第2話 保存庫の本当の性能
王都を出て三日目。
土の道は、森の中へと緩やかに続いていた。鳥の鳴き声と、木々のざわめき。風が通るたび、葉の影が地面に揺れる。
「うん、いい感じに異世界トレッキングだな」
背中には、ガントから安く譲ってもらったリュック。それを半分以上、保存庫の中身でごまかしているのは、俺だけの秘密だ。
道中の草むらで見つけた見慣れない薬草や食べられそうな木の実は、とりあえず保存庫に突っ込んである。中は時間が止まっているらしく、入れたときの状態のまま変化しない。昨日差し込んだパンなんか、今見ても焼きたてレベルの柔らかさだ。
(まあ、まだ「便利なバッグ」くらいの認識なんだけどな)
自分で自分のスキルをそこまで評価できているわけじゃない。王様に一刀両断された記憶は、そう簡単には消えない。
それでも、歩いていれば腹は減るし、喉も渇く。保存庫があるおかげで、とりあえず死なずに済んでいるのは確かだった。
「次の村まで、あと半日ってとこかな。日が暮れる前には着きたいけど……」
そうつぶやいたときだった。
森の奥から、かすかに悲鳴が聞こえた。
「……今の、悲鳴?」
風の音とまざってはっきりしないが、確かに誰かの声だ。しかも、一人じゃない。
「まずいな」
勇者でも何でもないくせに、足は勝手に走り出していた。道を外れ、木々の隙間を縫って進むと、開けた場所に飛び出す。
そこには、荷馬車が横倒しになり、数人の男たちが武器を構えていた。その周りを、黒い影がうごめいている。
「ゴブリンか……!」
緑じゃなくて、灰色っぽい肌。手には粗末な棍棒や短剣を持ち、濁った黄色い目を光らせている。頭の中のどこかが、ゲームで見た情報を引っ張り出した。
キャラバンらしき荷車の前には、剣を構えた男が一人。肩で息をしながら、ゴブリンの突進を必死にいなしている。その背後には、倒れた護衛らしき男や、馬車の陰で震えている商人風の人影が見えた。
「野郎ども、下がるな! ここが踏ん張りどころだ!」
剣士の男が叫ぶ。しかし、足元はふらついていた。倒れている護衛の一人は足から血を流し、顔面蒼白だ。
(やばいな、これ)
俺には攻撃スキルも魔法もない。ここで突っ込んでも、ゴブリンの餌が一人増えるだけだろう。
でも、何もしないで見ているだけっていうのは――。
選択肢は、ひとつだった。
「スキル発動、『保存庫』」
そっと手を伸ばし、空間に黒い窓を開く。あらかじめ道中で入れておいた薬草の束を、そこから取り出した。
鮮やかな青緑の葉。昨日摘んだものだけど、色褪せひとつない。
「えーと、確かガントさんが言ってたよな。これは軽い治癒効果があるって……」
葉を拳でぐしゃっと潰し、できた汁を布切れに染み込ませる。急ごしらえの応急処置用パッチだ。
「そこの人! 怪我人にこれを!」
大声で叫びながら、荷馬車の陰に駆け込む。視界に入ったのは、血まみれの足を押さえてうめいている男と、そのそばでおろおろしている商人だった。
「あんたは……」
「話は後で! この布、傷口に当ててください!」
半ば強引に布を押しつける。男が痛みに顔をしかめた瞬間――。
「お、おい……?」
商人が目を見張った。布の下から、じわりと柔らかな光が漏れ出している。
見ると、止まりかけだった血が急速に収まり、裂けていた肉がゆっくりと閉じていく。たちまち、致命傷になりかねない深さだった傷が、かすり傷とまではいかないものの、動ける程度にまで浅くなった。
「な、なんだこの薬草は……!」
「ちょっと良い薬草、です!」
本当は、そこまでの効果があるとは思っていなかった。正直、俺が一番驚いている。
「まだいけるか、ドロワ!」
前線で戦う剣士が振り返って叫ぶ。足を癒やされた護衛――ドロワと呼ばれた男は、荒い息をしながらも立ち上がった。
「隊長……! 全快とまではいきませんが、足が……足が動きます!」
「なら、もう一度陣形を組み直すぞ!」
剣士の号令で、護衛たちは再び前線に立つ。俺は荷車の影に身を隠しながら、さらに薬草を保存庫から取り出していく。
(おかしいな。普通の薬草って、こんなに効くのか?)
