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「おまえ、誰だよ」

「え?」

「なんでヤマブキに抱きついたんだよ」

「ヤマブキって、やっぱり花岸(はなぎし)くんの知り合いだったんだ」


「双子の兄だよ」と言いかけた口を慌てて閉じた。ここで双子だとばれたら変装した意味がない。それにこいつがヤマブキのストレスの原因かもしれないとしたら、身元を明かす前にいろいろ聞きたいこともある。


「そんなんじゃねぇよ」

「そういう言葉遣い、久しぶりに聞いたかも」

「……っ」


 ついいつもの口調で答えてしまった。慌てて口を閉じて男をじっと見る。


(ここの学生じゃないってばれたか?)


 Ω高等院は育ちのいいΩが通う学校だ。言葉遣いや仕草なんかも俺とはきっと違うんだろう。せめて言葉遣いくらいは気をつけようと思っていたのに、すっかり忘れてしまっていた。

 それ以前に俺はΩじゃない。学生じゃないことよりもΩじゃないとばれるほうが、きっと大騒ぎになる。何て言い訳しようか考えていると「もしかして花岸くんのお兄さん?」と言われてドキッとした。


「な、なに言ってんだよ」

「やっぱりお兄さんでしょ。花岸くんから聞いてたとおりだ。あ、心配しないで。警備員に通報したりなんてしないから」

「け、警備員」


 そんな人までいるのか。俺が通っている学校とは大違いだと思いつつ、警戒しながら男を見つめ返した。

 男は俺たちと違ってサラサラの黒髪に真っ黒な目をしている。背は高いもののΩだからか華奢な感じがした。顔立ちも整っているし、キラキラした雰囲気は女子にもβにもモテそうな気がする。


(っていうか、このキラキラした感じは……)


 不意にアゲハ先輩の顔が浮かんだ。同じ黒髪黒目だからか何となく雰囲気まで似ているような気がしてくる。そう思ったからか、ふわりと微笑んだ男の顔が一瞬先輩に見えてしまい「うわっ」と仰け反りそうになった。


「もしかして僕のこと、アゲハに似てるって思った?」

「え?」

「あはは。花岸くんが言ってたとおり、お兄さんっていろいろ顔に出やすいね」

「ヤマブキがなに言って……って、いや、これはその、」


 慌てて言い繕おうとしたものの、「大丈夫、誰にも言わないから」と言われて少しだけ力が抜けた。どことなくアゲハ先輩に雰囲気が似ているような気がするものの、人当たりや話し方は先輩とまったく違う。そんなことを思いながら見ていると、男がニコッと笑いかけてきた。


「僕は遠野蜜(とおのみつ)コザクラ。遠野蜜(とおのみつ)アゲハは僕の従兄だよ」


 一瞬、遠野蜜と言われて「誰だ?」と思った。「そういえば先輩の名字、聞いてなかったな」ということにようやく気づく。


(いや、トオ……なんとかって母さんに挨拶してたっけ)


 母さんと初めて会ったとき、先輩はフルネームで自己紹介していた。それを聞き逃したのはヤマブキとヒソヒソ話をしていたからだ。それにヤマブキがいつも「アゲハ先輩」と呼ぶからか、気がつけば俺まで名前で呼ぶようになっていた。


「改めまして、花岸くんのお兄さん」


 ベンチから立ち上がると、そう言ってアゲハ先輩の従弟だという男が右手を差し出してきた。そこまでされて拒否するのもおかしな気がする。それに相手が名乗っているのに俺が名乗らないのもよくない。


「花岸キキョウです」

「声が花岸くんそっくりだ。でも眼鏡をしてるし、髪も花岸くんと違ってサラサラだね。あ、もしかして変装中?」

「……これにはちょっと事情があって」

「ははっ、聞いてたとおりだ。そっか、花岸くんのこと、変装して学校に来るくらい心配してたんだ」

「そりゃあ、俺はヤマブキの兄なんで」

「そっか、お兄さんか」


 馬鹿にされるのかと思ったが、そういう雰囲気やからかう様子はなかった。「もしかして、こいつはヤマブキのストレスの原因じゃないのかも」と思ったところで「それにしても制服、ぴったりだったみたいだね」と言われてハッとする。


「もしかしてこの制服……」

「うん、僕が一年のときに着てたやつ。アゲハが急に貸してほしいなんて言い出すから何事かと思ってたんだけど、そっか、花岸くんのお兄さんが変装するためだったんだ」

「あの……ありがとうございます」

「あはは、別にいいよ。それから僕、花岸くんとは同じクラスなんだ。同い年なんだし、敬語はなしにしよう?」

「あー……はい。じゃなくて、うん」


「改めてよろしくね」と言われて「こちらこそ」と答えた。そのまま「どうぞ」と隣を勧められ、二人並んでベンチに座る。


「お昼は?」

「食べまし、ええと、食べた」


 大人っぽい雰囲気だからか、つい敬語で答えそうになる。そんな俺を「あはは」と笑う顔は穏やかで、そういうところもアゲハ先輩とは違うなと思った。


「そっか。ここの学食美味しいから一緒にどうかなと思ったんだけど……って、花岸くんも毎日お弁当だったね」

「母が毎日作ってくれるんで」

「そっかぁ。僕は休みの日しか母親の手作り食べたことないんだ。いつもどこかのお店のご飯ばかりだから、ちょっと羨ましい」

「へぇ……」

「母親はお嬢さま育ちでね。手料理なんてほとんどしたことがなくて、いまでも作れるのはパンケーキとサラダくらいかな。そのパンケーキも盛りつけくらいしかやらないけど」


 そう言って笑っている顔が何だか寂しそうに見えた。Ω高等院はいろんな意味で俺たちにとって遠い存在で、通っている学生は金持ちだから幸せいっぱいなんだろうと思っていた。だから庶民のヤマブキは大変に違いないと思っていたが、隣で寂しそうに笑う顔はあまり幸せそうには見えない。


