潮風の贈り物<前編>
挿絵はhimmmel様にいただきました。ありがとうございます!
二日ほど前に、アーガトラム王国は海の妖精リールが司る下期に入った。
火の月。火の妖精サマラが象徴であるこの月は、火を扱う職人たちの祭事が行われる月でもある。火を扱う職人といえば、鍛冶職人から料理人までさまざまであるが、炉を持つものはいずれも火の月には炉やかまど、厨房に火の妖精が好むというナナカマドの枝を飾り、彼女を讃えるのであった。
今日も、常春の国、ティル・ナ・ノーグはよく晴れている。
青果店のおかみ・メリルは、仕事が一段落したところで、毎日のように顔を出している菓子店にやってきた。
「いらっしゃいませ! あ、メリルさん、こんにちは」
柔らかそうな赤毛をふわりと揺らして、店主が朗らかに迎える。
優しげな濃褐色の瞳ににこやかな笑顔。元々かわいらしい印象の彼女が、最近とてもきれいになったとは、常連客の間で密かにささやかれている噂である。
メリルは店主にあいさつを返して、まっすぐカフェコーナーに向かう。指定席のようになっている窓際の席につこうとすると、頬杖をついて溜息をつく補佐官がいた。
「何、しけた顔してんだい、エメリッヒさん」
「あぁ、どうも」
せっかく話しかけたのに、男はちらりとメリルを見ただけで、またぼんやりと視線をさまよわせる。そして、
「はあぁぁぁ」
と、盛大な溜息をついた。
「一体なんだっていうんだよ。そう不景気な顔をされちゃ、商売の邪魔だよ」
「だぁってねぇ。ほら、あれ」
エメリッヒが、顎で販売カウンターの方を指し示す。そこには楽しそうに会話をする、この店の店主と彼の上司の姿があった。
「くっついたらくっついたで、どうにもつまらないものですね。あーぁ」
はぁ。
また溜息をつく。どうやら、からかう対象がいなくてつまらない思いをしているのが、この溜息の原因のようだった。
「わがままなお人だね。素直に祝福してやれないのかい?」
「祝福? ハッ。
幸せそうな分隊長なんて、見てても何もおもしろくないですよ。
あぁ、何か一波乱ないかなぁ」
うーん、と伸びをするエメリッヒの前に、メリルは呆れた顔をしながら腰かけた。
「まったく、ほとほとクラウス様が気の毒になるよ。初めが肝心なんだよ。あったかく見守ってやんな」
「温かく、ですか。
……そうですね。せっかくだから、最善をつくしてみましょうか。おりしも明日は……くくっ」
にやりとエメリッヒが笑う。その視線の先では、新しく入ってきた客に応対を始めるコレットと、そんな彼女に手を振って、カフェコーナーに歩いてくるクラウスがいた。
「またなんか悪だくみをしてるだろ。
アンタ、ほんと性格悪いね」
「おほめの言葉と受け取っておきますよ」
クラウスが会話を切り上げたのを見て、エメリッヒも席を立つ。雄々しく精悍な顔つきをし、騎士然としたクラウスと、口を閉じてさえいれば美男子といっていいエメリッヒが連れ立っていると、非常に目立つ。女性客の視線を集めながら、二人は市中の見回りへと戻って行った。
「エメリッヒさんが、そんなことを?」
客が途切れたところで、お茶を淹れたコレットがメリルの向かい側に腰かける。
「そうだよ。ほんとあの人はいたずら好きだからね。気をつけな」
「くすくす……。そうですね。わかりました」
気を付けると言っても何を気を付けたらいいかわからないが、とりあえず隣人の親切な忠告にコレットはうなずく。
「アタシも人のこと言えないけどさぁ。エメリッヒさんが邪魔しようとしたら、全力で止めてやるからね。困ったことがあったらいつでも言いな」
「はい」
ころころと、コレットが笑う。娘とも思っている彼女の幸せそうな様子にメリルが目を細めていると、コレットの笑顔がふと曇った。
「どうしたい? 何か心配事があるのかい?」
「……いえ、なんでも」
「なんだよ、水くさいね。困ってることがあるなら、遠慮なくいいな」
メリルが言うと、コレットは頬に手を当てて視線をそらせた。少し迷ってからふるふると首を振るその耳が赤い。
「クラウス様とのことかい?」
「客に何か言われたとか?」
「けんかでもしたのかい? さっきは仲よさそうだったけど」
コレットを案じたメリルが、矢継ぎ早に問いかける。コレットはそのすべてに首を振り、顔を上げて微笑んで見せた。
「ご心配ありがとうございます、メリルさん。なんでもないんです」
「なんでもないって感じじゃないけど」
「ううん、本当に大丈夫です。ちょっと、私が欲張りなだけなの。だめですね。一つ望みがかなうと、すぐ次が欲しくなっちゃうんです」
“コレットの菓子工房”の看板商品といえば、なんといってもだが、他にも看板商品が欲しいということだろうか。“ニーヴを讃える花”以外の商品も十分人気があると、メリルは思うのだけれど。
「? お菓子のことかい?」
「ふふ。お菓子もそうですね。あ、お客さん」
メリルはなおも聞こうとしたが、店の扉に映る影に一早く気づいたコレットは、ドアベルが鳴る前に立ち上がる。そしてメリルに目礼をすると、カウンターへと戻ってしまった。
「お菓子もってことは、やっぱりクラウス様とのことだよねぇ。あぁ、もうはっきり言ってくれないから!
