第5話 ギルド長、アキラの価値に震える
シェルトに来て数日。
旅人兼保存庫持ちだった俺――天城アキラの肩書きに、「調薬ギルド登録新人」というよく分からない称号が追加されていた。
もっと正確に言うなら。
「素材だけ一流、腕前はまだ素人」という、ギルドでも類を見ない謎ポジションだ。
◇
「では、本日分の持ち込み素材の鑑定を始める!」
調薬ギルド・シェルト支部。
一階のホールの一角で、妙に気合いの入った声が響いた。
白衣にローブを羽織った髭の男――ギルド長グラム・グランツが、水晶板の前に仁王立ちしている。
その視線の先、水晶板の上に並べられているのは、今日俺が保存庫から取り出したばかりの薬草たちだ。
「ギルド長、そんなに仰々しくしなくても……いつもの素材鑑定ですよ?」
横でミリアが苦笑している。
「分かっておる。しかしだな、ミリア。これは『いつもの』ではない」
グラムは真顔で言った。
「これは、あの保存庫持ちアキラが、魔力脈に沿って旅をし、保存庫の中で熟成させ、整えに整えた素材である!」
「熟成って言った今? ただ入れてただけなんですけど」
思わずツッコミを入れると、ギルド員たちの一部がくすりと笑う。
だがグラムは聞いちゃいなかった。
「静粛に!」
ばーん、と水晶板を叩いてから、彼は一枚の葉をそっとつまみ上げた。
「まずは、この解熱草からだ。見ろ、この艶、葉脈、香り……」
グラムは恍惚とした顔で薬草を見つめる。
完全に変態だった。方向性の違うタイプの。
「魔力測定、開始!」
水晶板が淡く光り、薬草から魔力の粒が立ち上る。
そのデータが壁際の魔導装置に吸い込まれていくと――。
「な、なんだこの魔力の整い方は!?」
予想通りの絶叫がホールに響き渡った。
「出たよ……」
隣のミリアが額を押さえる。周囲のギルド員たちも、「あーあ」という顔でため息を漏らした。
「お、おまえ、毎日磨いてるのか!? 夜な夜な一本一本、魔力ブラシで梳かしているのか!?」
「そんな不気味なことしませんよ!? 保存庫に入れてただけですって!」
「保存庫に入れてただけ、でこの整い……!」
グラムはその場にずさざさっと後ずさり、そのまま床にひっくり返った。
「世界よ、見ているか。魔力工学の未来が、今ここに……ぐはっ」
「ギルド長、酸欠で気絶しないでください」
カオルが慣れた手つきでグラムの頭の下にクッションを差し込む。
ギルド員たちの動きが、完全に「いつもの流れ」になっていた。
「……あれ、いつものなんだ」
「ええ。新しい魔導薬のレシピが成功したときとか、珍しい魔石を見つけたときとか、大体一回は転がります」
耳打ちしてくるミリアの声は、半分あきれ、半分楽しそうだった。
「ほら、そこの新人。ギルド長が起きる前に次の素材も出して」
「扱いが雑!」
そう抗議しつつも、俺は保存庫を開いた。
「スキル発動、保存庫」
黒い窓を通して取り出したのは、魔よけに使うとされる香草の束と、魔力安定効果のある花びらだ。
グラムがはっと上体を起こし、それらにしがみつくようにして叫ぶ。
「まだあるのか、そのレベルの素材が!?」
「はい、まだストックは山ほど……」
「錬金界の超新星……」
うっとりした目でそんなことを言わないでほしい。
俺は錬金術師じゃない。ただの保存庫持ちだ。
「いいかお前たち!」
グラムは勢いよく立ち上がると、ホールにいたギルド員全員に向かって叫んだ。
「本日をもって、天城アキラを調薬ギルド・シェルト支部の『最重要素材提供者』に認定する! 彼の保存庫に対する侮辱は、ギルドへの反逆とみなす!」
「物騒なこと言わないでください!?」
なにその条文。
ギルド員たちは苦笑しながらも、どこか納得した表情で頷いていた。
「まあ確かに、あの素材があれば、今まで失敗してたレシピもいけそうだよな」
「国宝級の素材って、本当にあるんだ……」
「いやだから国宝とかやめろってば……」
