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9話 制限時間

 宗谷が見たのは、人間のような何かだった。


 ケロイドと化した皮膚、ぶよぶよした赤い膨れ上がりを持ちながら。男の皮を脱ぎ捨て、マトリョーシカのように這い出でる。残った皮膚は本当に捨てられた蛹として、中身は無くなっていた。


「あ〜〜」

 

 例えるなら赤い芋虫。赤ん坊のような未発達の腕を懸命に振り、成人男性の声色で喃語を話す。きっと、意味なんてないんだろう。

 腫れ上がり閉じた瞼のまま、“男”は知性のない獣として地べたを這おうとしている。


「うっ」


 口から込み上げてきそうな物を必死に抑え込んだ。なんの液体か、てらてらとした光沢を纏った芋虫はグロテスクなんてもんじゃあない。動いて、声を聞くだけで鳥肌が立ち始める。生理的嫌悪感を否応なく発生させる生き物は、近くで声を発した宗谷に向かい出した。

 人間の体から出現した新たな怪物に、顔を強張らせながら後退さり、悲鳴に近い叫びを。


「こいつは一体なんだ!?」

「姿が変わっただけ。この人は依然としてこの人だよ」

「……これが、人間だって?」


 この、赤黒い生き物がベンおじさんだと。ライラヘルはそう言う。男の面影はどこにもなく、人間を材料にして作った出来損ないの生物と言われる方が納得出来る。


「待て。もしかして、お前」


 思い至ってしまった、想像もしたくない予想。漠然として要領を得なかったライラヘルの言動を、宗谷はぼやけていた画像が鮮明になっていくかのような感覚で理解する。

 

「この村の人間全員、こんな姿にするつもりなのか」


 相手の発言を浚っていくと、辿り着く。こいつはコレが人間の真の姿として捉えており、あわやそれが善行だと思って。

 なんだこいつ。一体なんなんだ。この世界にはこんな存在が居てしまうのか。

 

「君もあの月が見えてるよね。なら、君も例外じゃない」

「…………嘘だろ」

「波長が合う人にだけ月は見える。そして、あの光を浴び続ければ、いつか心臓から本当の自分が誕生するんだ。素晴らしいよね。社会に抑圧されない原初の姿で笑って生きられるんだよ」


 相手の発言の前後が繋がらない。こんな姿になった者が果たして笑って生きていけると言えるのだろうか。

 思考能力すら持たなくなった芋虫は、ずっと這いながら呻いている。己がなんだったのかさえ忘れているようだった。


「ばっ、馬鹿言ってんじゃない!こんなっ、人をこんな……!」

「? この姿はこの人が望んでこうなってるんだよ。よっぽどこの村が好きだったみたいだね。何も考えず、この地を這い回るぐらいには」


 嫌悪感で腑が気持ち悪い。クラクラする。

 異世界で初めて出会う魔物というのはこんなにも邪悪で苛烈だというのか。ファンタジー世界なら、オークとかゴブリンだとかそんな範疇だろう!?


 月で照らし、無辜の人を化け物にするナニカ。悪魔とも呼べるソイツは異質すぎた。

 なんとか出来るビジョンも浮かばない。普通ラスボスだとかで、初手で遭遇していい相手じゃ。


「ッ」


 突如、視界が歪む感覚が襲う。酩酊にも似た意識の白濁と、平衡感覚の喪失に膝を突いた。無理矢理角膜を歪められるたような、覚束ない景色。


 心臓の音。宗谷の耳に、胸骨を叩きつける強い心臓の鼓動が聞こえだす。共に耳鳴りが不定期に響き。最早気を抜けばそのまま地面に倒れ込みそうな気分になる。


「君ももう少しで生まれ変われる。自分の望んだ姿、求めた夢と一緒に」

「がぇっ。まっ……」


 月。そうだ、宗谷は家を出てから大きな月を眺めていた。メッコと追いかけっこしてる間も、怪物から逃げる時もなんの遮蔽物なく光を浴び続けている。


 外から差し込む緑色の光が眼球を氾濫し、反射してはまた返って。エメラルドグリーンの極光が出て行かず常に増えていく。


「なんだ、これ」


 無意識的に眼窩へ手を伸ばした。切り傷でも作って、そこから少しでも追い出そうと。

 そして気付く。あのおじさんもこれと同じ状態になったんだってこと。目を抉ったところで無駄で、果てには。

 

「……見つかっちゃったな。彼女、結構カンが良いね」


 ピクリ、宗谷の様子を眺めていた兎の体が一瞬跳ねる。どこか、ここではないどこかを眺めるように一点を見つめ目を細めていた。

 

 彼女、とは言うがもしや。この村で駆け回っている人といえば1人しかいない。思い当たる顔、兎の反応で。リサが本体と接触したのではないかと朦朧とする意識は判断する。


「あぐっ……!待、って……!」

「じゃあね、少年。君も上を向いて歩けるように祈ってるよ」


 そう言うとライラヘルと名乗った兎は小さな断末魔と共に首をひしゃげ、喉から血を流し絶命した。別れの言葉から間も無く、小さな兎の死体は弾け呼び内臓を辺りに散らしていく。

