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ゼロ価値スキル『保存庫』で世界を旅することになりました  作者: 妙原奇天


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第4話 旅の仲間と最初の街

 旅に出てから、何度か小さな村を抜け、森を越え、丘を越え――そして、ようやくそれは見えてきた。


「……でっか」


 思わず素の声が漏れる。


 丘の向こうに広がっていたのは、高い城壁にぐるりと囲まれた大都市だった。夕日を受けて光る白い城壁。その内側からは、無数の光が空に向かって立ち上っている。


 よく見ると、それはただの煙でも光でもなかった。


 街のあちこちから、細い光の糸のようなものが立ち上がり、空中で絡まり合っている。青白い筋、緑がかった筋、金色にきらめく筋。それらが街全体を覆う巨大な網になっていた。


「あれが、魔力供給網」


 隣でルナが言った。


「魔力工場で精製された魔力を、ああやって街中に送ってるの。魔導灯、魔導炉、工房、兵団の武器まで、全部あの網から魔力を受け取って動いてる」


「うわ、本格的だな……。いかにも『文明!』って感じ」


「異世界観のまとめ、雑じゃない?」


 肩をすくめるルナの横顔は、いつもより少しだけ柔らかかった。


「ようこそ、大都市シェルトへ。ここからが、本格的な保存庫世界攻略編よ」


「タイトルコールみたいに言うな」


 とはいえ、俺の胸も少し高鳴っていた。


 城下町とは比べものにならない規模の街。魔力で動く仕組みがそこかしこにあって、人も物も情報も、ものすごい速度で行き交っている。


 ここなら――。


 保存庫の力だって、もっと試せるかもしれない。


     ◇


 街門をくぐると、まず目についたのは、天井に吊るされた魔導灯だった。


 ガラスの中で淡く光る魔石が、昼間のような明るさを街路に与えている。その光は、さっき見上げた魔力供給網から細い線で繋がっていた。


「すげえ……」


「田舎者丸出しよ、アキラ」


「実際田舎者だし。あ、あれ見て。あの煙突、全部魔力工場?」


 街並みの向こう側には、背の高い煙突が何本もそびえている。そこからは、普通の煙に混じって、薄く輝く蒸気のようなものが立ちのぼっていた。


「あれは魔力精製工場。魔力脈から引き上げた原魔素を処理して、街で使える形にしてるの。魔力工学の集大成ってやつね」


「その下に、魔導兵団とか薬師ギルドとかがある感じ?」


「そうそう。魔導兵団は外壁沿い。薬師ギルドは街の中央の方。で――」


 ルナはくるりと振り返り、いたずらっぽく笑った。


「アキラが一番お世話になりそうなのが、調薬ギルド」


「調薬ギルド?」


「薬師ギルドの中でも、素材と魔力の扱いに特化した部門。研究寄りで、ちょっと変人が多いけど……保存庫持ちなら、あそこが一番話が早いはず」


 変人が多いという不穏な単語を、ひとまず聞かなかったことにする。


「ルナ、顔が利くとこあるの?」


「まあね。研究所にいる間、一応外部提携の名目で出入りしてたし。私は逃げてきた身だけど、向こうは全員が研究所の事情を知ってるわけじゃないから」


「……つまり、『ちょっと立場のややこしい元関係者』?」


「簡単にまとめるとそうなるわね」


 ルナはあっさり頷く。


「でも心配いらないわ。調薬ギルドは王国直属じゃなくて、全土の薬師たちの共同組織よ。王城も研究所も、ギルドの力を借りないとやっていけないくらい。だから、王国とギルドは『対等な関係』。むしろ、ギルドの方が強気なくらい」


