4話 初めましての匂い
「…………」
数分。あれやこれやと己の住んでいた場所のことについて質問し続けるも、悉くを“知らない”“分からない”と返されてしまう。
予感が確信に変わったことへ、心臓が激しく脈打った。
「(…………ここは日本じゃない?なんで!?)」
濡れ湿った肌の表面に汗を浮かばせて、焦点が合わない様子。側から見ても、尋常じゃない程焦っているのは分かったのか。
赤毛の女の子は、ちょいちょいと地面を指差す。多分、一回座ろうってジェスチャー。回り切らない頭のまま、それに従う。
湖を前にしながら、三角座りをして。そうすると彼女も隣に。
「もしかして。お家には帰れそうじゃない、感じ?」
「そうかも、です」
「ああ〜……そっか」
その問い掛けへ、項垂れと共に発する。すると、彼女は慌てふためいた感じに、あわあわと表情を変える。
多分、素直な人なんだろう。この短いやり取りでも、彼女が裏表のない人物だと言うことを宗谷は理解した。
普通ならこれだけで“厄介そう”な案件だというのは察せられるだろうに。どうにも現状を必死に理解しようとしている宗谷の様子は、赤毛の女の子にとってどうにも見過ごせないらしい。
「ニホンのアオヒ街から来たんだっけ」
対照的に一際明るい声が響く。彼女もよく分からないなりに気まずい空気を変えようとしているんだろう。
視線を彷徨わせながら、微かに頷いた。
「ごめんね。私はその場所知らないから道案内できないんだけど……」
下がる眉毛に、やっぱりって落胆する気持ち。この人は嘘を吐いていない。
日本も僕の住んでた町も全く知らないのならば。今こうして息を吸ってる場所は、そことはまるっきり縁もゆかりもない場所だって考えるのが自然だ。
まだ混乱しっぱなしだけど。取り敢えず、そう思うしかない。
「行く宛はあるの?」
「あ、ど、どうでしょう……」
真っ先に思い浮かぶのは、元の世界に帰ることだけど。
自分は湖に蹴飛ばされて落ちて。気を失う程の間溺れていた。死に掛けるぐらい。そして目覚めたらここに居たという感じだ。
ちらっと。この場にある、公園のものよりかは澄んで、一回り小さい湖を観察する。原理は全く不明だが、僕はあそこを通ってここに来た可能性が高い。
しかし、どう見たってあるのは水草ぐらいなもので。どこかに繋がりそうな空間など見当たらない。
小説だったら魔法とかの不思議パワーでゲートがどうのこうのとかありそうだけど、魔力を感知できるわけもなく。
そもそも、それが行き来する方法だったとして。もう一回溺れる目に遭うのは……すぐには無理。普通にトラウマものだし。次、命の保障があるかも分からない。元の世界には帰れたけど溺死しちゃった、なんて御免過ぎる。
「行く宛、ないかもしれないです……」
「えー!ここ熊とか狼出るよ? 荷物を失くしちゃったってことは、宿に泊まるお金もないし。かなりヤバいね」
「いや。え!? た、確かにそうか……」
ボソリと呟いた言葉に“あらま”と目をパチクリされた。
よくよく考えてみると、見ず知らずの場所にお金も頼れる相手もいないまま放り出されたってことだ。しかも色んな生き物が跳梁跋扈する森の中。
まともに寝る場所もないし、彼女の言う通り野生動物がわんさか居そうな所で眠るとしたらそのまま永眠しちゃいそうで。
そもそも、一般市民として生きて来た男子高校生に野宿の経験なんかあるわけないのだ。昔読んだうろ覚えのサバイバル漫画程度の知識しか持ってない。
もしかして本気でかなりヤバい状況に置かれてしまったかもしれない。
「……普通に死んじゃうね!」
「そんなハッキリ言わないでください!」
すっごい笑顔で言われた。こっちには死活問題なのに。
涙目になって言い返すと、くすくすと軽く微笑まれて。これが対岸の火事を眺める人の顔なのかと肩を落とす。
どうしよう。今すぐにでも湖に飛び込んでしまおうか。いや、でも。それでもし戻れなかった場合。本当に後が無くなってしまうし。
「どうしよう…………」
文字通り、頭を抱えながらしゃがみ込む。
僕はただ友達が欲しかっただけなのに。勇気を出して声を掛けた結果、巡り巡ってこうなるなんて誰が予想できるだろう。
「ふふーん。そんな深刻に考えなくていーかもよ?」
「…………どう言う意味ですかそれ」
そんな風に悩んでる僕を、後ろ手組みながら体を傾け、覗き込んでくる相手へ。不機嫌さを隠さず見上げ返す。
それでも彼女は調子を崩さず胸を張った。
「お姉さんを頼りなさいな! 私、近くの村に住んでるのよ!」
「え……で、も。そんな。いきなり迷惑じゃないですか?」
「見過ごせないもの。それに子供を放ってはおけないし」
けど、そんな視線が驚くように見開かれるのはすぐだった。どどーんっと胸を叩く彼女を見て、不躾にも見つめてしまう。
嘘だろ。湖の周辺でずぶ濡れの一文無しを助けて一体なんになると言うのか。僕の事情は粗方理解してるはず。お金はないし、お礼する方法なんて皆目見当もつかない。
悲しいが、人の優しさを受け取るのに慣れていない宗谷は、どんな裏があるか勘繰ってしまうものの。他に頼る相手が居ないのも事実で。どうすればいいか、挙動不審に視線は彷徨った。
「え……っと」
出会ってまだ数分の人を信用することは出来ない。差し出された優しさを信じて、痛い目にも合ったばっかりだし。