道中で適当に摘んだだけの薬草だ。効能自体は多少あるとしても、ここまで劇的な効果が出るとは思えない。
たぶん、理由は一つだ。
「……保存庫の中で、時間が止まってるから?」
薬草は、採った直後が一番薬効が高い。時間が経てば、成分が抜けて効果が薄くなっていく。それが保存庫の中では起きない。
だから、俺が取り出している薬草は、全部「採った瞬間のベストコンディション」のままなのだ。
「隊長! 痛みがほとんどない! これならまだ戦えます!」
「こっちももう一本いけそうだ!」
「よし、押し返すぞ!」
護衛たちの士気が一気に上がった。連携の取れた突撃が決まり、数体のゴブリンがあっさりと地面に転がる。残りのゴブリンは、ぎょっとしたように身を引き、森の陰へと逃げていった。
しばらくして、剣士の男が剣を振って血を払うと、大きく息を吐いた。
「……なんとかなったな」
振り返った彼の視線が、荷車の陰にいる俺を捉える。
「おい、そこの少年」
「は、はい」
正直、ちょっとだけ逃げ出したい気持ちがあった。でも足は勝手に前に出ていて、俺は素直に彼の前に立った。
「さっきの薬草、あれはお前が?」
「えっと……そうです」
剣士はじっと俺を見た。年は二十代後半くらいだろうか。短く刈った黒髪に、陽焼けした肌。鎧の上からでも分かる鍛えられた体つきだ。
「俺は傭兵団〈銀の軌跡〉の隊長、ライナーという。さっきの薬草……ただの治癒薬なんてもんじゃなかったぞ。あれ一枚で、回復薬の二本分はあった」
「二本分……?」
「間違いねえ。傷の塞がり方、魔力の流れ方が尋常じゃなかった。お前、ただの薬草どりじゃないな」
ライナーの視線が、今度は俺の腰に向いた。スキルの気配を読んでいるのか、じっと観察してくる。
「スキルは?」
「保存庫、です」
隠しても仕方ないので、素直に答えた。ライナーは眉をひそめ、すぐに目を見開いた。
「保存庫? そんな地味な名前で、あの効果だと……?」
「地味って言うなよ……」
心の中でツッコミを入れる。まあ、地味なのは否定しないけど。
「保存庫って、ただ物をしまっておけるスキルじゃないのか?」
「俺もそう思ってたんですけど……中に入れたもの、時間が止まっているっぽくて。それだけじゃなくて、何ていうか、『整う』んですよね」
「整う?」
「さっきの薬草も、採ったときより色が良くなってたんです。形も整って、余分な汚れも落ちてて。多分、その状態で魔力も均一に落ち着いているから、回復効果が高くなってるんだと思います」
自分で言いながらも、少し不思議だった。俺は別に、薬学に詳しいわけでも、魔法理論に詳しいわけでもない。それなのに、保存庫に入れたものを見ていると、何となく「これは魔力が安定している」「これは質が上がっている」と分かるのだ。
「ふむ……魔力が安定、か」
ライナーは俺の薬草を一本手に取り、目を閉じた。
「確かに、魔力の揺れがほとんどない。普通の薬草は、一本一本魔力の濃さが違うもんだが……こいつは見事に均一だ。こんな品質、王都の上級調薬師でも滅多にお目にかかれねえぞ」
「え、そんなに?」
「少なくとも、この辺境の村じゃまず手に入らん。おい、カナン!」
ライナーは荷車の中に向かって声をかける。ひょこっと顔を出したのは、丸眼鏡をかけた若い男だった。
「な、なに、隊長?」
「こいつの薬草、見ろ」
「薬草?」
カナンは受け取った薬草を、興味津々といった様子で眺めた。商人らしい柔らかな物腰の男だ。
「色ツヤがいいですね。それに、葉脈の走り方が……。まるで、調薬師が魔力を通して整えた後みたいな……?」
