第6話 騒動のあとで、まさかの“指名依頼”
魔力塔の騒ぎがひとまず収束し、街の空が落ち着いた青に戻ったころ。
俺とルナは、ふらふらになりながら調薬ギルドの扉を押し開けた。
「ただいま戻りましたー……生きてますー……」
「帰還報告にしては、声が死んでるわよ、アキラ」
ルナが苦笑しながら肩を回す。俺も同じくらい肩がバキバキだった。
魔力塔の根元での魔力逆流ストッパー投入から、検証、片づけまでフルコース。体力も精神力も、ごっそり持っていかれた。
そんな俺たちを、受付カウンターの向こうから、ひときわ明るい声が迎えた。
「お帰りなさい、アキラさん、ルナさん!」
胸元で両手をぎゅっと握りしめながら、受付嬢のカナエがキラキラした目で立っていた。
茶色の髪をふわっとまとめた、いかにも「優しいお姉さん」って感じの人だ。
「カナエさん……ただいま戻りました。もうしばらくは騒ぎいらないです……」
「いえ、騒ぎは終わってません!」
「終わっててほしかったな!?」
カナエは、カウンターの下から一通の封筒を取り出した。
上質な紙に、ギルドの紋章と、見覚えのある癖の強いサイン。
「アキラさん! ギルド長から“指名依頼”です!」
「え、指名依頼?」
俺が目を瞬くと、ルナが横からひょいっと覗き込む。
「やったじゃない。ギルド長直々の指名、だって」
「俺まだ新米なんだけど!? 登録して、まだ何日も経ってないよ!?」
「だからですよ」
カナエは満面の笑みで言い切った。
「新米なのに異常に仕事できるって、噂が……」
「どこの誰がそんな噂流したの!? 出てこい!」
「ギルド中の半分くらいじゃない?」
ルナがさらっととんでもないことを言う。
思い返せば、清浄水の件、魔力逆流ストッパーの件と、ここ数日、妙に派手なことばかりやらされた気がする。
……いや、やったのは保存庫なんだけどさ。
「とにかく、中身を読んでください!」
カナエに押されるようにして、俺は封筒を開けた。
中には、ギルド長グラム・グランツの豪快な筆跡で、短く用件が書かれていた。
『至急 調薬室第壱号へ来たれ。王族への献上薬の件だ。
お前の保存庫、使わぬ手はない。 グランツ』
「……おい」
思わず、紙を二度見する。
「王族への、献上薬?」
「おっ、ついに来たのね、その仕事」
ルナが「やっぱり」という顔で頷いた。
「調薬ギルドにとって、王族への献上薬の調合って、かなりの名誉なのよ。腕の立つ調薬師の証明になるし、失敗したらギロチン……とまではいかないけど、ギルドごと評判が地に落ちる」
「ちょっと怖い補足いらなかったな!?」
そりゃそうだ。王族に渡す薬ってことは、万が一変な副作用が出たら笑い事じゃ済まない。
「そんな重要任務、なんで俺みたいな新米に……」
「それは、もちろん」
カナエがにこにこしながら、俺の手の甲を指さした。
「保存庫スキル持ちだからですよ!」
そこだけ妙に誇らしげに言わないでほしい。
◇
調薬室第壱号。
通常は高位調薬師しか入れないという、その部屋には、すでにグラムとミリアが待っていた。
「来たか、我らが超新星!」
「その呼び方やめてくれって何回言わせるんですか、ギルド長」
ひとまず全力でツッコむ。だがグラムはまったく気にしていない。
「よいかアキラ。今日の依頼は――王族への献上薬『王家式体力増幅ポーション』の調合作業だ」
どーん、と言わんばかりのドヤ顔。
その横で、ミリアが説明を補足する。
「簡単に言うと、飲むと一時的に体力と回復力が上がる高級ポーションよ。王族の遠征時とか、儀礼試合の前に飲んだりするの」
「遠征や儀式で倒れないように、ってことですね」
「あとは、ちょっと無理するためかな。王って大変だから」
ルナが小さく付け加える。妙にリアルな一言は、研究所にいたときに仕入れた裏話なのかもしれない。
「通常なら、ベテランでも手が震える仕事だが――」
グラムは俺の肩をばしばし叩いた。
「お前の素材なら余裕だ!」
「いや俺は素材を『保存庫に入れただけ』なんだが……」
「それが重要なんだろうが!」
グラムはぐっと親指を立てる。
「王族に渡すのは、何より『安定』だ。どれだけ効くかではなく、毎回同じように効くこと。その意味で、お前の保存庫が整えた素材は最適なのだ!」
「理屈は分かるけど、プレッシャーがすごいです」
胃がきゅっと縮む感覚を覚えながら、俺はため息をついた。
「大丈夫」
その背中を、ぽん、と叩く手がある。
振り向けば、ルナがいつもの調子で笑っていた。
「アキラはやればできる子だよ!」
「根拠ゼロの励ましありがとう」
「ゼロじゃないわよ。今までの実績、全部見てきたから」
さらっと真顔で言われて、逆に照れる。