こっそり突っ込む俺の隣で、ルナがくすくす笑った。
「良かったじゃない、アキラ。錬金界の超新星」
「それ、定着させないで」
◇
そんなこんなで、ギルド中が保存庫素材で盛り上がっている一方――。
「えーと、解熱薬のレシピはこうで……保存庫水をベースにして、解熱草を二枚、魔力安定花を一枚、それから――」
ルナはと言えば、ギルドの調薬室で俺の素材を使いまくっていた。
しかも、なぜか毎回「何かしらやらかす」のが定番になりつつある。
「よし、完成。これは普通の解熱薬のはず」
ルナは透明な液体が入った小瓶を掲げる。
見た目は、ただの少し青みがかった水。
「じゃあ、試験用の魔力人形に……」
ミリアが魔力人形と呼ばれる木製のマネキンに薬を垂らす。
数秒後、魔力人形の額に浮かんでいた赤い印がすっと消え――。
代わりに、腕と足がむきむきになった。
「……はい?」
「うわあ、筋肉がついた……」
ミリアが素で引いた声を出す。
目の前の魔力人形は、明らかにさっきより二回りくらい太い腕と脚をしていた。
「なんで『解熱薬』が『超回復薬』になったの……?」
遠い目で呟く俺。
ルナはしばらく小瓶と人形を見比べてから、照れたように笑った。
「えへへ……素材が良すぎると思う」
「いや絶対それだけじゃない!」
おそらく、ルナの調合センスと保存庫素材のシナジーが暴走している。
ちなみに、この「超回復薬」は筋力を一時的に爆上げする代わりに、あとで猛烈な筋肉痛がくることが判明し、ギルド内で「鬼教官専用アイテム」として人気になった。
「よし、次は傷薬ね」
「ちょっと待って、一回レシピ見直そう!? 今の流れで行くと、絶対ろくなことにならないから!」
俺の悲鳴まじりの制止もむなしく、ルナは次の瓶を手に取る。
最近のギルドでは、「保存庫素材をルナに渡すと何かが生まれる」という謎の信頼が生まれていた。
良い方向なのか悪い方向なのかは、そのとき次第だ。
◇
そんなドタバタを続けていたある日のこと。
「水がまずい!」
「腹壊した!」
「お茶が紫色になったんだけど!?」
シェルトの市場通りから、悲鳴とも苦情ともつかない叫び声が上がった。
ギルドの窓から外を覗くと、井戸や水路の周りに人だかりができているのが見える。
「また何かあった?」
ルナが片眉を上げる。
「まさか腐敗魔素、再発?」
「いや、空の魔力網はきれいなままよ」
ミリアが窓辺で魔力測定具を構えながら言う。
「でも、水路の魔力値が変だわ。濃度は低いのに、波形が妙にねじれてる」
「つまり?」
「……不味くて腹を壊す水、ね」
それはもう現象として出ていた。
ほどなくして、ギルドに一人の兵士が飛び込んでくる。
「調薬ギルド! 魔導兵団からの緊急要請だ!」
「また?」
ミリアがため息をついた。
「今度は何?」
「水路の魔力が濁り始めている! 街の飲み水が汚染されつつある! 魔力供給塔からの逆流が原因だと判明したが、兵団は人手不足で――」
兵士の視線が、俺の方で止まった。
「――新人! お前だ、なんとかしてくれ!」
「何でそうなる!?」
思いっきり指さされて、思わず叫ぶ。
「俺、薬師ギルド所属なんですけど!? 魔導兵団の人間じゃないですけど!?」
「細かいことはいい!」
「細かくないよ!?」
あまりにも雑な振りに、ギルド員たちが笑う。
ルナだけが冷静だった。
「でも、水質汚染と魔力逆流の問題なら、保存庫の出番かもしれないわ」
「……また俺?」
「またあなただよ」
ルナは真面目な顔で続ける。
「腐敗魔素を浄化した清浄水と似た現象だと思う。魔力供給塔から逆流している魔力の波形を整えてあげれば、水路の魔力も安定する。問題は――」
「塔の中まで、どうやってそれを浸透させるか、か」
腐敗魔素のときは、魔導塔から清浄水を霧にして散布した。
今回は逆流。塔の根本から、水路側へと魔力が押し出されている。