顔を上げたカナンは、驚きと警戒が入り混じった目を俺に向けた。
「これ、本当に自生していた薬草なんですか?」
「はい。道中の森で、適当に」
「適当にで、これ……? 信じられない。王都の上等な薬局でも、ここまで揃った品質の素材を見たことがないですよ」
そこまで言われると、さすがに自分のスキルがすごいのかもしれないと思えてくる。
(でもまあ……今のところ、せいぜい薬草がちょっとすごいくらいだしな)
さっきゴブリンをばったばったと斬り倒していたライナーの方が、よほど勇者っぽい。
自分の勘違いだ、と言い聞かせようとしたところで、ライナーがニヤリと笑った。
「面白いガキだな、アキラ。お前、これからどこに行くつもりだ?」
「えっと、とりあえず、一番近い村に。それから先のことは、まだ決めてなくて」
「ちょうどいい。俺たちもこの先のマレッタ村に向かっている。よかったら、一緒に来るか?」
「いいんですか?」
「命の恩人を森に置き去りにはしねえよ。それに、お前の薬草は、これからも何かと役に立ちそうだ」
そう言って笑うライナーの顔は、さっき戦っていたときよりも、ずっと人間らしく見えた。
◇
マレッタ村は、小さな谷間に寄り添うように広がっていた。
木の柵で囲まれた畑と、石と木で組まれた家々。煙突から上がる煙が、夕焼け空に溶けていく。
「おお……」
思わず声が漏れた。王都の城下とは違う、素朴だけど温かい匂いがする。
「ようし、荷物を降ろすぞ! カナン、村長のとこに挨拶だ!」
「はーい!」
傭兵団と商人たちは、慣れた手つきで荷馬車を停め、荷を降ろしていく。その横で、俺は村の子どもたちにじろじろ見られていた。
「ねえねえ、お兄ちゃん、旅人?」
「その背中の袋、でっかいね!」
「あー……うん。旅人ってことになる、のかな?」
どう答えればいいのか分からず、曖昧に笑っていると、背後から声がかかった。
「お主が、噂の薬草の少年かの」
振り向くと、背中を丸めた老人が杖をついて立っていた。白い髭と、皺だらけの顔。その眼だけが、やたらと鋭い。
「えっと、あなたは?」
「この村の薬師をやっとる、バルドじゃ。あの傭兵隊長が、珍しく目を輝かせて自慢するもんだから、どんなもんかと思っての」
バルドは俺の手から薬草をひったくるようにして取り上げると、じっと観察し始めた。
「ふむ……葉の張り、色、香り。これだけ見れば、採取したてと言っても疑わんな。だが……」
じろりと俺を見る。
「一体、何日持ち歩いた?」
「え?」
「薬草というものは、採取してからどれだけ時間が経ったか、だいたい見れば分かるもんじゃ。だが、これは……時間の匂いがせん」
「時間の……匂い?」
「普通はな、魔力も精気も、刻一刻と抜けていく。この草にも、その痕跡がまるでない。まるで、摘み取られた瞬間から、時間が止まっとるみたいじゃ」
老人の言葉に、背筋がぞくりとした。
まさに、保存庫の中の状態そのものだ。
「お主、正直に言うがいい。何のスキルを持っておる」
「保存庫、です」
「ほう、やはりか。昔、似た話を聞いたことがある」
バルドは遠くを見るような目をした。
「遠い昔、王都の奥深くに、魔力の流れを整える倉庫があったとな。そこに入れたものは、腐らず、魔力が均一に整えられ、相性の悪い薬草同士でさえも、容易に調合できたという。じゃが、その技は危険すぎるとされ、いつしか禁術として封じられた……と」
「禁術……」
「まあ、あくまで昔話じゃ。だが、お主の保存庫は、それに近い働きをしとる。物が腐らんだけじゃない。魔力の揺れが均一化され、素材のクセが丸くなっとる」