……まあ、ここまで来たら、引き受けるしかないか。
「分かりました。全力でやります」
「うむ、その意気だ!」
グラムは満足げに頷き、巨大な魔導釜と素材の山を指さした。
「さあ、王家式体力増幅ポーションの調合を始めるぞ!」
◇
献上薬のレシピは、さすがに一般向けポーションとは桁が違った。
「体力増幅草、保存庫通し三回。魔力脈との同期度を上げた状態で使用」
「はいはい。スキル発動、保存庫」
摘み取った体力増幅草を保存庫に出し入れし、そのたびに魔力が滑らかになっていくのを確認する。
「回復茸を薄切りにして乾燥、その後保存庫で休ませる。魔力の偏りをなくしてから粉末に」
「なんか料理番組みたいですね」
「料理も調薬も、理屈は似たようなものよ」
ルナが小さく笑う。
「ただしこれは、間違えると王様が倒れるかもしれない料理だから」
「怖さの次元が違った」
冗談を交えながらも、手元は真剣そのものだ。
保存庫水をベースに、整えた素材を一つずつ加え、魔導釜の中で魔力と成分を融合させていく。
グラムとミリアは、回路と温度、魔力濃度を常にチェックしていた。
「はい、次に安定化薬草を――」
「分かってます、これですね」
流れも掴めてきた頃だった。
「っと」
ルナが、薬草の束を取ろうと身を乗り出した瞬間。
ふわり、と。
彼女の長い銀紫色の髪の毛先が、釜の縁にかすった。
「あ」
短い声と同時に、一本の髪の毛が、ひらりと釜の中へ。
ぽちゃん。
小さな音を立てて、見事に沈んでいった。
「……ルナ」
「……うん」
俺とルナの視線が、ゆっくりと釜を見下ろす。
魔導釜の中では、青く光る液体がとろりと揺れていた。
その中に、銀紫色の糸――ルナの髪の毛が、ひょろりと浮かんでいる。
「なに入れてるの!?」
「ごめん!! 今の完全に事故!!」
「よりによって献上薬に、自分の髪の毛をトッピングするな!」
「トッピングって言わないで!?」
グラムが、振り返った。
「何やっておる貴様らあああああ!!!」
絶叫が調薬室に響き渡る。
「や、やめろォォォ!!! 王族への献上薬に、謎の髪の毛など混入させるでないわーーー!!!」
「すみませんほんとすみません!!」
「今のは私が悪いから! アキラは悪くないから!」
ルナが両手を合わせて頭を下げる。その髪がまたさらっと揺れて、余計に不安になる。
「……と、とりあえず回収を」
ミリアが冷静に、魔力ピンセットを突っ込んで髪の毛を救出した。
しかし――。
「待て。液の魔力波形が変化しておる」
グラムの声色が変わった。
釜の中の液体から、さっきまでと違う、妙に濃密な魔力が感じられる。
「なにこれ、体力増幅の係数が跳ね上がってる……?」
ミリアが計器を見て目を丸くする。
「おいおい、まさか『ルナ毛入り超増幅版』とかいうオチじゃないだろうな」
「やめて、その商品名絶対に広めないで」
試しに、別の瓶に少量を取り分け、魔力人形でテストすることになった。
「では、『髪の毛入り増幅薬』の効果を検証する」
「名前に悪意がある!」
ミリアが魔力人形の胸部に数滴垂らす。
一瞬の静寂。
次の瞬間――。
魔力人形が、全力でスクワットを始めた。
「え」
「なにこれこわい」
人形の両脚が、高速で屈伸を繰り返す。
木製の関節がミシミシいっているのに、止まる気配がない。
「体力増幅どころか、行動強制薬になってない!?」
「ルナ成分が妙な方向に作用したのかしら……」
「私のせいで変な薬が爆誕してるじゃない!」
調薬室中が悲鳴と笑いに包まれる中、グラムが結論を出した。
「このロットはボツだ! 後で性質を解析してから、安全な範囲で……疲労回復用の『筋トレサポート薬』として売ろう」
「売るんですか!?」
「ギルドは何でも金に変えるのだ」
さすが調薬ギルド、たくましい。
結局、献上用とは別に、一から作り直すことになった。
さすがにルナも反省したのか、その後の作業は髪をきっちりまとめて行われ、二度目の調合は何事もなく進んでいった。
「魔力波形、安定。体力増幅係数、規定値内。副作用の兆候なし」
「よし。これなら王宮に出しても問題あるまい」
ミリアとグラムが頷く。
こうして、「髪の毛入り増幅薬」という黒歴史を一つ挟みつつも、なんとか無事に献上薬は完成したのだった。
◇
数時間後。
ギルドの応接室には、銀のトレイに乗せられた献上薬の瓶がきちんと並べられていた。
澄んだ琥珀色の液体が、窓から差し込む光を柔らかく反射している。
「ふう……やっと終わった」
「お疲れさま、アキラ」
ルナが湯飲みを差し出してくれる。中身は、ちゃんと普通のお茶だった。色は紫じゃない。
「このまま、さくっと受け取りに来て、さくっと帰ってくれればいいんだけどな」