 その痕跡も揮発するかのように消えていき。広場に残るのはおじさんから生じた意味なく這い回る化け物と、座り込んだ自分だけ。


 逃げられた。結局、ライラヘルは動物を操っていただけらしい。宗谷の足止めというのも無駄だったという訳だ。


「(気持ち悪い……趣味の悪い万華鏡が目に埋め込まれたみたいだ)」


 残された宗谷の目から、絶え間なく涙が流れる。まともに目の前の景色も見れない。これじゃあどこに行こうにも難しい。

 数分後には芋虫の仲間入りをしているかもしれない状況で逃げるのに意味があるかは分からないが。

 

 瀬尾戸 宗谷は特別じゃあない。小さな特技を持ち得るだけで、誰かに誇れるものは何もないのだ。

 故に、意味も分からず落とされた異世界で、何かの能力が付与された訳じゃない自分が。村の危機を颯爽と解決するなどという未来は起こり得ない。


「…………」


 元を正せば湖で終わっていた命。それがたった数時間の長い、長い夢を見ていただけで。何も悲しむことじゃあない。


 感覚的に、分かる。月の光を受け入れさえすれば苦しみはないと。月が自分を焦がす事が生まれた意味だったかのように、新しい自分へと変われる。

 きっと本当の自分になった人間は己が不幸であるとは思わずに、行きたい方向に行って、叫びたいがままに言葉を発するんだろう。


「…………はは」


 良いな、って思った。


 狂った発想かもしれないが。宗谷には、それを悪いだけとは切り捨てられなかった。

 

 何度、己に翼があればと夢見ていたか分からない。大空に羽ばたいて、ただ遠く。遠くの、誰も知らない場所に行く。そこに誰が居ようと、何が居ようと。月に近い雲の上で羽ばたけば、寂しさなんて置いていって風を感じるままに生きる。

 ああ、なんて良い事だろう。他人に合わせ、必死に顔色を窺って仲良くなる必要もない。コミュニティの中で疎外感を覚えることもない。1人でも、気の赴くまま生きられる。


「これが、僕の来た意味、なのかな」


 訳の分からない状況で、これが己への罰か褒美か。激しくなる鼓動と一緒に考える。


 個人的には、もう。考えることをやめて運命を受け入れるべきだと思った。異世界に来て、化け物になるって言うのなら、抗わずにそうなったほうが楽。


 そうさ。苦しむ必要なんかない。


「…………でも」


 でも。僕は今日初めて。

 

「(初めて、誰かと約束した)」


 初めて、明日の予定というものが出来た。

 リサは明日、僕に友達を紹介すると言ってくれた。困ってる僕に宿を与えてくれて、早く家に帰れるようにと想ってくれた。


 自分には勿体無いぐらいの、良い人だ。きっと、自分なんかより仲の良い相手は山程居て、誰に対しても優しいんだろう。

 

 別にどうとも思われてないかもしれない。社交辞令が含まれたりとか、竹田君の時みたいに距離感を見誤ってるかもしれないけれど。

 

 それでも。もし、嫌じゃないんだったら。


 僕は彼女と、友達になりたかった。


「…………ぐっ」


 震える足で立ち上がる。ライラヘルが向いていた方向を思い出し、歪んだ視界のまま歩き出した。

 心臓が激しく脈動するごとに、限界まで入り込んだ血液で血管が膨張し、全身に痛みが走る。

 

 何にも掴まないままだと倒れてしまいそうだから、近くの民家にあった豚小屋から。動物を叩いて誘導する長い棍棒を借りて、杖としてなんとか進んでいく。

 

「伝えないと……人を呼んじゃダメだって…… アイツは、大勢を化け物に変える気だって、つ、伝えないと……」


 リサは月を見ていない。ライラヘルが言う事に嘘がないのであれば、“波長が合わない”人種なんだろう。彼女が怪物に変わることはないはずだ。その区別をどうやってつけるかは今のところ分からないけど。

 影響を受けかねないのであれば、外から人を呼ぶのはかなりやばい事態を引き起こすかもしれない。

 

 民家から悲鳴が聞こえていないことを考えれば、光は屋根や壁の遮蔽物で防げる。そうじゃなきゃ今頃村中のベッドで阿鼻叫喚の嵐だろうから。


「はぁっ。はぁっ……!」


 つまり、村人は家の中に居させた方が安全で。誰も外に出ないようにしたらいい。


 応援は期待できない。信号があるのなら、撤退だとか待機とか。信号を撃ち直して貰わなきゃ被害が拡大する。


 要は、現状。アイツをなんとか出来るのは。

 月を見れず、魔法を使えるリサさんと。


 もう手遅れな、僕だけだ。

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