バルドは薬草をもう一度嗅ぎ、目を細める。
「これを使えば、普通なら混ぜた瞬間に暴発するような素材同士でも、安定して調合できるじゃろう。生活魔法どころか、魔力工学の根っこを揺らす可能性があるわい」
「そ、そんな大げさな……」
思わず両手を振って否定する。正直、言っている意味の半分も分かっていない。
「大げさかどうかは、これから決まる話じゃ。少なくとも、この村にとってはありがたい力よ」
バルドはにやりと笑った。
「お主、今夜はうちに泊まっていけ。代わりに、その保存庫とやらを使って、薬草と食材をいくつか整えてくれんか」
「食材まで?」
「当たり前じゃ。魔力が整った食材は、味の伸びも違う。お主の力なら、少しランクの低い肉も、王都の上流階級が食べておるような味に近づけられるかもしれん」
それはだいぶ言い過ぎな気もしたが、食い意地の張った俺の胃袋は、その可能性に大いに反応した。
「やります! 全力で!」
「よし、話が早くて助かるわい」
◇
その夜、マレッタ村の薬師小屋は、ちょっとした実験場になっていた。
「次、この青い実を入れてみよ」
「了解です」
保存庫を開き、言われた通りに村の子どもたちが集めてきた薬草や果物を放り込む。そして、しばらくしてから取り出す。
取り出した瞬間、バルドは眉をぴくりと動かした。
「やはりのう。色艶が一段階上がっとる。魔力の濃度も均一じゃ。お主、入れる時間に差はあるのか?」
「ないですね。入れて出すのは一瞬ですけど、中にいる時間は……感覚的には、ずっと『ゼロ秒』って感じで」
「ふむ。じゃが、整い方は素材によって変わっとる。これなどは、えぐみが抜けておるが、香りが少し飛びすぎた。整うといっても、『最適化』の方向性は素材ごとに違うようじゃの」
「そんな細かいところまで……」
バルドの話は難しいが、要するに保存庫の中で、「その素材なりのベスト状態」に勝手に調整されているということらしい。それは薬草だけに限らず、肉や野菜でも同じだった。
夕食時には、その成果がはっきりと現れた。
「うまっ!」
村長の家で振る舞われたシチューは、予想以上の味だった。硬くて噛み切れないはずの安肉が、信じられないほど柔らかい。野菜の甘みも、しっかりと感じられる。
「なんだこれ……いつもの肉と同じか?」
「同じですぞ、村長。だが、アキラ殿の保存庫を通したおかげで、繊維がいい具合に整ったんじゃろう」
バルドは得意げに言う。
「食べやすくなって、腹にもたれない。不思議なもんじゃ」
村の子どもたちも、目を輝かせてスプーンを動かしていた。
「お兄ちゃんの力、すげー!」
「これ、毎日やって!」
「そ、それはさすがに……」
さすがに村に常駐する予定はない。俺には、まだ見ぬ世界への未練と好奇心がある。
そんなことを考えていると、外から慌ただしい足音が聞こえてきた。次の瞬間、扉が勢いよく開く。
「村長! 大変だ!」
飛び込んできたのは、さっきまで外の見張りをしていた青年だった。顔は真っ青で、肩で息をしている。
「どうした、そんなに慌てて」
「森の外れに、魔物の群れが……! ゴブリンだけじゃなく、牙猪まで混じってやがる!」
「なんだと……!」
村長の顔色が変わった。周囲の大人たちも立ち上がる。
「見張り台には、もう警鐘を鳴らすよう伝えた! だが、このままじゃ村の柵が持たないかもしれない!」
「お主ら、すぐに戦える者を集めろ。女と子どもは集会所に避難じゃ!」
村長の指示が飛び、村中が一気に慌ただしくなる。
その中で、俺はただ立ち尽くしていた。
「……どうする、アキラ」