「なにそのフラグ」
ルナが苦笑したそのときだった。
コンコン、と扉がノックされる。
入室を促すと、ギルドの職員が姿勢を正して頭を下げた。
「回廊でお待ちの方をお通ししました。王都騎士団より、献上薬の受け取りに来られたそうです」
「騎士団?」
「てっきり、宮廷の使いの文官が来ると思ってたんだけど」
ルナが小声で呟く。
ほどなくして、扉が開いた。
入ってきたのは、紺色の軍服に身を包んだ男だった。
胸には王都騎士団の紋章。肩章の色からして、それなりの地位にあるのが分かる。
鋭い灰色の瞳に、短く整えられた黒髪。
無駄のない動きで部屋に入り、軽く敬礼した。
「王都第一騎士団副団長、レオン・ハーディスだ。献上薬を受け取りに来た」
グラムが前に出て、形式通りの挨拶を返す。
「調薬ギルド・シェルト支部長、グラム・グランツだ。はるばるご苦労だったな、副団長殿」
形式的なやり取りのあと、レオンと名乗った男の視線が、ふと俺で止まった。
「……お前が、アキラか」
空気が、少しだけ重くなる。
俺は、思わず背筋を伸ばした。
「はい。天城アキラです。今回の献上薬の調合に、少しだけ関わらせてもらいました」
「少しどころじゃないけどね」
ルナがぼそっと補足するが、幸いレオンには聞こえていないようだ。
副団長は、俺の顔をじっと見つめた。
その視線に、どこか探るような色がある。
「お前の噂は聞いている。魔力塔の騒動を収めた、保存庫持ちだとな」
「……大したことはしてません。運良く、です」
「謙遜か、本心か」
レオンは目を細めた。
「王国が探している男と、よく似ているな」
心臓が、どくん、と跳ねる。
(まずいまずいまずいまずい!!)
頭の中で警報が鳴る。
隣で、ルナがさりげなく一歩前に出て、俺の前に半歩かぶさるように立った。
ほんのわずかな動き。でも、それだけで少し心強かった。
「王国が探している男、とは?」
グラムが、あえて知らないふりで聞き返す。
「詳細は機密だ。ただ――」
レオンは、ちらりと俺をもう一度見た。
「禁術に近い力を持つスキル保持者だと聞いている。保存庫系統の力だと」
喉がカラカラになる。
ここで「自分です」と手を挙げたら、そのまま王都行き片道切符だろう。
レオンは、視線を献上薬の瓶に移した。
「……まあいい」
短くそう言うと、彼は一本の瓶を手に取り、慎重に光に透かす。
「魔力波形、安定。濃度も規定値通り。王家式体力増幅ポーションの条件を満たしている。仕事は素晴らしい」
その言葉には、純粋な騎士としての評価がこもっていた。
「今回の献上薬は、確かに受け取った。王都に戻ったら、ギルドの働きも報告しておこう」
「それはありがたいが……」
グラムが何か言いかけたところで、レオンはくるりと踵を返した。
扉へ向かいながら、ふと振り返る。
「アキラ」
「……はい」
「お前のような人間は、どこにいても目立つ。良くも悪くも、な」
それだけ言い残して、レオン・ハーディスは部屋を後にした。
扉が閉まる音が、やけに大きく響いた気がした。
◇
「……今の、完全に疑われてたよね」
応接室を出たあと、俺は小さくつぶやいた。
ギルドの廊下を歩きながら、心臓の鼓動を落ち着かせようと深呼吸する。
「でも、確信まではいってなかったわ。あれくらいなら、まだギリギリセーフ」
ルナが隣で歩きながら言う。
「王宮側も、まだあなたの顔をはっきり把握してない。『保存庫の男』って噂と、スキルの種類だけで探ってる状態だと思う」
「今ので、顔もセットで報告されるんじゃない?」
「たぶんね」
あっさり認められて、余計に胃が痛くなる。
「でも、アキラが逃げ出したりしない限り、ギルドや街の人たちも庇いやすいわ。変にコソコソすると、それこそ怪しまれるし」
「じゃあどうすればいいんだろうな」
「……いつも通り、保存庫で誰かを助ける」
ルナは、まっすぐ前を見た。
「それが一番、あなたらしいでしょ」
その一言に、少しだけ肩の力が抜ける。
王国の探りは、確実に近づいている。
魔術研究所も、きっと動き出している。
それでも――。
魔力脈の地図は、まだ先へと続いていた。
シェルトの外にも、まだ見ぬ街や村、魔力の謎や、保存庫の行き着く先がある。
「……まあ、今はまず」
「まず?」
「ルナの髪の毛入り増幅薬の処理方法を決めるところからだな」
「あれは封印でいいから!!!」
ルナの全力ツッコミが廊下に響き、少しだけ緊張した空気がほぐれた。
笑い声の影で、俺の背筋には、冷たいものがうっすらと残っていたけれど。
――保存庫の男。
そう呼ばれる自分の運命が、もう後戻りできないところまで来ていることを、俺は肌で感じていた。