「そんな場所に、俺みたいな追放勇者が行って大丈夫かな」


「大丈夫よ。だって、あなたの素材は――」


 ルナは少しだけ誇らしげに胸を張った。


「どう考えても、国宝級だから」


「ハードル上げないでくれ」


 そんな会話をしながら、俺たちは街の中央、ひときわ大きな建物の前に立っていた。


 石造りの重厚な建物。扉の上には、薬草と魔法陣を組み合わせたような紋章が掲げられている。


 扉をくぐると、ふわりと薬草の香りが鼻をくすぐった。


     ◇


「いらっしゃいませ、調薬ギルドへようこそ」


 受付カウンターの向こうには、白衣を着た女性が立っていた。茶色の髪を後ろで束ね、眼鏡をかけたその姿は、いかにも「研究者」といった雰囲気だ。


「見学ですか? 薬師登録ですか?」


「知り合いに会いに来たの。ルナ・エルネストと申します。ギルド長のグラムさんは、ご在室?」


「ルナ・エルネスト……?」


 受付の女性が目を瞬かせる。


 次の瞬間。


「ルナ!? 本当にルナなの!?」


 奥の棚から、どたばたと走る足音が近づいてきた。


 現れたのは、短い銀髪を無造作にまとめた小柄な女性だった。白衣の裾をひらひらさせながら、勢いよくルナに抱きつく。


「ちょ、ミリアさん、苦しいです……!」


「当たり前でしょ! 研究所から『逃げた』って噂聞いたきり、音沙汰ないんだから! もう、死んでるんじゃないかって心配してたんだからね!」


 どうやら、知り合いどころか、かなり近しい人らしい。


 突然始まった抱きつき再会劇に、俺は少しだけ置いていかれた気分になる。


 やがてミリアと呼ばれた女性は、ようやくルナを解放すると、俺の方をちらりと見た。


「で、この子は?」


「この『子』が、さっき言った保存庫持ち」


 ルナは、当然のように俺の背中を押した。


「天城アキラ。元勇者候補。現在は、旅人兼保存庫使いよ」


「紹介の仕方が雑だな!?」


「ふうん……」


 ミリアはじっと俺を見つめる。


 研究者特有の、「観察対象を値踏みするような視線」。少しだけ背筋が伸びる。


「まあいいわ。保存庫ね。うちのギルド長が大好きそうな単語だし、とりあえず見せてもらおうかしら」


 そう言って、彼女はぱん、と手を叩いた。


「アキラくん、だっけ。少し素材を見せてくれる? 薬草でも水でも、何でもいいわ」


「じゃあ……これで」


 俺は保存庫を開き、マレッタ村の周辺で集めた薬草の束と、水の入った小瓶を取り出した。


 ミリアは、まるで宝石でも扱うかのように、それらを手に取る。


「……うわ、何これ」


 次の瞬間、彼女の目が本気になった。


「カオル、解析室を空けて! 第一計測台と、魔力安定度測定器も!」


「え、えっ、はいっ!」


 受付の女性――どうやらカオルという名前らしい――が慌てて奥に駆け込む。


 ミリアは俺たちに「こっち」と手招きし、そのままギルドの奥へと進んでいく。


     ◇


 通されたのは、壁一面に魔石と金属板が埋め込まれた部屋だった。中央には水晶の板のような計測台が置かれている。


「ここに、この薬草を」


 ミリアは手際よく薬草を並べると、水晶板に手をかざした。


「魔力測定、開始」


 ぼうっと、淡い光が立ち上る。水晶板の上の薬草から、小さな光の粒が浮かび上がり、それが空中の魔法陣に吸い込まれていく。


 数秒後。


「……は?」


 ミリアの口から、間抜けな声が漏れた。


「どうかしました?」


「ちょっと待って。数値がバグってる」


 彼女は壁際の魔導装置に駆け寄った。そこには、魔力の濃度や揺らぎを示すメーターがいくつも並んでいる。


 そのほとんどが、針をぴたりと同じ位置に止めていた。


「魔力濃度、標準値の一・〇二。揺らぎ、測定限界以下。ばらつき係数、ゼロ・〇〇……は?」


「ゼロ・〇〇って、そんなことありえるんですか?」


 カオルが目を丸くする。


