目覚めるダンジョンマスター
暗い。
息をするたび、湿った空気が肺にまとわりつく。
岩肌のような壁、土の匂い、そして……奇妙に鼓動する音。
ここは……どこだ?
ぼんやりとした意識のまま、俺は手を見た。
細く、緑色で、ざらついている。
指の先は鋭い爪に変わっていた。
「……冗談だろ」
間違いなく俺の手なのに、どう見ても人間じゃない。
皮膚は硬く、筋肉は妙に軽い。
鏡がなくてもわかる。
俺は“化け物”になっている。
その瞬間、頭の中に声が響いた。
『ダンジョンマスター、起動を確認。初期設定を開始します』
「だれだ?」
『こちらはダンジョンコア。本ユニットはマスターの補助を担当します』
無機質な、けれどどこか冷たい女の声。
思考が追いつかないまま、視界の前に光のパネルが浮かんだ。
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【ステータス】
名前:山本圭介
種族:ゴブリン
職業:ダンジョンマスター
魂ポイント:0
階層:地下1階
拠点耐久値:100%
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「ゴブリン……? 俺が?」
たしか俺は――死んだんだ。
閻魔大王とやらと、話した気がする。
上手く、記憶がつながらない。妙な気持ち悪さが心に残る。
だが、次の瞬間にはこの洞窟にいた。
『マスターは死亡後、魂の再利用対象に選定されました』
「再利用……?」
『覚えてませんか?この世界における“ダンジョン”の維持には魂エネルギーが必要です。あなたはダンジョンを運営し、魂ポイントを収集します』
「俺が、ダンジョンマスター……ってことか」
『はい。魂ポイントを一億貯めることで、人間への再構成が可能です』
「一億……そんなバカな」
現実味なんてまるでない。
けれど、他に選択肢はなかった。
この体で生き延びるしかない。
生き返るために、戦うしかない。
『警告。外部侵入者を検知。警戒レベル:C。距離、約40メートル』
「侵入者……もう来たのかよ!」
足音が響く。複数人だ。
たいまつの赤い光が、岩の間から漏れている。
『迎撃を推奨します。モンスター召喚や罠の設置には魂ポイントを消費します』
「魂ポイントって……まだゼロだろ」
『はい。したがって召喚は不可能です』
「じゃあ自力でやるしかないのか!?」
手元を見ると、錆びた短剣のようなものが落ちていた。拾い上げる。軽い。
手に馴染まないが、武器があるだけマシだ。
足音が近づく。甲高い金属音と、たいまつの揺れる光。三人組の人間だ。革鎧、弓、詠唱を始める魔術師。普通の冒険者の装いで、普通に笑いながら歩いているようにも見えた。
胸の奥がぎゅっと締め付けられる。人間の足音。人間の息遣い。心臓が、まだ人間だった頃の感覚を一つひとつ揺さぶる。
(これ、やっちまっていいのか――?)
頭の中で疑問が反芻する。
俺は今、ゴブリンだ。薄汚れた爪をした化け物の手。
だが、その中身は確かに山本圭介だ。
ゲームの中にいるような感覚に陥る。
昨日まで会社のデスクに座っていた、妻の顔をはっきり覚えている。あの笑い方、寝顔の小さな皺、休日に作ったカレーの焦げた匂いまで。
人を殺すという行為の重さは、不思議となく、やらないといけない。むしろ楽しむような高揚感が湧き上がる。
俺が人に刃を向けたことはあったか。
いや、職場で怒鳴ったり、喧嘩をしたことはあった。
けれど、目の前の人間の喉を掻き切るなんて、想像すらできなかった。
だが、現実は別だ。こいつらは「侵入者」。
「勝てば、ログアウト出来る。」
ダンジョンに入ってくる者たちは、宝を奪い、命を奪うことを辞さない。
ここに来るということは、ルールを受け入れたということだ少なくとも、この世界のルールではそうだ。
(……でも、それは言い訳に過ぎない)
圭介の内部で、二つの声がぶつかる。
一つは人間としての倫理。
人を殺してはいけないという当たり前の線。
もう一つは、今の状況に抗えない現実。
魂ポイントはゼロ。武器も罠も召喚も使えない。生き延びるために何を差し置いても行動しなければ、この体で生き残れない
人間に戻る機会すら消える。
ふと、ダンジョンコアの淡々とした声が耳に入る。
『注意:外部侵入者は魂ポイント源です。非致死措置は可能ですが、得られるポイントは大幅に減少します』
非致死で行けるのか。意図せぬ救いにも思えた。
だが、戦闘の最中に完全な制御ができるか?
