第17話 通せんぼ
まるで己こそが空の所有者だと主張するような、堂々とした迫力のある姿。
それは間違いようの無い、立派な鯉の姿であった。
「見とれてないで、とっとと隠れる!」
ケイは驚きで立ち止まっていた俺とハナを押し込むようにして角を曲がった。
視界から鯉は消え、何事も無かったかのようになるが、記鯉の瞳がこちらを射抜いていた記憶がはっきりと残っている。
「今の、見られてたよな……?」
「多分……。回り道するしかなさそうだね」
ケイの先導に従って、建物の隙間を縫って進む。
時折道路の角から覗き見ては引き返し、別のルートを探す。
何度かその作業を繰り返していたが、ケイが溜め息混じりにこちらへと向き直った。
「あの鯉、ちょうど私たちとミユキさんの間にいたまま動かないよ……」
「回り込んで行けないのか?」
「難しいね……地図を見てみたけれど、どうしても通らないと行けない所に立ってるの」
「……通せんぼ?」
ハナが言ったように、何度が迂回を試みたものの、道を阻む位置に鯉が門番のように立ちはだかっている。
これではどうしてもその先へ向かうことが出来ない。
「俺が囮になって鯉の気を引いて、ケイとハナが奥へ向かうっていうのはどうだ?」
「うーん……他に手もないし、それで行こっか。一人で大丈夫?」
「元とはいえ陸上部だ、任せろ」
ケイの運動能力と比較すれば、俺の発言は虚勢もいいところではあった。
しかし、そうでもしなければ自分が緊張に押しつぶされてしまいそうだとも感じていた。
最初に一方的に逃げ回っていた時を除いて、基本的に鯉と退治するときはケイや誰かが側にいた。
今回は一人きりだが……動き方は教えてもらっている。
クラウチングスタートの体勢となり、深呼吸をする。
涼しいそよ風が背中を撫でた。
己に号令をかけ、全身を一瞬にして躍動させる。
少し先にいる鯉と目が合うが、恐れずその口元へと突っ込んでいく。
「こっちだ! ついて来い!」
ダメ押しの掛け声をいれ、鯉の反応を窺う。
狙い通り、首をこちらへと向けてくる様子が見えた。
それを横目に見ながら路地を曲がり、ついてきている事を確認する。
「このまま引きつける……!」
曲がり角で僅かに距離を稼ぎつつ、直線でちらと後ろを振り返る。
鯉は釣り餌を疑う魚のように、慎重に俺を追いかけている。
おかげで逃げるペースには余裕があるのだが、囮と言う意味では望ましくない。
距離が縮まるよう速度を落としたりするが、効果はあまり無さそうだ。
とはいえ全くの無効では無いらしく、緩急ある動きで俺を飲み込もうと飛び込んでくる。
そのため、距離が開いても油断ならない。
近づいたり離れたりするその動きは、まるで俺が遊ばれているかのようで、肉体以上に精神面がひどく疲れる。
とうとう平地を走っているだけでは追い付かれつつあり、そろそろ他の手も使わねばという頃。
突然鯉が動きを止め、辺りを見渡し始めた。
目の前にいる俺を見失うとは考えられない。
それ以外でコイツが探す人間がいるとすれば――
答えが脳裏によぎった途端、鯉は反転して宙を舞う。
そして、予想の通りケイたちと別れた地点へと飛び出してしまった。
「っ! 待て……!」
声を上げて気を引いてみるが、気にも留めずに逃げた道を逆戻りしてゆく。
行きに大回りしていった道も全て空から一直線に飛んでいってしまい、あっという間に差が開いていく。
さっきまでとの勢いの差に、遊ばれていたとすら思った。
疲労で重くなった体に鞭を絞り、塀を足掛かりにして家の屋根へと駆け上がる。
屋根と屋根の間を飛び越え、まっすぐに鯉の先にいるはずのケイたちを探す。
通りを何本か越えた先、見逃しそうな距離に特徴的なワンピースが見えた。ケイだろう。
「ケイ! 鯉がそっちに行くぞ!」
聞こえるかは疑問であったが、とっさに叫ばずにはいられなかった。
走りながら声を出して集中力が切れたか、浮いている屋根瓦を踏んでバランスを崩す。
転倒こそしなかったものの速度は大幅に落ち、追い付くことは絶望的だ。
八方塞がりか……そう思いながらケイの背中を見送っていると、一瞬、ケイと目線が合った。
そう見えただけかもしれない。
それでも、去り際に見えたニヤリとした笑顔が眩しくて。
バランスを取り直す事も忘れ、尻餅をついてしまった。
鯉はケイを補足したらしく、家屋を越えて一直線に向かう。
その途中、銃声が聞こえた。
鯉のヒレに小さくも丸い穴を空けた弾丸は、空へ向かって伸びる一条の線となって消えた。
鯉にとっては致命傷とは行かずとも、動きを緩める一打となった。
追跡が緩慢になり、当面二人の姿を追う事は出来ないだろう。
しかし、大きな通りを塞ぐように立ちはだかる鯉の居場所は、最初とほぼ同じ。
全力で走れば鯉を振り切れるかもしれないが、ハナやミユキさんの体力が保つか、不安が残る。
強行突破は難しいだろう。
ケイも同じ判断をしたようで、俺の所へやってきた。
「今日はダメそうだね……一旦戻ろっか」
「そうだな」
「……ドキドキした」
ケイの背中から小さな声が聞こえた。ハナを背負った状態で走っていたらしい。
……その気持ち、わかるぞ。