「ありえないわよ。普通、同じ森で採れた薬草でも、一本一本魔力の量や揺らぎが違うものなの。だからこそ、調薬師は一本ずつ見て、調整して使うのよ」


 ミリアは薬草を一本取り、指先でしごいた。


「それがどう? この均一さ。まるで誰かが一本一本、魔力の波形を手作業で整えたみたい」


 彼女の視線が、俺に向く。


「アキラくん。これ、採取してからどれくらい経ってる?」


「えっと……一週間くらいですかね。途中の村でも何回か出し入れしてるから、正確には分かんないですけど」


「一週間……?」


 ミリアは、心底信じられないという顔をした。


「普通の保存方法なら、三日もすれば薬効は落ち始めるわ。なのに、採取直後どころか、それ以上に魔力が整ってる」


 次に、彼女は水の小瓶を取った。


「じゃあ、こっちは?」


 同じように測定台に乗せ、魔力を測る。


「……うそ」


 今度は、さっき以上に素っ頓狂な声が出た。


「魔力濃度、ゼロ・一。でも揺らぎがゼロ。ゼロって何よ」


「水って、普通は魔力あんまりないんですよね?」


「ええ。でも全くないわけじゃないの。周囲の魔力や素材の影響を受けて、微弱なノイズが乗る。だから、水を媒体にした魔法は、調整が難しいのよ。なのに――」


 ミリアは、透明な水をじっと見つめる。


「この水、ノイズがない。魔力脈そのものの『リズム』だけを、薄く、そのまま写し取ったみたいな……」


「魔力脈のリズム……」


 俺の頭の中に、地図の青い線が浮かぶ。


 あの線に沿って旅をしてきたからこそ、保存庫の中身は世界の魔力と同期している。


 だから、ここにある素材は、全部――。


「……国宝級ね」


 ミリアがぼそりと呟いた。


「こく、ほう?」


「そう。おまえの素材は国宝級」


 俺の疑問形を遮るように、今度は別の声がした。


 振り返ると、いつの間にか、部屋の入口に壮年の男が立っていた。


 白髪混じりの髭を蓄え、肩まである髪を後ろで束ねている。ローブの上から白衣を羽織り、片眼鏡をかけたその姿は、絵に描いたような「大ギルド長」だ。


「グラムさん」


 ルナが小さく呟く。


「魔力濃度がどうとか、揺らぎがどうとか、細かい数値はあとでいい」


 グラムと呼ばれた男は、ゆっくりと計測台に近づき、薬草と水を交互に見た。


 そして、ぽん、と俺の肩を叩く。


「少年。アキラと言ったな」


「は、はい」


「お前の素材は、国宝級だ」


「さっきも聞きましたけど、その『国宝級』って具体的には……」


「王都の研究所の連中が聞いたら、その場で白目をむいてひっくり返るくらいには、すごい」


「例えが雑じゃないですか」


「事実だ」


 グラムは苦笑しながらも、目だけは真剣だった。


「魔力工学の発展において、最大の問題は『素材のばらつき』だ。同じレシピでも、同じ魔法陣でも、素材の質が違えば効果が安定しない。だからこそ、我々は血反吐を吐くほど調整に時間をかけてきた」


 グラムは薬草を一本手に取ると、自分の眉間に押し当てた。


「だが、これは違う。魔力の波形が、揺れが、統一されている。世界の魔力脈のリズムに合わせて、素材の魔力が『整えられて』いる」


「つまり?」


「お前の素材を使えば――王都の研究所でも、一度も成功しなかった高位の調薬や魔導薬の再現が、可能になるかもしれん」


 息を呑む音が、あちこちから聞こえた。


 ミリアもカオルも、そしてルナでさえ、わずかに目を見開いている。


「だからだ少年。ギルド長として、いや一人の調薬師として、提案がある」


「て、提案?」


「調薬ギルド・シェルト支部専用、保存庫素材加工ブース。これを、お前に提供したい」


「……ブース?」


「ギルドの一角に、お前専用の作業場を作る。素材の測定、加工、保存、全部の設備を揃えよう。その代わり、お前はここで時々素材を整え、我々と一緒に調薬の研究に協力してくれ」