じれったいったらありゃしない!」
メリルは、客の対応をするコレットをやきもきしながら眺める。続きを聞きたいが、後から何人かの客が続き、メリルも店に戻らなくてはならない時間になってしまった。
「また来るね。お茶、ごちそうさま」
「はい。あ、そうだ、メリルさん。明日の分の林檎、少し多めに持ってきていただきたいんです。ホールのケーキのご予約があって」
「あいよ。いいの見繕ってくるからね。まかせときな」
カラランと鳴るドアベルを背に、メリルは自分の店へと戻る。夫と共に伝票の整理をし、明日の仕入れの確認をしていると、ふと明日は菓子工房の定休日であることに気が付いた。
「定休日にケーキの予約? 配達でもするのかね。働き過ぎだよ、まったく」
それよりせっかくクラウスと相愛になれたのだから、もっと二人の時間を持てばいいのにとメリルは思う。
もっとも、恋におぼれて店を潰しては、生活が成り立たなくなってしまうが。
「コレットちゃんのお悩みも、そんなところなのかね。うん、恋と仕事の両立は大変だからね。
はてさて、アタシにできることはなんだろう……」
「おまえ、さっきから何をぶつぶつ言ってんだ。夕飯は? 腹ぁ減ったぞ」
「はいはい。今作るから! ったく、うるさいねぇ」
ぱたんと帳簿を閉じて、メリルが台所に向かう。
夕闇のせまるティル・ナ・ノーグの街では、そこかしこの家から炊事の煙が立ち昇り始めていた。
リンゴーンンン
予約品のケーキを持って、コレットは指定された家のドアベルを鳴らした。街の一画にあるその家は、カーテンが閉めきられており、しばらく待っても物音ひとつしなかった。
「ここで……いいのよね?」
不安になったコレットは、予約の際に書いてもらった住所を確認する。間違いはない。住所も時間も合っているし、代金もすでに受け取っている。単に少しでかけているだけなのか。それにしてはやけに静かだ。
「どうしよう」
大きなケーキの箱を片手に、コレットは途方に暮れる。このままここで待つべきか。近所の人に、何か知らないか聞いてみるべきか。
「どうしよう」
コレットはもう一度つぶやく。
彼女が焦っているのには理由があった。店の定休日ということで、このあとクラウスと出かけることになっていたのだ。一緒に昼食でもという話だったので、配達をしてから出かける準備をしても十分約束に間に合うと踏んでいた。けれども、これではまた待たせてしまうことになる。
「おうちの前に置いて行ったら……だめよね。お隣さんに預けようかしら」
左右の家をのぞくように、コレットがうろうろする。道行く人がいるなら尋ねてみるのだが、運悪く、こんなときに限って人がまばらだった。
リンゴーンンン
コレットは、もう一度ベルを鳴らしてみる。やはり返事はない。一度店に戻って、クラウスに連絡を取ってから来るか。コレットがそう思って帰りかけたとき、後ろから突然呼び止められた。
「コレット?」
驚いて振り向くと、そこには当のクラウスが立っていた。隊服とは違う黒っぽい長衣に太めのベルトを二重にし、腰には剣を帯いている。仕事中というわけではなさそうだが、散歩というにはここはただの住宅街であり、宿舎からコレットの店に来るにも遠回りな場所だった。
「クラウス様! どうしてここに?」
「分隊の奴らに呼ばれて……。君は?」
「私はケーキのお届けなんですけど、お留守のようなんです」
「む」
コレットが手にしているメモを、クラウスが覗き込む。記された住所は確かにこの家であり、クラウスが呼び出されたのもここだった。
「あああ、あの、いくら呼び鈴を鳴らしてもお返事がないので、帰ろうとしていたところだったんです。もしかしたらお店の方に何か連絡が来ているかもって思って」
「? あぁ」
不意に近付いた顔に、コレットが赤面する。急にわたわたとしはじめたコレットに、クラウスが不思議そうな顔をしていると、突然がちゃりと鍵が開く音がして、家の扉が勢いよく開いた。
