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第2話 鯉とゴスロリ少女

「鳥だ! 飛行機だ! ――いや、鯉だ!!」


 思わず叫んでしまった声に反応したのか、そのウロコのを翻した鯉と目が会う。


 見渡す範囲が一瞬にして影に覆われ、空気が少し冷える。

 一瞬の間をおいて、鯉は俺を目掛けて急降下して来た。


 一目惚れ?などと冗談が浮かんだものの、直後に恐怖が背筋を撫でる。反射的にその場を飛び退く。

 畏れは正しかった。止まることなく地面に叩きつけられたと錯覚するほどの勢いで降下し、そのまま俺がさっきまで立っていた所を駆け抜ける。


 一瞬後に追いついた風は、特急電車が通り抜けていったと言われても頷きそうだ。

 鯉は再度浮上し、俺を探す。


 狩られる側であるウサギやキリンは、捕まるその瞬間までひたすらに走る。

 今の俺も正にその通りだった。


 声を上げようとも思わない。ただ己の足を信じ駆ける、そう本能に命じられていた。


 当然、余裕など無い。額も袖の内側も汗だくだ。

 『青春の汗が~』なんて言葉があるが、あれは学生が己の夢に立ち向かってかく汗だからこそ言える格言だ。

 地上で鯉に襲われてかく冷や汗の混じったこれは違う。


 住宅街の角で僅かに差をつけるものの、ちょっとした直進でそれ以上に距離が縮む。


右手に見える工業団地は直線距離が長く、人間に不利な悪手。道の開けた左側は国道で、そんな所へ行けばよく見える案山子にしかならないのは明白。


 しかし、このまま家と家を縫うように走っていても間違いなく体力負けする。

 どんなに運動経験があろうとも、生まれた時から生涯水泳部みたいな魚と良い勝負が出来るとは思えない。


 となれば選択肢は一つ。途中に見えた商店街に入り込む。

 大通りを跨ぐ必要はあるが、国道程は広く無い上、商店街は迷宮のように入り組んでおり、背の高い商業ビルが俺の姿を隠してくれるはずだ。


 コンビニの駐車場を斜めにショートカットして駆け抜けるラストスパート。地面はコンクリートで状態は良。このまま逃げきらせてもらおう。


 人は後ろを見ながら走る事は出来ない。当然、今どこまで迫ってきているのか知る術もない。

 それでも、少しずつ距離が近づきつつあることを背中越しに感じる。


 心臓はもう限界に近い。

 体よりも先に飛び出しそうだ。


 千切れそうな上半身を置いて、先に動きが乱れたのは足だった。

 右足の先が逆足のふくらはぎを掠め、着地点がずれる。

 足首だけが外へとずれ、そのまま直角に。

 そのまま伝わる激痛に思わず体がつんのめる。


 怪我こそ大したこと無いものの、致命的なタイムロス。ほとんど目の前に迫った怪物の姿が視界一杯に広がる。 

 その口を門のように広げ、俺を放り込もうとする時――


「おや、本当に魚に追われているね」


 ある意味場の空気にそぐわない、くすぐるような声が聞こえた。

 声の出所を見上げると、全身をゴスロリ服に包んだ女の子が屋根に乗っていた。


 明るい髪色も相まってか、コスプレと思わせないほど自然に着こなしており、非常に似合っていたのだが、一つだけおかしい部分を指すならば。


 ……その可愛らしい服の何ヶ所かから、銃が覗いている事だろうか。

 彼女自身も、右手に銃を握っている。


「あの……これは一体……?」


 巨大な魚に、見知らぬ人。夢だとしてもキャパシティオーバーな自分の脳に少しでも理解を促すべく発した問いは、食い違って受け入れられた。


「この服はね、ブランドとしては有名じゃないけど、デザインが……」


「いや、そっちじゃなくて」


「この銃はね、射撃精度を意識して作られてて……」


「…………」


 理解は遠のいた。

 半分以上なにを言っているのか分からなかったが、とりあえずゴスロリと銃が好きな女の子と認識しておく。


「とりあえず逃げていい?」


 突飛な人間の登場に困惑したか足を止めていた鯉も、そろそろ飛びかかって来そうだ。


「そしたら私たちのいるアジトがあるから、そこまで案内するよ」


 ゴスロリ少女は腰からゴルフボール程の玉を引っ張り出し、無造作に放り投げる。

鯉の鼻先で破裂したそれは消火器のように霧を辺りに撒き散らす。


 方向感覚すら見失う白の中、矢のように現れた少女に手を取られ、反対へと連れ去られるように駆ける。

 一度二度通った程度では覚えられないような、狭い路地裏を我が庭のように走る少女。

 その足取りには一切の迷いが無かった。


「道……知ってるの?」


「へ? 全然?」


「えっ」


 返答を証明するように、袋小路に突き当たる。

 人が通れるような幅は存在せず、追いつかれるのは時間の問題に見える。


「何か作戦とか……」


「がんがんいこうぜ!」


「…………」


 絶句とはこのことを指すのだと、我が身をもって実感した。


 なにも言えない。かける言葉が出てこない。

 辞世の句でも考えるか……とその場に座り込もうとすると、少女が手を回してくる。


「というわけで、ちょっと失礼」


「えっ?」


 咄嗟のことで、抵抗し損ねた。

 右手を首に回し、左手を膝裏に。そのまま横にした状態で体を持ち上げるこれは――


「――お姫様抱っこ!?」


 どんなものかは知っているし、やり方も分かる。

 だが、持ち上げられる側というのは流石に想像の外が過ぎた。


「舌、噛まないようにね」


 そう言い残した直後、負荷が全身を襲う。

 魂を置いていきそうなほど強烈な荷重に瞳をつむり、慣れた頃合いに恐る恐る開いた目が映し出したのは、空だった。


 三、四階分はあったビルを垂直跳びで飛び越したのだ、この少女は。


「此処からなら一直線。道も迷わないよ」


 なんて事無いかのように……実際彼女にとってはさしたる事でも無いのかも知れないが。


 俺はお姫様抱っこされているという現状すら忘れて、雲一つない空を見晴らしていた。


「あ、そうそう。後で細かく聞かれると思うけど、この町は知ってる?」


「へ? いや……知らない」


「まぁ、知ってたら襲われるなんて間抜けな事は無いか……うん、ありがとう」


「はぁ」


「とりあえず他の人もいるから、仲良くね」


「はぁ?」


 文字にしたら疑問符一つの差だが、内情としては相づちと疑問という、大きな開きがある。


「あの、どこに連れて行く気で……」


「百聞は一見にしかず!」


 衝撃的すぎる経験に脳みそはオーバーヒートしてしまい、言葉も纏まらないので、駆け落ちの花嫁にでもなったつもりで大人しくする。


 ……実際花嫁にはなれないのだが。男なので。



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