俺のステータスは、戦闘面が笑えるほど低い。剣を振るう技術も、魔法を撃つ力もない。
でも、この村の飯を食べて、親切にしてもらったのは事実だ。この状況で「じゃあ俺は逃げます」と背を向けるほど、俺は図太くない。
「何か……保存庫で、できることは……」
必死に頭を回す。さっきバルドが言っていた言葉を思い出した。
『相性の悪い素材同士でも、安定して調合できる』
「そうだ……!」
閃きと同時に、俺は薬師小屋に駆け込んだ。
「バルドさん!」
「なんじゃ、こんなときに」
「火薬草、ありますか!」
バルドは一瞬、目を丸くし、それからすぐに頷いた。
「少しだけなら、あるが……あれは扱いが難しい。火種があればすぐ爆ぜるし、魔力の揺れが強すぎて、普通の袋に詰めると途中で暴発しかねん」
「だからこそ、保存庫で整えます!」
俺は叫んだ。
「魔力の揺れを均一にすれば、爆発のタイミングも安定するはずです。火薬草と起爆用の石、それに破片になる小石を一緒に布袋に詰めて、保存庫に放り込んで……。できあがったやつを、魔物の群れに投げ込めば!」
即席の爆弾。ゲームや漫画で見たことがあるアイデアだ。
もちろん、現実の世界でうまくいく保証はない。でも、何もしないよりはマシだ。
「ふむ……理屈としては、ありえん話ではないな」
バルドは顎をさすり、棚から火薬草を取り出した。赤黒い細長い草で、近づくだけで鼻がツンとする。
「じゃが、これはわしの手に余る。お主の保存庫ありきの発想じゃ。やってみる価値は……ある」
「やりましょう」
俺は布袋と小石、火種に使える火打石をかき集める。火薬草をちぎって混ぜ、小石と一緒に布袋にギュッと押し込んだ。それを保存庫に放り込む。
黒い空間の中で、一瞬だけ赤い火花のようなものが見えた気がしたが、すぐに消えた。
そして取り出した布袋は――見た目こそ変わらないものの、手に持ったときの「中に詰まっている魔力の感じ」が、さっきと違っていた。
「……均一だ」
自分でも驚くほど、はっきりと分かる。さっきはバラバラだった魔力の波が、今はなめらかな一つの塊になっている。
「これは、いけるかもしれません」
「なら、急ぐぞ」
村の柵の上では、すでに村の男たちが弓や槍を構えていた。遠くの森から、獣の唸り声が聞こえてくる。
「アキラ!」
ライナーが駆け寄ってきた。
「ここの村の護衛も、俺たち傭兵団が引き受けた。お前は――」
「これ、投げてもらえますか!」
俺は即席火薬草包みを、ライナーに手渡した。数は五つ。時間との勝負で、これが限界だった。
「爆薬か?」
「みたいなものです。ただし、普通の火薬草より爆発が安定しているはずです。狙って投げれば、ゴブリンの群れをまとめて吹き飛ばせます」
ライナーは袋を一つ握りしめ、魔力の流れを読むように目を閉じた。
「……なるほど。魔力の揺れがほとんどない。こいつは、やべえな」
「やばい、っていい意味ですよね?」
「もちろんだ。任せろ。俺が上手く使ってやる」
ライナーは柵の上に飛び乗った。その向こうの森から、ゴブリンの群れが姿を現す。牙猪と呼ばれた大型の猪型魔物も混じっていた。成獣は大人の男より一回り大きく、牙も鋭い。
「村の連中は弓矢で数を減らせ! 牙猪は俺がやる!」
ライナーはそう叫ぶと、一本目の火薬草包みを天高く放り投げた。
袋は弧を描き、ゴブリンの群れの中心に落ちる。
「今だ、火だ!」
見張り台から放たれた矢の先には、布片に火をつけた即席の火矢が結びつけられていた。それが袋に触れた瞬間――。
轟音とともに、眩しい閃光が弾けた。
「うおおっ!」
「ぎゃあああ!」
