三話「アザレアの花言葉」⑥
「終わった……」
控室のテーブルに突っ伏し、俺は唸る。
いや、ホントに疲れた。
相も変わらずとんでもない忙しさだった。
「だらしねえなお前」
呆れたように、対面に座る榊が言う。
時刻は十四時すぎ。仕事に多少慣れては来たのか、昨日よりは片付けに手は取られなかった。
「お疲れ様です……」
がちゃり、と控室の扉が開く。詩歌が入ってきたのだ。
「……大丈夫か」
やはり少し顔色が悪い。
営業中は気力でなんとかしていたのか、今はふらつくように歩いている。
大丈夫じゃないのは明白だった。
目は少しぼんやりしていた。
「……あ、すみません……」
だいぶ遅れて詩歌が返す。会話になっていなかった。
目で榊に合図する。彼は黙って頷いた。
昨日と同じだ。
状況は何も改善しちゃいない。
「今日は帰れ詩歌、家まで送る」
淡々と俺はそういった。
とても仕事はできまい。
しかし彼女は。
「……ふざけないでください、誰がかわりに営業するんですか」
仕事ならできます、と頼りない声でそう言う。
少し横になってれば大丈夫です、と。
ちっとも平気じゃなさそうに。
「だめだ、瑞原さん。店長の言うとおりだ、とても見てられない」
榊が悲痛な声でそういった。
「榊もこう言ってる。誰が見てもやばいぞお前。かわりなら俺がする。夕方になったら早広も来る」
「……あなたに私の代わりがつとまりますか。仕事もまだおぼつかないくせに」
詩歌はそう言うと、控室を出ていこうとする。
明らかな、拒絶。
朝の態度が嘘のようだった。
「客席で休んできます。店長と同じ空気を吸いたくありません」
どうして。
どうしてそんな。
悲しそうに俺を罵倒するのか。
「あなたが足手まといだから、余計に疲れました。もう放っておいてください」
そう詩歌は、俺から離れようとする。
しかし。
「っ、…………っ」
ふらつく足が縺れ、倒れ込みそうになる。
すかさず詩歌を支えた。
そのまま脱力したかのように、倒れこむ詩歌を抱く。
「榊! 詩歌を家まで送ってくる!」
「……オーケーわかった。そのまま帰ってくんな」
呆れるようにそういう榊。
店はどうすんだよ。
「今日は現場休みだ。ディナーも任せろ」
バレバレの嘘だった。悪いが甘えることにする。
ひとつ、貸しができたな。
「すまない」
「瑞原さんを頼むぞ」
「おう」
榊は笑って控室の扉を締める。
SAに詩歌と二人になった。
あいつマジで良い奴だ。
帰りに煙草でも買ってこよう。
「……何勝手に納得してるんですか、帰りませんし、働きます」
「ふざけんな。帰らせるし、働かさない。店長命令だ」
「何を都合のいい……」
しかし詩歌は譲らなかった。
もぞもぞと俺の手から逃れようとする。
「我が侭言ってるのはお前だ、詩歌。黙って甘えとけよ」
「私の体がどうなろうと私の責任です」
その言葉に。
ぷちん、と。自分の中で何かが切れた。
何を。
何を言っているのか。
もう、失わせるなよ。
俺から、何も。
少し怯えるように詩歌の瞳が揺れる。
自分の表情がこわばっていたことに気づく。
「……すまない。もう誰も失いたくない」
暗い声。
自分自身から発せられたとは思えないほど、重く、暗く。
思い出したくない深い扉を。
ごんごんと叩く音が。
もうやめてくれ。
「……恭平くん」
ぎゅ、と。
詩歌が俺を抱く。
実際はたから見れば俺が詩歌を支えているのだが、しかし、折れそうな俺の心を彼女は繋ぎ止めてくれた。
縋るように腕に力を入れた。
淡い香りが心地よかった。
「ご、ごめんなさい、少し、痛いです」
赤くなった顔をごまかす様に、慌てて詩歌はそう言った。
強く詩歌を抱く格好になっていた。
「悪い」
「……離してくださいよ」
「家に帰るのなら」
強く、彼女の手を握っていた。
目を見て、言った。
「詩歌が心配だ。家まで送らせてくれ」
何かを悟ったかのように詩歌は。
「……わかりましたよ……」
真っ赤になった顔で、か細い声でそう言った。
目は合わせてくれなかった。