そもそも他人のお世話になるだなんて。かなり申し訳ない話じゃないか。
だけど……
「遠慮しないで!子供は年上を頼りなさい」
そんな。太陽のように笑う彼女に。
忙しない毎日を送りながらも、いつも僕を気に掛けてくれた伯母の姿が重なって。
「…………」
コクンと、遠慮がちながらも。頷いてしまった。
後悔し掛ける鼓動が、“やっぱり1人でなんとかするべきだよ”って喚くけれど。
「うむ。よろしい!」
全く迷惑そうにしていない素振りから。いつしかその思いも静まっていった。
――――――――
「私、リサって言うの。友達からはリシーって呼ばれてる。貴方は?」
「あ……と。そ、宗谷です」
「ソーヤね! オッケー」
彼女は湖畔の淵で。僕が落ち着くのを待ってから村まで案内してくれた。その道中、簡単な自己紹介も。
リサがスカートで森の中を軽やかに歩いていくのに対して、宗谷は倒木や根っこにつまづきながらなんとか追いかけて行く。
街道があると行っていた方向からは若干逸れ、獣道ぐらいしかないところを現代っ子が進むのは少し厳しかった。
「あ、わ」
「ソーヤ。大丈夫?」
「ご、ごめんなさい。大丈夫です」
繁茂した森林の空気は澄んでいて、少し新鮮。元居た世界ではまだお昼の時間だったけれど、こっちでも空の様子からしてまだ太陽は真ん中辺りにある。
こんな状況でもなければハイキング先として良かったかもしれない。熊とか出るらしいけど。
「ゆっくりでいーよ。そんな遠く無いし」
「は、はい」
ここに住んでいるのだと言う彼女だけれど、同い年ぐらいに見えるのにかなり面倒見が良い。身長は宗谷より幾らか高く、自称通りお姉さんらしかった。
途中転びそうになりながら着いて行くと、段々切り株が増えていき視界が開けてくる。開墾の痕が色濃く残り、それは今も続いていそうだった。
それに対応して、道も歩きやすく変わっていく。
「ソーヤの住んでるニホンって、ここからどれぐらい遠いの?」
「……んん。分かんない、です」
「じゃあどうやってこっちに?」
「それも、よくは…… 気付いたら、あそこで目覚めて」
リサの投げ掛けてくる質問には、どう答えたものか頭を回す。別にやましいことはないので、覚えてる限りのことをそのまま正直に話したって良かったが。
いきなり“異世界から来たかもしれないんです!”と言って、困惑しない人は居るだろうか。まぁ、この受け答えだけでも大分不審者なのに違いはないけれど。
「なるほどね!キオクソーシツって奴だ!」
「あ、ああ。多分……そう、かも? どうやって来たかは、すいません。良く思い出せないです」
「キオクソーシツって病気は頭を殴られたらなるらしいから。山賊とかに襲われた時頭を打っちゃったんだよ。可哀想にねぇ……」
でもリサは都合良く解釈してくれたようで、そんな不信感は抱かなかったらしい。つくづく人の良いお姉さんだと思う。
経緯を詳しく説明するのもアレだったので、取り敢えず黙って曖昧に頷く。ひとまずそれに乗っかることにした。
「大丈夫!ご飯食べて良く寝れば、きっと記憶のケガも治るよ」
「は、はい」
「ほら、そんなこんなでもう見えて来た!」
そんな風に、励まされたりしていると。いつの間にか森地帯から抜けていることに気付いた。
踏み締める地面も草から露出した土になったりしていて歩きやすい。今は小さい丘のような場所に居るらしく、先はなだらかな下り坂になっていて。
いきなり彼女がたったっと駆け出し、くるっとこっちに振り返りながら。後ろの景色を紹介するが如く手を広げた。
慌てて、それに続き。丘の下の風景を見る。
「わ……!」
奥に広がっている風景は。まさにゲーム世界で見たかのような中世の家が並んでいた。ログハウスのような木造の壁に藁の屋根。村の外周を囲むしっかりした丸太の柵は外敵を寄せ付けない造りをしている。
そんな中で、ボロの柵に仕舞われた豚とか鶏に見える動物へ餌をやっている女性が居たりして、一見現実感はないものの。
微かに耳に聞こえる喧騒だったり、村人と思しき人々が思い思いに行動する様は、目の前にあるのはリアルなんだって教えてくる。
他に。かなりのスペースを占領する黄金色の麦畑だとか。多分、粉挽をするための風車だったりと。色々見えて。
「すご……」
それをゆっくり、眺める。注意深く鼻を鳴らすと、麦の匂いがする気がした。
現代人からしたらかなり原始的に見えるけれど、馴染みが無いと言えば全部が新鮮で。宗谷にとっては全部、初めてましての匂いだった。
ファンタジーに憧れるのは、高校生からしたら一般素養のようなもの。心も自然と弾んでいく。
リサも、そんな宗谷の素振りに悪い気はしていないのか。“すごいでしょ”って態度で微笑めば歩き出して。
それに着いて行こうと。足を踏み出した時。
微かに。森の方。茂みから、ガサッと葉を揺らす音がした。
「ん……」
しかし、釣られて振り返っても。そこにはさっき通って来た森の景色があるだけで。何も居ない。リサも気づいていないようだった。
「ほらほら、置いてくよ?」
立ち止まった宗谷を怪訝そうに呼ぶ声にハッとなり、慌てて前を向き直す。森の環境音なんか、ウサギか他の動物かだろうし。然程気に留めず。
「ま、待ってください!」
下り坂を転ばないよう走るのに気をつけた。