「「「分隊長! お誕生日おめでとうございます!!」」」
「!」
ぱぁっとちぎった花びらが散らされる。
咄嗟にコレットをかばったクラウスの頭に花びらがつもり、腕の中に閉じ込められたコレットは先ほどとは比べ物にならないほど、顔や耳、首筋まで朱に染まった。
「さぁ、どうぞ、お入りになって!」
満面の笑顔で飛び出してきた分隊員たちは、睨みつけるクラウスをものともせずに、強引に家の中に誘う。そこはすでに飾りつけがなされ、部屋の中心にあるテーブルにはいくつもの大皿料理が並んでいた。
「コレットさん! ケーキはこちらです」
「あ、はい。
え、お……誕……生日? クラウス様の?」
料理の並ぶテーブルの真ん中にぽっかりと空けられた場所。そこに持ってきたケーキを置いて、コレットは隣に立つクラウスを見上げる。
コレットに見つめられたクラウスは、自分の顎をさすって気まずそうに目を逸らした。
「やだ、私ったら、知らなくて……!」
「いや……」
「やっぱりぃ。分隊長は言ってないと思いました」
赤くなったり青くなったりしながら冷や汗をかくコレットに、分隊員の一人が説明をする。曰く、クラウスの誕生会をする気だったこと。その日は菓子工房の定休日だったから、コレットも呼ぼうとしていたこと。ケーキはやはりコレットに頼みたいと思ったが、どうせなら秘密にして驚かせようとしたこと……。
「ここ、宿舎の食堂のおばちゃんの親戚の持家なんです。ケーキの予約に行ったのはそこの娘さん。
今日は家族で出かけるからって、一日貸してくれたんですよ」
「そうだったんですか」
ドアベルを鳴らしても反応がなかったのは、クラウスが到着するまで息を潜めていたからであり、二人の話し声がしたところで、扉を開けたのだという。
「でも何が大変だったって……なぁ?」
「あぁ。あの人だよ、あの人」
「あの人?」
顔を見合わせる分隊員に、コレットが小首をかしげる。
「十八分隊、こういう企画が大好きな人がいるんですけどね、ぜええぇぇっっったい邪魔したりチャチャを入れたりするんで、いかにあの人に秘密にするかが大変でした」
「邪魔っつーかさ、よかれと思ってやるのかもしれないけど」
「うん、途中でちゃめっけが出ちゃうんだよな」
それはたぶん、メリルも言っていたあの人のことで。言われて見回してみれば、にこにこしながらコレットたちを取り囲む分隊員の中に、かの補佐官の姿はなかった。
「あの……。それで、その方は今どちらに?」
「へへっ、途中で勘付かれかけたんで、違う場所を教えときました」
コレットは「まぁ」と言って口元を押さえる。その隣で、クラウスは額に手を当てて天を仰いだ。
いればいたでうるさいエメリッヒだが、この手のことで仲間外れにされたとなると、とたんに拗ねる。ネチネチと、あとまで何度でも嫌味ったらしく言い続ける彼のご機嫌をとるのは、クラウスの仕事になるのだ。
「今からでもいいから、呼んでやれ」
「えぇ!? せっかく撒いたのに」
「補佐官呼んだら、分隊長たち、好き放題からかわれますよ?」
「俺ら、早めに退散して、あとはお二人でゆっくりしていただこうと思ったんですけど……呼んじゃっていいんですか?」
心配そうに言う分隊員たちに、クラウスは一つ一つうなずいてみせる。分隊員たちの申し出も気遣いもうれしいが、いくらなんでも十八分隊の分隊員のうち、彼以外の全員がそろっているこの場に呼ばないのは酷というものだろう。クラウスがそう言うと、コレットもまたこくこくとうなずいてみせた。
「そうですか……。まぁ、お二人がそう言うのなら……」
クラウスとコレットの意向を受けて、エメリッヒを呼びにいくことにした分隊員たちだったが、今度は誰が呼びにいくかで一悶着あった。「集合場所を間違えた」などと言ったとて、無傷で済むとは思えなかったからだ。
しばらくしてあらわれたエメリッヒは、一同の予想に反して、にこにこと笑っていた。