 グラムは片眼鏡をくい、と押し上げた。


「もちろん、正当な報酬も払う。ギルドの保護もつけよう。ここなら、王都や研究所も簡単には手出しできん」


 保護という単語に、胸が少しだけ軽くなる。


 狙われる立場になったと自覚したばかりの俺にとって、その言葉はたしかに魅力的だった。


 けれど――。


「……嬉しい話です」


 俺は正直に言った。


「でも、今はまだ、旅をやめる気はないんです」


「アキラ」


 ルナが小さく俺の名を呼ぶ。


「保存庫のことも、世界の魔力のことも、まだ何も知りません。魔力脈の先に何があるのかも。ここに落ち着くのは、その全部を自分の目で見てからにしたい」


 グラムはしばらく俺を見つめていた。


 やがて、ふっと口元を緩める。


「……いい目だ」


「え?」


「研究所の連中なら、喜んで檻の中に入っただろう。だが、お前はそうじゃない。保存庫の力を世界のどこに置くか、自分で決めようとしている」


 グラムは大きく笑った。


「ますます気に入った。ならば提案を変えよう。今すぐ常駐しろとは言わん。その代わり――」


 彼は指を一本立てた。


「旅の途中でシェルトに戻ってきたときは、必ずここに顔を出せ。そのたびに、ブースは用意しておく。研究の進歩も、世の中の変化も、ここで教えてやろう」


「それなら……喜んで」


 俺が頷くと、グラムは満足げに頷き返した。


「よし決まりだ。では今夜は、シェルト支部が全力でお前たちをもてなそう。――と、言いたいところだが」


 ちょうどそのとき。


 ギルドの外から、妙な鐘の音が響いてきた。


 澄んだ鐘の音に混じって、低く濁った音が重なっている。


「非常招集……?」


 ミリアが顔色を変える。


「街の魔力網に異常があるときに鳴る合図よ」


 グラムの表情も、一瞬で険しくなった。


「嫌なタイミングだな。カオル、外の様子を」


「は、はい!」


 カオルが飛び出していく。少しして、息を切らせて戻ってきた。


「ギルド長! 街の西区で、魔力暴走が! 住民が次々と倒れているそうです! 原因は……腐敗魔素の濃度上昇だと!」


「腐敗魔素……!」


 ルナが小さく息を呑んだ。


 腐敗魔素。マレッタ村でバルドが話していた、「魔力の濁り」の名前だ。魔力脈から引き上げた原魔素がうまく処理されなかったときに生じる、有害なノイズ。


 それが街全体に広がれば――。


「グラムさん、魔導兵団や魔術研究所は?」


「すでに動いているだろうが、腐敗魔素となると話は別だ。普通の浄化魔法では追いつかん」


 グラムは窓の外をにらむ。


 街の上空を走る魔力供給網の一部が、どす黒く濁っていた。


 その濁りから、じわじわと黒いもやが街路に落ちていく。


「腐敗魔素は、魔力の『腐った波形』だ。あれを完全に消すには、同じレベルの『整った波形』で書き換えるしかないが……王都の研究所ですら、実験段階の技術だ。私たち調薬ギルドにだって――」


「……やってみます」


 気がつけば、俺は口を開いていた。


 全員の視線が、こちらを向く。


「さっき測った水の魔力波形。あれって、腐敗魔素の波形と真逆ですよね?」


「真逆……?」


「腐敗魔素は、魔力のノイズ。保存庫の素材は、世界の魔力のリズムに合わせて整えられてる。なら、保存庫の水を基礎にした浄化液なら――」


 頭の中に、魔力波形のイメージが浮かぶ。


 乱れた線と、滑らかな線。


 それを重ね合わせたとき、ノイズが打ち消されていくイメージ。


 バルドが言っていた「相性の悪い素材同士でも結合できる」現象。それを逆に使って、ノイズと「正しい波形」をぶつけ合えば――。


「腐敗魔素を中和できる『清浄水』が、作れるかもしれません」


 自分で言いながらも、心臓がうるさかった。


 成功する保証はない。でもやらなければ、街の人たちが苦しむ。


「保存庫の中身なら、波形を揃えることはできる。腐敗魔素を取り込んで、波形を書き換えられれば……」


 ルナが、ハッとしたように顔を上げた。


「アキラ。それ、理屈は合ってるわ」


「ルナ?」


「魔術研究所で、似たような理論を聞いたことがある。『魔力波形上書き理論』。腐敗した魔力を、整った魔力で上書きする構想。実験は全部失敗したって言ってたけど……素材に保存庫の水を使えば、話は別」