「逆流している魔力を、そのまま『吸い込んで』整える液体があれば……」
「……魔力逆流止めポーション、とか?」
自分で言っておいて、俺は肩をすくめた。
「名前ダサいな」
「概念としては正しいけどね」
ルナは真剣にうなずく。
「逆流してきた魔力をポーション側に取り込み、その中で保存庫由来の魔力波形で上書きする。塔の根元にそれを流し込めば、逆流は止まるかも」
「かも、ね……」
成功するかどうかは、やってみるまで分からない。
でも、水がまずくて腹を壊す街なんて嫌だ。
「分かりました。やります」
覚悟を決めて言うと、兵士は嬉々として敬礼した。
「さすがはシェルトの救世主! 話が早い!」
「いつそんな肩書きついたの!?」
清浄水事件以来、街の一部で俺がそんな呼び方をされているらしいと知ったのは、そのときだった。
◇
再び調薬室。
「ベースは保存庫水。そこに、魔力吸着性の高い素材……」
「この黒い藻と、この乾燥菌糸ね。魔力の『汚れ』だけを吸い込む特性がある」
ルナが棚から素材を取り出し、俺がそれを保存庫に通す。
「スキル発動、保存庫」
黒い窓の中で、素材の魔力が震え、整えられて出てくる。
「魔力吸着藻、波形整い度……おかしいわね、基準値を超えてるわ」
ミリアが計器を見て首をかしげる。
「おかしいって、いい意味だよね?」
「もちろん」
ルナはにやりと笑った。
「これなら、逆流している魔力だけをきれいに吸ってくれるはず。あとは、吸った魔力を保存庫水の波形で『洗う』ための安定化薬草を混ぜれば――」
「魔力逆流止めポーション、完成……かもしれない」
不安定な最後をつけ足しながら、俺たちは作業を進める。
保存庫水に整えた藻と菌糸を溶かし、さらに魔力安定薬草を加える。
釜の中の液体が、どす黒い色から少しずつ澄んだ青に変わっていく。
「最後に、魔力認識用の印を……」
ルナが魔法陣を描き、ポーションが逆流魔力に反応するよう設定する。
「これで、逆流魔力を見つけたら勝手に寄っていって、吸い込んでくれるわ」
「便利だなおい」
できあがった液体は、ほんのり青く光っていた。
「名付けて、『魔力逆流ストッパー』」
「さっきよりダサいの来た」
「じゃあ『清浄水・改』?」
「ややこしいからやめよう?」
名前問題で軽く口喧嘩しつつも、俺たちはできあがったポーションを大型の魔導容器に移した。
◇
魔力供給塔の根元は、予想以上に騒然としていた。
塔の基部から伸びる巨大な魔導管の一部が黒く濁り、そこからじわじわと黒い液体のようなものがにじみ出ている。
「これが……逆流している魔力?」
近づくだけで、頭が重くなるような感覚がした。
「腐敗魔素ほど毒性はないけど、このままじゃ魔力網全体が歪むわね」
ルナが眉をひそめる。
そこに、魔導兵団の隊長――先日の清浄水事件のときにも見かけた男がやってきた。
鋭い眼光に短く刈り込んだ金髪。
名前はガレスと言うらしい。
「来たか、保存庫の男」
「だからその呼び方やめてってば」
「名乗りやすいだろう?」
「俺の意見も尊重してほしいな!?」
軽口を叩きながらも、ガレスは真剣な目で魔導容器を見た。
「これが、魔力逆流止めポーション、だったか」
「正式名称はまだ揉めてるところです」
「細かいことはいい」
出た、兵団の人の口癖。
「逆流している魔力は、塔の根元から水路側へ押し出されている。ここにそのポーションを流し込めば、魔力の流れを捕まえられるはずだ」
「重要なのは、ポーションの方が『より安定した魔力波形』を持っていること。そうすれば、逆流魔力の方から勝手に寄ってきてくれる」
ルナの説明にガレスは頷き、部下たちに指示を飛ばした。
「魔導管を一時的に開放する! 逆流ストッパーを投入しろ!」
「略称が勝手に決まった!?」
俺の叫びをよそに、魔導兵たちは手際よく魔導管を操作し、ポーションを管の中へと流し込む。
しばらくして。
