5. 契約書のご利用は計画的
客室に、家族が集まっていた。義両親と、元の家の兄と、義弟と、かかりつけ医のフェルゼンさん、私、そして初めて見る初老の男性が一人。客間の複数人が座ることのできるソファに、私と初老の男性が向かい合うように座って、空いた席にそれぞれが目線も合わさずに座っていた。
私の目の前の机には、魔力が滲み出ている契約書が置かれている。
一夜明け、昼も過ぎて皆の状況が整った、と私は呼び出された。文字通りの四面楚歌である。
「この度の失態について、私たちも傷つきました」
最初に言葉を発したのは義母で、言葉に呼応するように元の家の兄がため息を吐いた。
それを向けられた私が無反応なのをみてとると、こちらに向けて無い牙を向けるように怒りを露わにする。
「この、痴れ者が……っ。与えられた恩も忘れて」
怒りに任せて出た言葉が、静かな部屋に響き渡る。
私はすべての感覚を鈍くして、それぞれが制御できず滲み出ている感情を引き受けないようにした。
元実家の両親は現在、鉱石の卸の商売から少し身を引いていて、兄が引き継いている。元々両親は冒険家気質で、各地の温泉や地方の特産物を楽しみつつ、鉱脈や珍しい石などを探すのが好きな人たちだった。その副産物として希少性の高い宝石を見つけて、商売に持って行ったのだ。危険性もあるので、冒険者を雇ったり、地方の豪族とバランスをとらねばならない。普通の商家であれば娯楽と受け取られかねないような商売かもしれない。本人たちはそれを楽しんでいるし、運が良いようで今のところ予算内で商売は回っている。
今は鉱石探しのついでに、旅行の最中だ。どちらが本命かは分からない。本人たちもわかっていないだろう。
兄が引き継いだ途端に元妹が問題を起こした、と伯爵家に土下座する勢いで開口一番謝罪した。客室に集合する前に自室に来て私に殴りかかろうとした。だけれどもそれは同行していたジョルツ様に止められた。
十分罰は受けるはずだから、と私にも聞こえる声が響いた。
「今回の件について、私たちも大いに失望した。ーーしかし、君を歪めてしまった理由は、君を引き取った私たちにもある、そう、私は考えている」
「伯爵様、これ以上は私情が入る。そうしてしまうと、お互いにとって良くない。ここは、私から」
初老の男性が、伯爵様が続けようとした言葉を引き継いだ。
どん、と親指の厚さくらいの書類が目の前に置かれた。
契約書とは別の書類だ。
「これは、伯爵家ほか皆様から聞き取りを行い作成した報告書です。そしてこれを元に、今回の契約書を作成いたしました」
「……」
「ああ、申し遅れました。ベリナリア嬢。私はこう言ったトラブルを専門に扱っているウィル・ペアーと申します。
お見知り置きを、と言っても、私と会うのはこれで最後かもしれませんが。以降あなたの対応は私の事務所の代理人のポールに任せますので」
丁寧だけれど、質問する合間を持たない口上に、どういう説明をしたのか、うっすらと分かった。これから提示される契約は、私の不利になることなのだろう。初老の男性は茶色で艶々の髭を蓄えて、人当たりの良さそうな笑みを浮かべた。ぷっくりとした頬に、えくぼが片方できる。スーツはきっちりと着込んでいるけれど、襟が少し汚れているのが気になった。
「一つ、貴方と伯爵家の養子縁組は解消されます。原因は貴方の不義理。義弟の魔力をご自身の魔力として流用し使用していた、とのことですから」
なんとむごいことを、と個人的な感想を挟みながら、ウィルさんの話は続けられる。
養子縁組の解消、婚約の破棄、実家からの離籍、魔法科から一般科へ転科、一部支援金として発生していた資金の回収、この件に関わった関係者への接見禁止、交渉時には両者の合意の元行われること。しかしながらこれまでの功績を鑑みて、学園を卒業するまでは在籍しても良い、その資金の借用も伯爵家から認められる。卒業後は都市から離れて生活すること。
様々な条件が矢継ぎ早に口頭で伝えられ、目の前の契約書にチェックが入っていく。
その度に、チェックされた文章が光った。
妖精を用いた契約のようだ。とても厳格で、守らない者に害が及ぶタイプの契約書で、署名した途端に、効力を発揮する。見えるように置いてくれている署名欄について、関係者全員の署名が終わっているようだ。
(やっぱり……)
私はフェルゼンさんに視線を向けた。
鼻で笑うように顔を傾けると、組んでいる指を組み替えて首を振った。その様子に、苛立ちが芽生える。ーー以前であれば、胸に収めただろうそれを、この状況だ、と私は表に出すことにした。
はい、と手をあげる。おや、とウィルさんの片眉が上がった。
「私が、ジョルツ様の魔力を使うようになったことを、説明させてくれませんか」
「説明は不要です。フェルゼン医師より診断書と合わせて経緯を確認しています」
「ジョルツ様の魔力を安定化させるため、君の協力が必要だったことは認めます。しかし、それと魔力を吸い出し、自身の力とするのは話が違う。全くもって、貴方の契約に対する穴をついたわけだ。賢しいことです」
