内誌送付のお知らせ。
「瑞原郁夫様……」
詩歌の父親の名前だ。
まさかこんなに早く見つかるとは。
スマートフォンで住所を調べる。
「だいたい五分くらいだな」
意外と近かった。
残ったゴミも確認を済まし、公園のゴミ置き場に放り込む。
少し溢れているが、まあいいだろう。
やはり店には帰れそうにない。
榊には後で謝っておこう。
◆
躑躅工業は、躑躅市をに本社を置く、中小企業である。
伸線、螺子をメインとして、機械部品にも明るい。
市内に三つの工場を持ち、従業員数は百を超える。
「ここか」
つん、と。
嗅ぎ覚えのある臭いが鼻をつく。
確信を持って、俺は進んだ。
「こんにちは~」
機械の音に掻き消されてしまう。
先程からせわしなく動くおっさんどもは、こちらを一瞥し、無視を決め込んだようだ。
愛想ねえな。
「こんにちは~!!」
大声で叫ぶ。
気付いてんだろ。
早く来いよ。
「……なんやガキ。いま忙しいの見てわからんか」
どすの利いた声。
俺の二倍はあろうかという図体。
太い腕、広い肩幅。
金色のトサカのような髪型が、威圧感を醸し出していた。
なにより異様なのはその目つきだ。
こちらを図るような視線。
ねめつくような、不快な、眼。
明らかにカタギの人間ではあるまい。
「すいません忙しいとこ。瑞原さんはおられますか?」
「わしが瑞原や、知らん顔やなお前、何の用事や」
なんと、こいつだったのか。
詩歌と似ても似つかぬ容姿。
おかしいな。六年前には、お互い顔を合わせているはずなのだが。
詩織の葬式を思い出す。
土下座して両親に詫びた。
とても顔を見れなかったが……
あの時、俺を慰めようと肩に置いてくれた手は、こうも獣じみた掌だったろうか?
「おう、何か喋れやガキ」
肩を掴まれた。
煙草臭い息が鼻につく。
「申し遅れました。私はアザレアカフェの店長。片倉恭平と申します」
「お前が店長? 前会った奴と違うぞ」
「はい、ついこの間、着任させていただきました」
「ほう、で、何の用事や?」
実の娘が通う職場の長が来てもこの態度か。
表情が映し出す感情は侮蔑。
俺のことを人と見なしていない。
「実は瑞原……詩歌さんなのですが、先ほど体調不良で、早退されまして……」
口ごもるように、事実を告げた。
しかし。
「そうか」
瞳には何の感情もなかった。
どこか遠くの国のニュースを見るような。
そんな、目。
……怯むわけにはいかない。
「お父さん。詩歌さんの体調不良の原因、何かご存知でしょうか?」
さあ、どう返す。
「なあガキ」
突如。
鳩尾に強烈な衝撃。一瞬呼吸が止まった。
遅れて来る痛み。
「……かっ、は」
殴られた。そう気付いたのは数コンマ後。
攻撃の予兆は全くなかった。
通常、大多数の人間は、人を傷つける時身体のどこかには力が入るものだ。
呼吸、目線、筋肉の動きで次に来る動作がある程度予測できる。
俺はその能力に長けていた。こと対人戦では勝てない事はあれど、敗北は無かった。
しかし、いまの攻撃に気配は全くなかった。
まるで、服についた埃を払うような気軽さで。
俺は急所に一撃を貰った。
「何がいいたいんや。いらんこと探ろうとしてへんか、ああ?」
胸ぐらを掴み、そう脅す。
「……、っ、あんたのせいだと認めているようなもんだぜ、糞野郎ッ!」
二度目を貰うほどお人好しではない。
顎を狙った蹴りを、両腕を交差させて受けた。
完全に殺したつもりだったが、ウェイトの違いか、腕の感覚が消えた。
周りを見るが、誰も止めに来ない。
それどころか、我関せず、といった立ち振舞い。
この暴力に、日常的な気配を感じた。
この男、素人ではない。
「威勢だけはええのう。でも、腰はひけてるぞ」
「気のせいだよ。ああ、そうだ糞野郎。詩歌の母さんは元気か?」
獣の頬がピクリと震える。
――俺は、知っているぞ。
「何が言いたい」
「いや、何にも。ただ、詩歌がまた倒れるようなことがあれば、少々調べさせてもらうぜ」
しかしまあ、わかりやすい殺意が顔に浮かんでいた。
防御を続けるうち、工場の奥の奥。事務所まで、俺は追い込まれていた。
武器になりそうなものを探す。
しかし、あるのは百キロはあろうかという、積み上げられた鉄パイプの山。
ああ、使えねえ。
あとは、テーブル、パイプ椅子、灰皿、消火器……。
「まずいな……」
唇を噛む。窮地を脱出できそうなものは無かった。
思い出すのは、彼女の顔。
俺に全てを教えてくれた存在。
今はなき、彼女――。
考えろ。
思考を止めるな。
彼女なら、どうしていた……?
「詩織……!」
獣の太い腕が止まった。
かあ、と目を見開き、叫ぶ。
「糞餓鬼がああ!! 気安くその名をよぶなああ!!」
怒りに任せての鉄拳は、大振りになり、躱すことは容易だった。
背後に周り、消火器を手に取る。
ピンを抜き、ホースを向ける。
狙いを定め、レバーを握った。
勢い良く空気の抜けるような音がし、あたりは薄紅色の煙幕に包まれる。
風向きは計算していた。
工場内を這うように走る冬風は、奥の事務所が終着点だ。
俺はそのまま勢い良く出口へと走る。
背後から振りかかるは悍ましい声。
俺への殺意が溢れていた。
「ありがとう、詩織」
息を切らしながら、彼女へ。
名前を呼べば、少し心が満たされたような気がした。
外へ出る。
冬の夜は早い。
あたりは闇に包まれていた。
爛々と工場の明かりと、無機質な機械の駆動音が、薄気味悪かった。
店舗へと向かう帰り道。
思い出すのはやはり彼女との記憶だった。
◆