第18話 鯉の瞳に映るもの
俺たちが集まってなんとか迂回する方法はないかと考えていると、突然声が聞こえた。
「お困りのようですね」
「うわっ」
ボスの声だった。相変わらず心臓に悪い。
「状況をお聞きしても良いですか。何か助けになるかもしれません」
「はぁ」
深呼吸して落ち着きながら、あった出来事を報告する。
「……という訳で、ミユキさんの所には行けなさそうっすね」
「鯉が、通せんぼを……なるほど」
コーヒーを啜る音が少し聞こえた。こうしてボスと話していると電話みたいだ、なんて考えが浮かぶ。
「今まで、鯉が立ち止まる事なんて無かったのにね。泳ぎ疲れたのかな?」
「鯉のぼりって風に吹かれてるイメージだし、疲れた所が想像しづらいな……」
「お二人の話を聞く限り、ただ立ちはだかるということ以外にも何か意志があるように感じます。迂回も出来なかったのでしょう?」
「そうそう、まるでドアマンみたいだったよ」
「……気になる事がいくつかあります。指示を出すので、もう一度向かっていただけますか」
そうして、ボスの作戦に耳を傾けた。
「まずは鯉が追いかける対象の優先順位を確認しましょう。ワカバとケイは囮になって引き付けてください。ハナはそのまま待機」
「……そんなに上手くいきますかね?」
「私は実験みたいでいいと思うよ? 面白そう」
「面白さの話じゃなくてだな」
ケイを窘めるが、ハナも目を輝かせている。
……これはもう、腹を括るべきなのだろう。
「準備はよろしいですか」
ボスのいつも通りの声が聞こえる。
自分だけ緊張しているようで、何だかばかばかしい。
「いつでもいいよ~」
ケイも変わらない声音で、まるで変化がない。
「……いいぞ」
俺の声を合図にして、ケイが正面に走り出す。
遅れないようにケイの速度に合わせ、まずは鯉に視認させる。
相対する位置にいる鯉が動き始めるのを見て、俺たちは左右に分かれて逃げた。
鯉は僅かに首を左右に振って行き先を確認すると、ケイを追いかけに行った。
さっきの逃亡劇を覚えているのかと思ったが、道路の行き先を見てすぐに理解した。
ケイが走っている道は緩やかに曲がっており、魚屋に近くなる。
近付く相手を追う、単純で分かりやすい。
「ワカバはその場で待機、ハナは直進してください」
ボスの指示が聞こえる。ハナはそこからまっすぐ行くだけで魚屋に辿り着く位置におり、先程まで道を塞いでいた鯉は現在、ケイを追っている。
ハナの速力よりも先にケイが魚屋に着く筈だから、鯉は常にケイをマークし続ける……と思っていた。
ところが、鯉はすぐに浮上し、周囲を旋回して何かを探すような動きを見せる。
そして、元の通路に戻ってしまった。
「嘘だろ、戻るのが早すぎるっ」
ボスと相談する前に俺が囮になっていた時よりも明らかに時間が短い。
まだ鯉の姿も十分に見える位置だ。
「ワカバ、ハナのカバーを。ケイは追跡を」
冷静なボスの声に、頭を冷やされたように落ち着きを取り戻す。
そうだ、まだ失敗したわけじゃない。対策が出来ているという意味では、予定の範囲内だ。
改めて一度息を吐き、鯉を観察する。
俺が追いかけられていた時と同じく、行きよりも帰りの方が足が速いように見える。
ケイが撃ち込んだ銃の跡はここからよく見えないが、ほとんど意味が無かったようだ。
体力は十分にあり、離されない程度には距離を保てている。少なくとも今は。
俺はハナと合流すると、そのままの勢いで反転。
さっきまで走りかけていた道へと逃げ出す。
「ケイ、魚屋へ向かってください」
ボスからの新しい指示により、俺とハナが囮となって鯉から逃げ、ケイがミユキさんを連れてくる事を理解する。
当初鯉が鎮座していた魚屋への道は、ここら一体の主要道路のようで中央を線で区切られていた。
長い直進は果てまで延びており、青空が広く見える。
当然逃げ場は無いが、逆に言えば駆け抜ける際の障害も無い。
鯉までの距離を確認しようと振り返ると、ケイが駆け出す姿がちらと見えた。
背中に羽根が生えているかのような軽やかな走りは、小さくもハッキリと視界の端に写っていた。
さて、俺も鯉から逃げないとだ。
「ハナ、走りに自信あるか?」
「……ちょっとだけ?」
何とも頼りない返事ではあったが、それなりのペースで走っている俺に着いてきているあたり、全くの嘘では無さそうだ。
ケイが向かっている間、囮役を完遂するためにもあまり鯉から離れすぎるわけにはいかない。
とは言え、近すぎてうっかり食べられてしまってはそれこそ本末転倒。
何の意味も無くなってしまう。
それに、ハナが走れるペースと経路を選びながら走る……となると選択肢は大きく減る。
少なくとも屋根を飛んだりは出来ないだろう。
「次の交差点で右だっ」
指示を出しながら脳内の地図に現在地を当てはめ、緩やかに魚屋に近付くルートを選ぶ。
あまり魚屋から離れて、ケイが追いかけられるようになるわけにはいかない。
程々の距離感に悩みながらも、後ろに意識を向けるのは忘れない。
ちょうどそんな時、鯉が斜め上から滝を下るように攻めかかってきた。
一瞬にして視界の鯉が大きくなっていく。
「左……!」
言うが早いか、動くのが早いか。
半ば飛び退くようなステップで狭い路地に飛び込んだ。
タイミングがギリギリすぎて、ハナが慌てて飛び込んできた。
路地は車の行き交いにも苦労する狭い道で、ここなら鯉が入ってこない。
鯉の目を引くという目的がある以上、長居は出来ないものの、呼吸を整える時間が生まれた。
「しかし、ケイには目もくれないでこっちに来たな……」
元々の運動能力に加え、直進したケイの方が早く近付くはずだ。
それを放り出してまで俺たちを追う理由は何かあるのだろうか……?
その時、ボスから連絡が来た。
「ケイが魚屋に到着しました」
「早っ!」
想像以上の早足に驚きが顔に出る。
だが、本当に驚いたのはその後の報告だ。
「どうやら、ミユキさんは建物内にいないようです」
ミユキさんがいない……?