塔の根元からにじみ出ていた黒い液体が、ぴたりと動きを変えた。
「……吸い込まれていく?」
黒い魔力が、逆流するのをやめ、むしろ塔の方へと引き戻されていく。
魔導管の内部で、ポーションが青く光った。
その光が、黒い魔力を包み込み、飲み込んでいく。
「逆流魔力の濃度、急速に低下!」
「水路の魔力波形、安定し始めています!」
魔導兵たちの報告が飛び交う。
やがて、塔の根元から黒い液体は完全に消えた。
代わりに、清浄水のときと同じ、穏やかな青い光が、ゆっくりと広がっていく。
「……成功、か」
ガレスが息を吐いた。
遠くの水路から、歓声が聞こえ始める。
「水だ! 水が普通に戻った!」
「紫じゃない! 透明だ!」
「腹が痛くなくなった!」
「最後の人はもうちょっと様子見た方がいいと思うけど」
ぼそっと呟くと、隣のルナが吹き出した。
「でも、やったわね、アキラ」
「まあ、また保存庫のおかげって感じだけど」
「それを使いこなしたのは、あなたでしょ」
ルナはそう言って、少しだけ誇らしげに笑った。
◇
その日の夕方。
シェルトの広場には、いつもの賑わいが戻っていた。
子どもたちは水路のそばで遊び、露店の主人たちは「うちの水は美味いぞー!」と叫びながら客を呼び込んでいる。
「シェルトの救世主!」
「保存庫の兄ちゃん、ありがとな!」
通りすがりの人々に声をかけられ、正直ちょっと照れる。
「救世主、ねえ」
ギルドに戻る途中、ルナが横目でこちらを見る。
「悪くない響きじゃない?」
「本人の精神的負担を考えてほしいな」
「でも、事実だよ。腐敗魔素のときも、魔力逆流のときも、アキラがいなかったらどうなってたか分からない」
「ルナやギルドのみんな、魔導兵団がいなかったら無理だったけどね」
「そういうのも含めて、救世主って言うんじゃない?」
ルナの笑顔は、どこかいたずらっぽくて、でも少しだけ優しかった。
◇
その頃。
シェルトの裏路地。
人通りの少ない路地裏で、一人の黒ずくめの男が壁にもたれかかっていた。
黒いコート、フード深くかぶったフード。
顔の半分は影に隠れている。
男は、小さな魔導通信具を耳に当てながら、低く呟いた。
「……こちらシェルト潜伏班。追加報告だ」
通信具の中で、魔法陣が淡く光る。
「保存庫の男、また魔力異常を収束させた。今度は魔力供給塔からの逆流を、『逆流止めポーション』なるもので鎮めた。効果は、王都研究所が試作していた魔力安定薬を上回ると見ていい」
淡々とした報告の中に、わずかな興奮が混じる。
「街では、『シェルトの救世主』と呼ばれ始めているらしい。……なるほど、噂以上だ」
男は通信具から耳を離し、空を見上げた。
そこには、再び穏やかな青い光を取り戻した魔力供給網が、編み目のように広がっている。
「保存庫の男。やはり噂は本当か」
フードの奥で、男の口元がわずかに歪んだ。
「世界の魔力脈と同期する倉庫。本来なら、王の足元に縛りつけておくべき力だ。――だというのに、追放とはな」
男は肩をすくめ、暗い路地の奥へと消えていく。
「王国の上の連中も、放ってはおくまい。保存庫の男。お前の旅は、もうただの旅じゃ済まなくなるぞ」
その頃、本人はというと。
「……ねえルナ」
「なに?」
「今日の夕飯、ギルドの食堂で『水路復活記念スペシャルメニュー』出るらしいんだけど」
「もう貼り紙見てきたの?」
「うん。保存庫の水で炊いたご飯、って書いてあったから」
「それ、完全にアキラのせいで豪華になってるやつじゃない」
「責任とって食べに行かないとな」
「食べる口実にしないで」
他愛もない会話をしながら、俺とルナはギルドへと戻っていく。
自分の知らないところで、王国の追っ手が動き始めていることなど、まだ何も知らないまま。
ただ、保存庫の中で静かに光る素材たちだけが――。
これから世界を巻き込む騒ぎの種であることを、知っていた。