 ルナはグラムを見た。


「やらせてみる価値はあると思います」


「……」


 グラムは数秒間だけ目を閉じた。


 やがて、ぱん、と手を叩く。


「いいだろう。アキラ、ルナ。お前たちにギルドの調薬室を開放する。必要な素材は何でも言え」


「ありがとうございます!」


「ただし、時間はない。腐敗魔素は魔力供給網を通って、街全体に広がりつつある。できるだけ短時間で、大量に――」


「清浄水を作る。それくらいは分かってます」


 俺は頷き、保存庫を開いた。


     ◇


 調薬室は、さっきの計測室よりさらに設備が整っていた。


 大きな魔導釜、魔力を攪拌するための水晶棒、温度と魔力濃度を同時に測る魔導計器。壁にはありとあらゆる薬草が吊るされている。


「ベースは保存庫の水。そこに、魔力波形をさらに安定させる薬草を少量」


「この青い葉と、この白い花がいいわね。世界の魔力脈と相性がいい植物よ」


 ルナが次々と素材を選び、それを俺が保存庫に通して整えていく。


「スキル発動、保存庫」


 黒い窓の向こうで、素材が青く脈打ち、すぐに戻ってくる。その一つ一つが、さっきよりもさらに滑らかな魔力をまとっていた。


「魔力波形、揺らぎゼロ・〇一。限りなく世界の魔力脈に近い……」


 ミリアが計器を見て、感嘆の声を上げる。


「これを水に溶かして、魔導陣を通せば――」


「清浄水の完成だ」


 グラムが魔力釜に手をかざす。


 青白い魔法陣が釜の底に広がり、保存庫の水と、整えられた薬草がそこに注ぎ込まれる。


 ぐつぐつと、音のない沸騰が起こった。


 釜の中の水が、ゆっくりと光り始める。


「……来るぞ」


 ルナが小さく呟いた。


 次の瞬間、釜の上にふわりと光の霧が立ち上る。


 空気が一変した。


 さっき窓から入ってきていたどす黒い腐敗魔素の匂いが、少しだけ薄くなる。


「これが……清浄水……?」


 ミリアが目を見開く。


 釜の中の水は、ただの透明ではなかった。


 ほんのわずかに青く光り、その光が脈打つように揺れている。


 その揺れは、保存庫の中で感じた「世界の魔力脈」と同じリズムだった。


「やれるかもしれん」


 グラムが頷く。


「この清浄水を霧状にして、街の魔力供給網に流し込む。魔力兵団に連絡を。魔力塔の上から、散布させるぞ」


「魔導兵団に渡せばいいのね」


 ルナは清浄水の入った魔導容器を抱え、駆け出した。


「アキラ、来て!」


「お、おう!」


 俺も慌てて後を追う。


     ◇


 街の中心部には、魔力供給網の中枢となる巨大な魔力塔がそびえていた。


 塔の上部からは、さっき見た無数の魔力線が四方八方に伸びている。その一部が、まだ黒く濁っていた。


 塔の周囲には、すでに魔導兵団の面々が集まっていた。魔法陣の刻まれた鎧を身につけた兵士たちが、慌ただしく走り回っている。


「グラム殿からの清浄水だな!」


 魔導兵団の隊長らしき男が、ルナから魔導容器を受け取る。


「本当に腐敗魔素を中和できるんだろうな?」


「理論上は、可能なはずです」


 ルナがはっきりと答える。


「魔力波形の揺らぎは限りなくゼロ。世界の魔力脈に同期した波形です。この清浄水を魔力網に流せば、腐敗魔素の波形を上書きできるはず」


「理論上は、か」


 隊長は少しだけ目を細めたが、それ以上は言わなかった。


「今は理論でも何でも、試さねばならん状況だ。――魔導兵団、準備!」


 号令とともに、兵士たちが魔力塔の周囲に魔法陣を展開する。


 塔の上からは、黒いもやが少しずつ街に降り注いでいるのが見えた。


 この街のどこかで、あなた、苦しい……と呻いている人たちがいる。


 さっきギルドの窓から見た、倒れ込んでいた住民たちの姿が頭に浮かぶ。


「……頼むぞ、保存庫」


 思わず、小さく呟いた。


 俺一人では戦えない。でも、保存庫の力なら――。


「放て!」