戦々恐々として彼が来るのを待ち構えていた分隊員たちは、不気味な笑顔にかえって顔を引きつらせる。クラウスも、エメリッヒがてっきり不機嫌になっていると思っていたので、不思議に思って問いかけた。
「……どうした」
「何がです? 分隊長は、上司思いの部下をもって幸せですね。俺も自分の日頃の行いは十分わかってますから、彼らの気持ちはわかりますよ。
いえいえ、怒ってなんていません。誕生日、おめでとうございます。三十三です? あれ、四?」
「三だ」
「あ、そっか。俺今度三十一ですもんね。俺のときは、除け者にしないでくださいよ? サプライズなら大歓迎ですけど」
にこにこにこ。
エメリッヒは終始笑顔である。その笑顔を、なんだ、対して気にしていなかったのかと素直に受け取ったクラウスは、分隊員が勧めてきた飲み物を口にする。
「ぬ」
何気なく飲んで、それがいつもコレットの店で飲み慣れている花茶であることに気づいた。
「コレットさんが淹れてくださったんです。予約のサービスで持ってきてたんだそうで。昼間から酒というわけにはいきませんから、嬉しいですね」
他にも冷茶やフレッシュジュースなどが用意されており、思い思いの席について、飲み物が全員に行きわたったところで食事が始まった。
分隊員たちから祝いの言葉をかけられたクラウスは、誕生日を祝う歳でもないと苦笑する。
「コレットさんは? お誕生日いつですか?」
「私ですか? えっと、こちらの言い方だと、水の月の半ば頃になります」
分隊員の一人が、コレットに話しかける。それをきっかけに、皆口々に自分は氷の月だ、俺は土の月だ、誰と誰が同じでどちらが何か月年上だなどと好き勝手なことをしゃべりだした。
「すまない」
「え?」
分隊員たちがそれぞれで話し始めると、クラウスが隣に座るコレットにぼそりとつぶやいた。出かけるはずだったのに、こんなことに巻き込んでしまってすまない、ということらしい。
「いえ、そんな。私もまぜていただいて嬉しいです。でも何も用意していなくて……」
クラウスの誕生日だと知っていれば、何か贈り物を用意した。好みはまだよくわからないが、彼の喜ぶものはなんだろうと考える時間も、楽しかったに違いない。
しかしクラウスにしてみれば、分隊の仲間に囲まれて、コレットの作ったケーキがあって、コレット本人も隣にいて……という状況は、これ以上望むものなど何もない。それを、うまく言葉にして伝えることはできないのだけれど。
「あれ? 分隊長、今笑いました?」
「え! 何、何、本当?」
「分隊長の笑顔!? 激レア!」
「俺、見なかった」
「俺も見てない」
「分隊長! こっち向いてもう一回笑ってください」
「いいから食え」
いつのまにか緩んでいたらしい頬を引き締めたクラウスは、騒ぐ分隊員たちにコレットが切り分けたケーキを取るように言う。
宿舎の食堂のおばちゃんの親戚の娘さんの注文は、「果物をたくさん使った豪華なもの」だった。ケーキの種類の指定はなかったため、コレットは果物がたくさん乗せられるタルトレットにした。
さくさくのタルト生地は縁取りが美しい波型になっていて、中にたっぷりのカスタードクリームが敷いてある。コレットは、店が定休日で少し余裕があったため、いつものカスタードクリームに一手間加えて、ホイップクリームと蒸留酒を混ぜた。ざっくりと混ぜられた二つのクリームは場所によって違う味わいとなり、二重に楽しむことができるようになっていた。
その上に山ほど盛られた果物たちは、一番外側が真っ赤な苺。粉砂糖が振りかけられ、白く薄化粧をしている。タルトの土台からはみ出すように乗せられた黄金林檎は、わざと皮を残して飾り切りがなされ、木の葉が薄く重なったような形になっていた。中央には薄黄、橙、ピンクの色合いの異なるオレンジ類が交互に並べられ、ラズベリー、ブルーベリー、レッドカラントが散らされている。また、ところどころに蝶のような形にひねられた檸檬のスライスが乗っており、とても華やかだった。