そして、非致死にしたところで、次の侵入者に殺されるリスクはどうなる?
次の侵入者が“人間”である以上、慈悲は自分の首を絞める可能性が高い。
(俺は戻りたいんだ。人間に。妻の顔をもう一度見たいんだ)
記憶が、全ての決断の後押しをした。
愛着も懺悔も、全部まとめてこの胸の奥に押し込める。
もし今、目の前の人間たちに躊躇して致命傷を与えられなければ、次に来るやつらに殺される。
そうなれば、ここで終わりだ。
ゼロから始まった魂ポイントは永遠にゼロのまま。
「……悪い。すまない。だが、俺は生きる。生きて地球に帰る」
圭介は自分の声を聞いて、驚いた。
それは諦めでもないし、憎しみでもない。
もっと単純な生の欲求の声だった。
人は本能的に生き延びようとする。
その当たり前の声が、今は最も真実に思えた。
短剣を握り締め、岩陰から飛び出す。
足先に冷たい床の感触が走る。
たいまつが揺れ、冒険者たちが顔を上げる。
「ゴブリンだ! 気をつけろ!」
弓が引かれ、詠唱が漏れる。
だが圭介は、もう躊躇わない。
素早く前方へ蹴り込み、剣士の足元に滑り込む。刃を逆手に回し、喉元へ突き上げた。
抵抗の叫びが、暗闇の中に裂けた。
その姿を見ただけで、心が軋んだ。
俺が“戻りたい側”の存在。
だから今は、倒さなきゃいけない敵だ。
『侵入者排除で魂ポイントを得られます。倒した魂は、すべてマスターに還元されます』
「……悪いな。俺は、俺のために生きる」
たいまつの光が近づく瞬間、俺は飛び出した。
弓が放たれ、矢が肩を掠める。
痛みが走るが、恐怖はない。
むしろ、燃えた。
この小さな体でも、戦える。
この世界が“命の奪い合い”なら、俺もそのルールで戦う。
「っ!」
剣を受け流し短剣を逆手に持ち替え、再び、喉元へ突き上げた。
鮮血が飛び散り、冒険者が崩れ落ちる。
『魂ポイント+300』
声とともに、体の奥に熱が流れ込む。
妙な感覚だ。血よりも、もっと生々しい“命の実感”。
「一人……!」
残りの二人が動揺した瞬間、俺は岩壁の影へ滑り込み、魔術師が詠唱を始める前に背後を取った。
短剣で脇腹を裂き、次いで弓使いの喉を掻き切る。
静寂。
たいまつが地面に転がり、炎が揺れる。
俺は荒い息を吐き、血の匂いの中に立っていた。
『迎撃完了。魂ポイント+600。合計:900』
「……たった、九百か」
一億まで、あと99,999,100。
笑うしかない数字だった。
『獲得した魂ポイントは召喚・強化・拡張に使用可能です。』
「使えば強くなれる……けど、貯めなきゃ生き返れない」
まるで、両手を縛られたゲームのようだ。
進化のために使えば、生き返りが遠のく。
貯めれば、次の侵入者に殺される。
「上等だ……やってやる」
血に濡れた短剣を握りしめ、俺はダンジョンの奥を見つめた。
この小鬼の姿で、どこまで行けるのか。
魂の果てまで、試してやる。
死んで元々、このチャンスを逃すわけにはいかない。
闇の中、ダンジョンの心臓が低く脈打った。
ちょっと長くなってしまいました。
これはのんびり書く予定ですので、ぜひブックマークよろしくお願いします。




