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序章 涙味

「ありがとう。とてもおいしかったわ、ディール」


 奥様のお言葉に、ボクのこころは今にもふるえそうになった。


 現在魔王城をしきる魔王様のお名前はギュルディーノ様。ごく親しい側近や、弟のボクにはギュル様、あるいはギュル兄様と呼ばれている。


 そのギュル兄様が、大切なこの場所にいない。


 奥様と婚姻なさるまで、あんなに苦労したというのに、まったく、あいかわらずかしこまるところが苦手なんだから。


「ねぇ、ディール。ギュルのこと、支えてあげてね? あの人、ああ見えてもさみしがりやさんだから」


 侍女長と女医に抱えられるようにして床についた奥様が、以前のおもかげを忘れるほどにはかなげな笑顔でほほ笑んでいる。


 なぜ、ギュル兄様が前魔王をたおしてすぐ、この国に謎の疫病(えきびょう)が流行りだしたのか。


 ある者は、前王の呪いだと非難し、またある者は、国が崩壊する前兆だと揶揄する。


 一方では、そのどちらでもなく、単に前王が亡くなる直前に、地下水路に魔法をかけたと言う者までいるという。


 ボクからすれば、一番最後のやつが適切だと感じているけれど、地質調査の結果もよくなくて、だからこそ、その説を払拭するために、奥様は井戸水をあえて飲み、国民をなだめようとしたけれど。


 結果的に奥様はその疫病に罹患してしまったわけだ。


 なんてことだ。


 誰よりも責任感の強いギュル兄様は、自ら地質調査をつづけるあまり、城に留まってはいても、実験室で実験に明け暮れる日々。


 ボクも実験には参加するけれど、それよりもと、ボクはあえて奥様の、ヒトミ様のお望みを叶えてさしあげることにしたんだ。


「あのね、ディール。わたくしのお友だちの妹さんが、お菓子づくりがすごくじょうずなの。よかったらわたくしのために、彼女のお店を出してあげてくれないかしら?」


 それはとても突飛な願いなわけで。


 しかも、諸経費はギュル兄様につけてくれとまで言う。


 そうしてせっかく出店する前に、奥様の具合は急変し、ボクは毎日、能天気なお菓子づくりの彼女――希望と書いてノゾミと読むその子の元へ、足しげく通い、こうして奥様にお菓子をお届けしているわけだ。


「せっかくだから、ギュル兄様もここにいたらよかったのですが」


 そっけなくヒトミ様の部屋を後にするばかりのギュル兄様への怒りを抑えきれず、おもわずぼやいてしまう。


「そうね。こんなにおいしいパンがあるなんて、知らなかったもの。ギュルにも食べて欲しかったのに。けど、しかたないわよね。地質調査がまだつづいているのですもの」


 奥様は、白く塗装したボクたち家臣の手づくりのテーブルの上へと、さみしそうに目を向ける。


「あの。このあまいパンの名前って、なんて言うんですか?」

「ああ、これはね」


 奥様は、ボクに手まねきすると、耳元に口をつけて呪文のようにパンの名前を言いかけた。


 だけど。


 奥様が言葉をつむぎ出す前に、激しくむせこんで胸をおさえ、そして、苦しげに喘ぎはじめた。


 ――それからほんの数時間。息を引き取る直前で、ヒトミ様に凍結魔法をかけざるをえなかった。


 ギュル兄様は、それさえ間にあわなかったのだ。


 つづく



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