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2話 月光

 宗谷の口から気泡がごぼごぼと漏れ出ていく。肺の中にあった生命線が刻一刻と無くなり、待ち受けるのは溺死という結末。

 しかも、公園の湖で、クラスメイトに突き飛ばされたからという理由で。


「(なんで……!)」


 眼から涙が零れるが、すぐに湖水へと溶けていった。


 なんて呆気ない人生だったろうか。距離感を見誤り、クラスメイトから拒絶され。あわや、泳げないまま沈むだけで幕を閉じるだなんて。


 走馬灯が脳裏に駆け巡る。といっても、碌な記憶はない。

 ほとんどは、孤独なだけ。


 作り置きや、たまに紙幣が置かれた食卓で摂る食事。席では本を読んでばかり、気を遣われはするが誰とも仲良く出来ない時間。虚しくて、悲しくて。


 なんとか良くしようと行動しても空回りして。自分が嫌いになって。


 事実、僕は親から捨てられた子供だ。ゴミ箱に要らないものを捨てるぐらいの雰囲気で、このまま沈んでいくのがお似合いなのかもしれない。


「(……いやだ)」


 だけど。それで納得出来るわけないじゃないか。


 もう筋肉に力が入れられないぐらい、意識が消え掛かっても。心臓の鼓動は止まらない。

 生き物としては当然の生存欲求だったかもしれなかったが、こんな理不尽に対する明確な怒りが迸った。


 どうして。どうして。どうして、どうして!

 なんで僕がこんな目に遭わなくちゃならないんだって、歯軋りまでした。酸欠と怒りで、顔が真っ赤になっているかも知れない。


 捨てられたこと、彼らの軽い気持ちで殺されてしまうこと。誰とも仲良く出来ない自分のこと。全てを引っくるめて、粉々にしたくなって、駄々を捏ねるように腕を振り回した。


「(いやだ……!)」

 

「(しにたく、ない)」


 足掻いて捥がいて、何かを掴もうとした。

 何でもいい。神様にすら見放されたって、手元に藁でもあればそれを手繰り寄せようと。懸命に手を伸ばす。


 瞼越しに見える、微かな光に。水面より差し込んだ、太陽光だろうか。掴めもしない、曖昧なものだけれど。

 

 それでも。


「(……誰か)」


 1人で死ぬのは嫌なんだ。産まれた頃から最期の時まで、1人ぼっちなのは……嫌なんだ。


 けれどそんな思いも、水の中では消えていくしかない。

 宗谷の抱える怒りは、彼にとっては全身を激らせる全てであっても、あまりにもちっぽけに過ぎず。


 そのまま命の灯火さえも消えかけた、その時。

 


 声が聞こえた。


『誰か居るのか』


 不思議な声。水面に広がる波紋のような綺麗さを持ちながらも、性別は分からなかった。

 少女のようにも、老人のようにも、そのまた逆にも。全てが混じり合いながらも混沌としない。透き通った声。言うなれば、この世のものとは思えない喉から出ているような。


 未だに体は沈む感覚はしている。けれど、その相手は付かず離れずの距離から聞こえていた。


『人か』

「(な、に……?)」

『はは、無様な姿だな』


 そいつは、せせら笑う。宗谷の滑稽な様を。だけれど、すぐにつまらないものとして吐き捨てる。

 

 正体不明の存在の姿形は分からない。眼を開ける程の力は体になかったが、感覚でそれが目の前に居ること。そして、恐らくは余りにも巨大なナニカであることを理解する。

 

 それが放つ言葉を発する度に周囲の空間が揺らぎ、身震いをし。全身から放たれる圧迫感が身体を潰してこようとしながらも、真空に引き寄せられるかの如く離れられない。


『……なんて幼稚で拙い感情だ。お前の抱える怒りでは、ただ己を薪にするだけで。灰にすべきものへ手が届く前に己の手で火を消してしまうだろう』

「(……、)」

『愚かだな。そして無意味だ。産まれた意味すらない、家畜にも劣る。久方に見る人間が、こうとは』


 ただの一瞥で、言葉で。己の全てを見抜かれてしまった感覚。瀬尾戸 宗谷という者の人生全てが、相手にとっては道端の石ころ程度に軽んじれるものとして。卑賤と侮蔑を漂わせながら、見つめ続けてくる。

 それだけで自分が如何にちっぽけで、頼りないものか。宇宙に漂うチリになった気分が湧き上がった。

 

 そして、背中に。何か硬い感触が。とうとう水底についてしまったのだろうか。振り向けない頭が、それを確かめる手段はない。


『だからこそ。お前達は太陽に照らされることが耐えられないのだ。光によって顕わになった己がどれだけ矮小なのか、目の当たりにした時』


『深く絶望するが故に』


 彼、もしくは彼女が言っていることの一片も理解できなかった。薄れいく意識が理解力を奪っている。けれど、平常時であっても相手の発言全てを飲み込めたかは怪しかったと思う。


 息苦しさはとっくに無い。痛みも、感覚さえ。緩やかに辿る終わりの道筋に挟まった幻聴へ疑問を抱く力は、もうなかった。

 誰でも良かった。どうでも良かった。ただ死の間際、微かに残る思考の片隅で、涙を浮かべる。

 

『願いを言え』


 そんな僕の状態を分かってか、そいつは言った。

 端的な言葉。他に解釈の余地もない6文字。それが悪魔の囁きであっても、善意でなかったとしても。誰だったとしても。


 最期に側に居てくれる相手へ。寂しがり屋は縋る。


「(……生きたい)」


「(ひとりじゃ、いやだ。たすけて)」


 みっともなく、縋った。


 産まれた意味すら成せずに死ぬこと。人肌に包まれた記憶すら乏しく、冷たく死ぬこと。まともに生きられず、劣等感を抱えたまま死ぬこと。


 それの全部が嫌で、泣きたい。ヘドロみたいな己の感情を全部吐き出して、ぶっ壊して、ぐちゃぐちゃにして。失くしてしまいたくて。その滅茶苦茶な気持ち含めた全部から、助けて欲しかった。


 微かに見える光に手を伸ばす。太陽光とは違う、幻想的な光に。


『…………人間。お前達が如何に愚かであり、愚鈍であり、愚蒙であり。劣等で、盲目であっても』


『月がお前を焦がすだろう』


 その言葉と同時に、体が軽くなって。肺を満たす水が一瞬で消えて無くなってしまったみたいに。沈んでいく感覚すらも失せてしまった。


 今はただ、無重力。ふわふわした心地。背中合わせにしていた地面すら離れて、空に浮く。


『契約だ』


 その浮上は加速度的に増していった。物が落下すれば速度が増していくように、“上へ”落ちて行く。

 腕は力無く、だらりと垂れながら、水死体のように水面を目指す。感慨も困惑もなく。ただ上を向いて。


 相手の言葉へ耳を傾ける力など、とうに残っていなかった。自分の身に起きていることが一体何なのか考えを巡らせる暇もなく、脳を止める。


 心地いい浮遊感の中で、思考は滞っていき。いつしか消えていく。


『代わりに…………』


 “声”は最後に何か言っていたが、それが何なのか。掻き消える意識は掴められなかった。

 

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