衝撃波が柵まで届き、思わず身をかがめる。だが、予想していたような「暴走した爆発」ではなく、狙った範囲だけがきれいに吹き飛んだ。
爆心地近くのゴブリンは黒焦げになり、周囲の魔物もよろめいている。
「すげえ……!」
村の男たちが息を飲んだ。ライナーはすかさず二発目を牙猪の足元に投げ込む。
再び炸裂する閃光。牙猪が悲鳴を上げて倒れる。
「今だ、かかれ!」
ライナーの号令で、村の男たちと傭兵たちが一斉に飛び出した。混乱している魔物たちはなすすべもなく斬り伏せられていく。
数分後。
森は静寂を取り戻した。
「どうやら……勝ったみたいだな」
柵の陰で膝をつき、俺は大きく息を吐いた。
その背中を、ぽんと誰かが叩く。
「やるじゃねえか、アキラ」
振り向けば、ライナーがニカッと笑っていた。
「お前の保存庫がなきゃ、この村はひとたまりもなかっただろうな」
「い、いや……ライナーさんたちが強かったからで」
「謙遜すんなって。お前の作った爆薬草、あれはやべえ。うちの団でも欲しいくらいだ」
ライナーは冗談めかして笑ったが、その目は本気だった。
◇
魔物の死骸の後片づけが終わり、ようやく村に落ち着きが戻った頃。
村長の家に呼び出された俺は、囲炉裏の前に座っていた。
「アキラ殿」
村長は、古びた巻物を大事そうに両手で抱えている。
「この村を救ってくれた礼として、これをお主に渡したい」
「それは……?」
「わしの父の代から、この村に伝わる古い旅の地図じゃ。普通の地図とは少し違う」
村長は巻物を広げた。そこには、見慣れない線がいくつも走っていた。山や川の位置も描かれているが、その上をうねるようにして青い線が重ねられている。
「これは、『魔力脈』の地図じゃ」
「魔力脈……?」
「世界を流れる大きな魔力の流れだ。地中深くを走る見えない川のようなものでな。その上に町やダンジョンができることが多いと言われておる」
村長は地図の一点を指さした。
「ここが、このマレッタ村。そして、この太い魔力脈が、北の方に伸びている。辿っていけば、お主のようなスキルを持つ者が集まるという、古い遺跡があるらしい」
「スキル持ちが、集まる遺跡……」
「わしらのような村人には縁のない場所じゃが、お主のような者には、何か縁があるかもしれん。旅を続けるというなら、この地図が役に立つじゃろう」
俺は、地図から目が離せなかった。
魔力脈。世界を流れる魔力の線。そして、その先にあるという遺跡。
(保存庫が、魔力に関わるスキルだとしたら……)
そこに行けば、自分のスキルについて、もっと何か分かるかもしれない。
「……いいんですか、本当にこんな大事そうなもの」
「救ってもらった命の数を思えば、安いもんじゃ」
村長は笑った。
「それに、その地図は、わしらが持っていても宝の持ち腐れじゃ。持ち腐れにするくらいなら、実際に旅をする者に託した方が、きっと地図も喜ぶじゃろうて」
地図が喜ぶかどうかはともかく、その言葉は妙に胸に響いた。
俺は深く頭を下げる。
「ありがとうございます。絶対に、無駄にはしません」
「うむ。お主の旅路に、風と加護があらんことを」
その言葉を背中に受けながら、俺は地図を大事に巻き直した。
知らない世界の知らない線が、保存庫という地味なスキルしか持たない俺の未来を、どこかへと繋げている。
その先に何が待っているのか、このときの俺はまだ何も知らない。
ただ一つだけ分かるのは――。
「保存庫、やっぱり世界で一番いらないスキルってわけじゃ、なさそうだよな」
部屋を出るとき、小さくそう呟いた自分の声が、妙に心地よく耳に残った。