崩すのが惜しいほどに美しく飾られた果物たちは、そのどれもがきらきらと輝いていた。艶出しと果物の固定のために塗られたナパージュによるもので、全体のバランスを邪魔しないように、甘みを抑えて爽やかな味に仕上がっていた。
大きなホールのフルーツタルトレットは切り分けるのが難しそうだったが、そこはさすがに職人である。コレットは迷いなく切り分け、こぼれた果物も皿に見目良く飾って、きれいに取り分けた。
「うわ、すっごい、うまそう!」
コレットが皿を配るのを、分隊員たちが手伝っていく。エメリッヒもまた立ち上がり、コレットが箱や小刀を片づけるのを手伝った。
「あ、エメリッヒさん、ありがとうございます」
「いいえ、せっかくのお休みに、分隊員たちにつきあわせてしまってすみません」
「ふふ、それさっきクラウス様もおっしゃってました」
「おや」
「でも、クラウス様にもお話したのですが、私、みなさんに混ぜていただいてすごく嬉しいんです。分隊員のみなさんって、いつも本当に仲が良くて楽しそうになさってるから、いいなぁって思ってて」
「そうですか? 馬鹿騒ぎしてるだけですよ」
「くすくす。そんなことないです。エメリッヒさんとクラウス様も、お互いのことをすごく信頼し合ってる感じがいいなと思います。私なんてお誕生日も知らなくて……」
「それは分隊長が言わないのが悪いんです。もしかして、コレットさんのお悩みはそのあたりですか?」
「えっ」
「メリルさんが心配してましたよ」
エメリッヒが分隊員に嘘を教えられて出かけた先は、メリルが仕入れにいっている市場のそばだった。偶然会って立ち話をする中で、何やらコレットが悩んでいるらしいことを聞きつけたエメリッヒである。
「分隊長、自分のことあんまりしゃべりませんからね。俺らは付き合いが長いからそれなりに知ってるだけで……。いっそのこと、分隊に保管してある分隊長の履歴書、こっそり見せてあげましょうか?
出身地から家族構成、スリーサイズに至るまで、全部わかりますよ」
「そ、それは」
どんな些細なことであろうと、好きな人のことなら何でも知りたいのが乙女心である。贈り物も、服のサイズがわかれば選びやすい。布地を選んで自分で作ることもできる。それでも。
「自分で……聞きます。そんな、覗き見みたいなこと悪いですし、し、知りたいですけど、やめておきます」
「ははっ、そうですか。見たくなったらいつでも言ってくださいね。
十八分隊は気のいい奴らばっかりで居心地いいですけど、あの人を微笑ませられるのはコレットさんだけだと思いますよ。自信持ってくださいね」
「ありがとうございます」
エメリッヒに褒められて、コレットは頬を染める。いつも一緒にいる分隊の面々に向ける顔とは違う表情を、自分にだけ見せてくれるのだとしたら嬉しい。
「っと、あんまりコレットさんと話してると、分隊長に怒られちゃいますね。気付いてます? さっきから気にしてるんですよ」
エメリッヒに言われ、コレットが小刀や布巾を邪魔にならないところにおいて振り向くと、碧の瞳と目が合った。ばつが悪そうにそらされた視線に、エメリッヒがくすくすと笑う。
「くくっ、でかい図体してかわいいですよね。最初、分隊長があんまり楽しそうにしてるんでちょっかい出してやろうかと思いましたが、やめました。あの人の機嫌がいい方が、仕事がはかどりますからね。それより、俺を除け者にしようとした分隊員どもに、どんな仕返しをしてやろうかと考える方がおもしろい……」
くすり。
エメリッヒが黒い笑みを浮かべる。それを直視してしまったコレットは、分隊員たちがとても気の毒になって、両手を合わせた。
「あの……お手柔らかに。みなさん、本当にいい人たちで」
「わかってます。お二人のために、彼らなりに考えたことでしょうから。けれど、自分たちのしたことは自分たちで責任をとらないとね。ふふっ、大丈夫、コレットさんは気にしないでください。俺と彼らとの問題ですからね」
冷や汗をかくコレットをよそに、エメリッヒは楽しそうに笑う。
