第12話 ワカバの日常
気がつくと、見慣れた部屋に一人寝転がっていた。
フローリングに無理やり敷いた布団と、プラスチック容器が置きっぱなしのローテーブル。
壁に沿って置かれたこじんまりとしたテレビと、数日間破るのを忘れている日めくりカレンダー。
間違いようもなく、俺の部屋だった。
「現実、だよな?」
さっきまでいた世界があまりにも現実的すぎて、自分が今どっちにいるのか、分からなくなりそうだ。
まるで胡蝶の夢。
それでも目覚まし時計のアラームが変わらない日時の始まりを告げる。
珍しくアラームよりも早起き出来た事にささやかな驚きを覚えつつも、支度を整える。
大学までの道中は至っていつも通りだった。
玄関を開けても、魚は泳いでいない。
見知らぬご近所さんと目が合い、どちらともなく会釈をする。
よくよく考えてみると、慌てて飛び出したから気付かなかったが、夢の中で見たあの街の景色は今まで一度も訪れた事のない見知らぬものだった。
どこの大学に行くつもりだったのやら。
曲がり角で正面衝突などという今頃使い古されたイベントも無く、いつもの大学にたどり着いた。
「今回の説明から言えるテーマは…………」
いつも通り、講義は退屈だ。
教授は出席確認さえすればある程度単位の保証はすると言っていたが、小心者の俺は船漕ぎこそすれどキチンとノートをとっておく。
「ぐぅ……」
……隣で堂々と眠っている女は起こすべきだろうか。
時折むにゃむにゃと何かをつぶやくので、全く集中出来ない。
腕を枕にして寝入っている姿は流石に教授からも目立つのか、何度か視線を感じている。
とはいえ見知らぬ人間、それも女性に声を掛ける度胸は俺には無い。
何となく胸に残る申し訳なさから顔を背けつつ、講義が終わるのを待った。
半日程講義を受けて、午後のバイトまでは時間が空く。
昼食を探して下町へと降りる。
探して、と言ったものの向かう先は決まっている。
いきつけの町食堂があるのだ。
やや薄汚れた建物だが、若草色の暖簾はいつも綺麗な色合いをしている。
チェーン店とは違い、日替わりのメニューが非常に豊富なのが最大の特徴で、密かな楽しみにしている。
学校の購買も手頃ではあるのだが……メニューの豊富さでは叶わない。
それに、学生たちの争奪戦に巻き込まれるのが嫌という、切実な理由もある。
ここの和洋中を取りそろえながらも千円を切る価格帯は、地元の人に愛される味だ。
「おばちゃん、日替わり」
「あんた今日はサボりかい?」
「ただの昼休みだよ」
「ホントかねー……はい、お待ち」
すっかり顔馴染みのおばちゃんがあっという間にご飯を持ってきてくれた。
今日は炒飯……と、漬物に味噌汁。
ここでは何を頼んでも、必ず漬物と味噌汁がついてくる。
そしてこれが美味しいので、文句がつけられない。
薄い塩味の利いた炒飯を、味の濃い漬け物と一緒に戴く。
合間に優しい風味の味噌汁を胃に流し込めば、優しい満足感に満ち溢れてくる。
気がつくと、あっという間に皿が空になってしまった。
結構大盛りだった気がするのだが……。
「ごちそうさま」
「またおいでー」
おばちゃんに見送られながら暖簾をくぐり、晴れた空に体を晒す。
店の立地が大学に近い事もあり、行き来しやすいのも個人的にはありがたい点だ。
……なお、もっと近くにお洒落な店や目立つ店が多いので、同じ学生に出会ったことはこれまでない。
…………断じてボッチではない。
安くてお得な店を行きつけにしている、一般大学生だ。
ふと日差しに翳した腕時計を見ると、さほど時間に余裕が無い事を教えてくれた。
「バイト行くか」
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「……つっかれた」
午後のバイトは想像を超える激務だった。
平日の昼下がりだから大した人の入りは無いと高をくくっていたが、PTAと思しきマダムの団体客があれもこれもと注文した結果、キッチンはさながら戦場の様相であった。
働きすぎた人間には追加賃金をもらう権利があってもいいような気がする。
疲れた日には決まって戸棚の一番下を開ける。
中にはお店の在庫でも抱えているのかと言われんばかりの大量のカップ麺。
カップ麺は誰でも簡単に均一な味が出力される、完璧なる工業製品……
もう少し栄養バランスに配慮してくれれば、無限に食べていられるような気がする。
夕食を食べて体が怠ける前にシャワーを浴びる。
布団に載った暖かい体は雲のように軽く、簡単に意識を手放した。