 隊長の号令とともに、清浄水を収めた魔導容器が塔の頂上へと運ばれる。


 巨大な魔法陣が空に浮かび上がり、清浄水が霧状になって魔力供給網へと吸い込まれていく。


 青い霧が、黒いもやに溶け込んだ。


「変化は……?」


 誰かが呟いた。


 一瞬の静寂。


 そして――。


 黒かった魔力線が、ゆっくりと色を変えていく。


 どす黒い濁りが薄れ、青白い光が戻ってきた。


 街の上空を覆っていた黒いもやも、少しずつ薄くなっていく。


「成功……?」


 ルナが息を呑む。


 魔導兵団の兵士が、慌てて通信魔導具に手を当てた。


「西区からの報告! 住民の症状が、徐々に改善しているとのこと! 頭痛と吐き気が和らぎ、呼吸も安定! 倒れていた者の一部は意識を取り戻したと!」


「やった……!」


 ギルドの方から駆けつけていたミリアが、その場でぴょんと跳ねた。


「清浄水、成功よ! 魔力波形の上書きに、本当に成功した!」


「王都の研究所でも、実験段階にすら行ってない話だったのに……」


 誰かが信じられないというように呟く。


 魔導兵団の隊長は、清浄水の残りを見下ろし、ふっと笑った。


「王都に報告する。『シェルトにて、腐敗魔素を中和する清浄水の生成に成功。調薬ギルドおよび、謎の保存庫使いの協力による』とな」


「な、謎のとかつけないでください」


 思わず口を挟むと、隊長は肩をすくめた。


「じゃあ、なんと名乗る? 天城アキラ。……それとも、『保存庫の男』か?」


 その呼び方に、ルナが微妙な顔をする。


「その二択しかないんですか」


「分かりやすい方が、記録には残りやすい」


 隊長はあっさり言った。


 その会話を、少し離れた場所からじっと見ている影があったことに、そのときの俺は気づかなかった。


     ◇


 その夜。


 シェルトのとある安宿の一室。


 汚れた外套をまとった男が、窓から外を確認すると、小さな魔導通信具を取り出した。


「……こちらシェルト潜伏班。王都宛ての第一報だ」


 通信具の中で、小さな魔法陣が光る。


「保存庫の男、シェルトに現る。腐敗魔素を清浄した清浄水は、王都研究所の試作薬以上の効果。対象のスキルは、噂に聞く『保存庫』と一致」


 男は淡々と報告を続ける。


「同行者に、魔術研究所から逃亡したルナ・エルネストを確認。二人の関係は旅の仲間。詳細は追って――」


 魔法陣が、一瞬だけ強く光った。


 情報が王都へと送られる。


「さあて、面白くなってきたな」


 男は通信具を懐にしまい、薄く笑った。


「保存庫の男。お前が世界の根幹にふれるなら――俺たちの『主』も、黙ってはいないさ」


 知らないところで、世界のどこかが静かに動き始めていた。


 そのことを知らない俺はというと。


「……疲れた」


 宿のベッドに、顔から突っ伏していた。


「今日はさすがに詰め込みすぎだろ……」


「まあ、魔力暴走獣退治して、腐敗魔素まで浄化したんだもの。普通の一週間分くらいの密度よね」


 ルナが椅子に座りながら苦笑する。


「でも、お疲れさま。アキラのおかげで、また守られた街が増えたわ」


「いや、ルナやギルドのみんながいなかったら無理だったし」


「それでも、清浄水を思いついたのはあなた。だから――」


 ルナは少しだけ真面目な声になった。


「保存庫は、やっぱり世界で一番いらないスキルなんかじゃない。それどころか、世界で一番『危険で、頼れる』スキルかもしれないわ」


「褒められてるのか脅されてるのか分からないんだけど」


「どっちもよ」


 ルナの笑い声が、狭い部屋に広がる。


 窓の外では、さっきまで黒く濁っていた魔力供給網が、穏やかな青い光を取り戻していた。


 その光と、保存庫の中の光が、どこかで繋がっていることを感じながら――。


 俺は、深い眠りに落ちていった。

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