「さて、お席へどうぞ。分隊長が、タルトを召し上がらずに待ってますよ」
エメリッヒに促されて、コレットは席に戻る。クラウスがどうかしたかと尋ねてきたので、なんでもないですと首を振った。
会話の内容を教えてもらえなかったクラウスは、つまらない思いを隠すようにフォークをとる。エメリッヒと立ち話をしていたコレットは、楽しそうに笑い、頬を紅潮させていた。一体どんな話をしていたのか。任務上の作戦や訓練の指示はすらすら出てきても、日常会話は不自由なクラウスは、あんな風にコレットを笑わせられる自信がない。
「あの、タルト、いかがですか?」
なんだか不機嫌そうにフルーツタルトを口に運ぶクラウスに、コレットが不安そうに言う。コレットの作る菓子を好きだと言ってくれるクラウスだが、ティル・ナ・ノーグ中の菓子を食べたという甘味通の彼に自分の作った菓子を食べてもらうのは、いつもながら緊張する。
「ん? うまい。これはアプリコット?」
「いえ、フランボワーズです。ベリーに合わせたかったので」
クラウスが、果物に塗ったナパージュを指して言う。フルーツタルトのナパージュは、一般的にアプリコットジャムに加水して使うことが多いが、今回は散らしたベリー類に合わせてフランボワーズを使っていた。それによって、すっきりと爽やかな味になっていたのだ。
コレットの説明を聞きながら感心したようにタルトを食べるクラウスに、コレットはほっとする。十分に味見はしてあったけれど、やはり目の前でおいしそうに食べてもらえると嬉しい。
「もしよかったら、今度ちゃんとお誕生日用のケーキを焼かせてください」
「それは……」
二度手間になってしまうし、このタルトで十分と言うクラウスと、誕生日用とは知らなかったのでと言うコレットとで、押し問答になる。
仲良く並んで、お互いを気遣いながら不器用に会話する二人に、にぎやかに騒ぐふりをしながら、分隊員たちは温かなまなざしを向ける。
「お好きなものを作ります。それとも……、い……らないでしょうか」
「そうではなくて」
「では作らせてください」
「……」
この勝負、どうやらコレットの勝ちのようだと、分隊員の一人が隣の同僚の脇をつつく。つつかれたほうも、弱り切った表情のクラウスを盗み見て、にやっと笑った。
初々しい二人にほどよく勝敗がついたところで、そろそろお開きの時間となった。
「あぁ、もう腹いっぱい! 分隊長、片づけは俺らがやりますから、どうぞお出かけください。お二人でどこかに行く予定だったんでしょう?」
「あ、あぁ」
「私、片づけ手伝います」
「いいんですよ、コレットさん。おつきあいくださってありがとうございました!」
「また何かのときにはお呼びしていいですか? 次はちゃんと事前にお知らせしますから」
「これに懲りずにまた来てくださいね」
「俺らの分隊長をよろしくお願いします」
「え、えっと、こちらこそ。今日は楽しかったです。ありがとうございました」
食べっぱなしでは悪いと、片づけを手伝おうとするコレットを、分隊員たちはクラウスと共に家から追い出す。笑顔で見送られ、ぱたりと扉を閉められてしまってはそれ以上手を出せず、コレットはあきらめてクラウスを見上げた。
「あの、本当によかったんでしょうか。お言葉に甘えても」
眉を寄せて心の底から申し訳なさそうな顔をするコレットに、ついクラウスの頬が緩む。口の端を少しあげて、コレットの眉間をほぐすように指の腹で押すと、ぽんぽんと頭を撫でてから、降ろした手をつないだ。
「行くか」
一連の動作にびっくりして固まってしまったコレットの手を引いて、クラウスが歩き出す。片づけなど、分隊員たちが好きで企画したことなのだから、やらせておけばいい。エメリッヒもいることだし、粗相はないだろう。それよりも、昼食はとってしまったので、これからどうするかのほうが悩む。
用事はないが、もう少し一緒にいたい。ならばと遠回りをして家に送ることを決めたクラウスは、港の方向へ足を向けた。