私の言葉をウィルさんが遮り、ウィルさんの話をフェルゼンさんが引き継いだ。言葉は続く。
「元々ジョルツ様は、魔力を自身の体より多く発現する症状を患っていました。魔力過多。先代で私の師は、その改善のために君の能力を利用した。ジョルツ様の縁戚で魔力の相性がよく、症状が悪化する際には魔力を吸収する媒体になる。手を握り、魔力を吸い出す。確かに、時には痛みを伴うような作業だったと聞く」
手を握る、という段になって、ジョルツ様が私を見た。大きく目を見開いて驚いている様子を見るに、本人には聞かされていなかったらしい。
ジョルツ様のために、深くは説明しないようにしていたのだろう。
魔力過多自体は貴族には良くある病気だ。魔力を強くするように血を交えてきたのだから、それは仕方ないことだと言える。
多少であれば薬草による治療や、魔法具による調整が可能だ。
加えてジョルツ様のように人並外れた上のさらに過剰な場合には、同じような魔力を受容できる相性のいい相手を見つけて吸い取ってもらうことを致し方なしとしていた。これも私が子どもの頃には、という注釈がつくし、そもそも私が子どもの頃にも、非人道的だという声が上がっていたらしい。
それはそうだ。相性がいいと言っても、自分ではない魔力を受け入れるので、痛みをともなう。同じ年頃、ということで子どもである条件は必須だ。
しかし、とジョルツ様を見ながら、フェルゼンさんが続けた。
「ベリナリアの力が必要だった時期は、とうに過ぎている。ジョルツ様は今、自身の力で多すぎる魔力を制御している。もちろん魔法具の補助あって、ですが。
君は君が不要な状況でジョルツ様の力を奪い続けたんだ」
だから、ジョルツ様が気に病むことはないのです、とフェルゼンさんは続けた。
私はそんなことはどうでも良かった。
「それでご納得されているのでしたら、承知いたしました。
ではそれとは別に、私は辺境に受け入れていただけますか」
「は?
あ、……ああ、元婚約者と移住予定だった辺境の……魔の森の近くの土地ですか」
ウィルさんがううん、と唸り声をあげる。
「お前は、まだそんな!」
「あわせて、討伐のお手伝いをした時私にいくらか報酬が出たと記憶しています。それは伯爵家の予算とは別のものです」
実家の兄が怒鳴りかかり、立ちあがろうとするのをそれを他の人が制す。私は構わず言葉を続けた。
ははあ、討伐ですか。にや、とウィルさんの口が緩むのを私は無表情のまま見つめた。
「いやはや、素晴らしいですな。それも全てジョルツ様の魔力によるものですが!」
「私は辺境に受け入れていただけるかは」
「そりゃあまあ、ご自身で、問い合わせていただければいいのではないですかな?
平民となる身でどのように問い合わせるかは、ベリナリア様にお任せいたします」
それよりも、今は契約書の話をしましょう。
チラチラと時計を見ながら、ウィルさんが話を戻した。
私も自分が確認したいことを繰り返した。
「お手伝いした時の報酬は、伯爵家に帰属しますか、私がいただいてもいいものですか」
「ーーお父様、その程度であれば許してください」
「ジョルツ……!」
「お母様、僕は」
「ジョルツ……、息子がいいと言うなら」
家族間で話し合いが加速して、すぐに結論が出た。会話は少ないけれど、すぐ通じ合う。この人達の、ジョルツ様を思う気持ちは本当にまっすぐだ。ーーここでジョルツ様が後押しするとは思わなかったけれど。
ああ、と息とも声ともつかない音を口から漏らして、ウィルさんは一瞬だけ顔を顰めた。私と目が合うと、仕方ありませんな、と言った風に肩をすくめた。
「まったく、伯爵一家は随分とお人好しのようだ。
正直、この状況で学園に卒業させていただける、などこんな温情は見たことがありません!」
ウィルさんが目の前で手を叩いてそのまま広げた。人好きのする髭面のおじさんに扮したウィルさんは、ニコニコと笑って私を見つめた。
その後、鋭い目つきになり、説明を続ける。
「これ以上温情を求めるなら、もちろん争うことも可能ですよ。ーー貴方に味方する人間がいない状況で、専門知識を持たない貴方の要望が、どこまで通るかはわかりませんが」
もちろん私も、代理人のポールも、伯爵家の依頼によるものです。
一転、にこやかな笑みに切り替えて、ウィルさんはそう続ける。
さあ、と目の前の契約書が私の前に近づけられ、ペンを握るように私に差し出される。
「そうですか」
何の感情も乗らない声に聞こえただろうか。
渦巻くものを鎮められただろうか。
目を閉じると、「ぷぎゅ」「にっ」と部屋で聞いた二匹の声が聞こえた。
大丈夫だ。
「ありがとうございます。この内容で署名します」
握ったペンから、消し炭みたいな私の魔力を練り出した。
少し違和感を持ったのか、ウィルさんは顔を顎をさすった。
書き終えた瞬間、「契約はなりました」とどこからか声がした。
ウィルさんはにっこりと笑った。うっすらと冷たい瞳が三日月の形をとった目から覗いた。
ごとん、と音がした。
ジョルツ様が倒れた音だった。