「大変そうだな」

「それ、花岸くんにも同じこと言われた」

「そっか」

「花岸くん、僕がこうして愚痴っても嫌な顔一つしないで聞いてくれるんだ。それにあんまりΩっぽくないから、つい余計なことまで話してしまう。花岸くんみたいなΩに出会ったの、初めてだよ」

「まぁ、半年くらい前までβだったからな」

「そうなんだってね。そのせいで学校ではちょっとした有名人みたいになってるけど、みんな悪気はないんだ。そのことが心配で変装までして学校に乗り込んできたんでしょ?」

「あー……まぁ」

「花岸くんの優しさと雰囲気にみんな惹かれてるだけだと思うよ。そのせいで花岸くんは大変そうだけど。……って、僕も迷惑かけてる一人か」


 苦笑する顔を見ながら首を傾げた。いまの内容だと悪いことが起きているようには聞こえない。それなのに迷惑をかけているとはどういうことなんだろう。


「ヤマブキのやつ、やっぱり何かされてんのか?」


 俺の問いかけに困ったような表情が返ってきた。


「何て言えばいいのかな……。ええと、ちょっと妙な表現かもしれないけど、Ωの中の王子様って言えばいいのかな。下級生や同級生にとっては王子様で、上級生にとってはお姫様みたいな感じ」

「……よくわからないんだけど」

「あはは、そうだよね。端的に言えば、みんなの憧れの人ってこと。アイドルみたいな感じって言えばわかるかな」


 想像していなかった内容にぽかんと口を開けてしまった。てっきりいじめられているかそれに近い状況だと思っていたのに、真実は真逆だったということだ。


(でも、アイドルってどういうことだ? 見た目で言えばこの人のほうがよっぽどそれっぽいのに)


 αもΩも美形が多い。全員がそうじゃないとしても俺たちβより圧倒的に整った容姿やスタイルの人が多いのは事実だ。そりゃあ俺もヤマブキも決して不細工というわけではないが、目の前のキラキラした顔に比べると見劣りする。

 それが学校のアイドルなんてどういうことだろうか。そもそもΩに成り立てのヤマブキがアイドルなんて意味がわからない。


「ΩだけどΩに染まってないところが僕たちには新鮮なんだ。家柄も気にしていないみたいだし、どうしようもない愚痴でも何も言わずに聞いてくれる。そういうΩに会うのはきっとみんな初めてだから夢中になるのかもしれない。そのせいでいつも引っ張りだこでね、昼休みくらいは一人になりたいからって中庭でお昼を食べることが多いみたいだよ」

「ってことは、疲れてるように見えたのは……」

「みんながべったりだからかも。最近は親衛隊ができてちゃんと仕切ってるみたいだけど、親衛隊の存在も負担になってるのかもなぁ」

「親衛隊……」


 頭がグルグルしてきた。嫌な目に遭っているわけじゃないことにはホッとしたものの、構われすぎる現状を俺がどうにかしてやることなんてできるんだろうか。親衛隊なんて身近にいない存在に頭が混乱してくる。


「僕も、花岸くんにいろいろ愚痴っちゃって悪いなとは思ってるんだ。でも、ほかのΩには言えないっていうか、言いたくないっていうか……大きな声では言えないけど、足の引っ張り合いがないとも限らないからね。とくに身内のことだと余計に誰にも言えなくて」


 どこか遠くを見るような表情に、もしかして恋愛相談なんかもしているんだろうかと思った。いまだに許嫁なんてものが存在するらしいし、俺たちとは違う悩みを抱えていても不思議じゃない。


(いや、いま身内のことって言ったよな?)


 身内ということは……。



「もしかしてアゲハ先輩のことか?」


 なぜかそう思った。まさか俺が指摘するとは思っていなかったのか、黒目を大きくしながらこっちを見ている。


「いまの話だけでわかるなんてすごいね。そういうところも花岸くんそっくりだ」

「別にすごくなんてないだろ。ただ、あのアゲハ先輩が従兄だと大変そうだなと思っただけだ」

「あはは、アゲハをそんなふうに言う人に初めて会った」

「そうか? あいつ、ちょっと変態、ええと、変わってるだろ?」

「ふふっ、たしかに少し突っ走るところはあるかも」


 クスッと笑った横顔が再び前を向き、遠くを見るような視線になった。


「でも、実際に大変なのはアゲハのほうだよ。僕はそれを近くで見ているのに何もできない。それがもどかしいっていうか……ははっ、駄目だね。迷惑かけてるって言ったそばからお兄さんにまで愚痴るなんて」

「別にいいよ。それに俺こそ家柄とかΩとか関係ないし、ぶちまけたいことがあるなら話せばいい。あ、もちろん誰にも言わないから」

「そういうところもそっくりだ。お兄さんはβだって聞いたけど、僕が知ってるβとはちょっと違うかも。それにお兄さんも優しいし」

「優しくなんてねぇよ。ただ俺が代わりになれるなら、そのぶんヤマブキが楽になるかなと思っただけで……」


 俺を見ながら「やっぱり優しい」とふわりと笑った。そうして正面に視線を戻しながら「αもΩもいろいろ大変なんだ」と口にする。


「アゲハにはαのお兄さんがいるんだけど、そのせいでアゲハが無理してるっていうか……あ、兄弟仲はいいんだよ? ただご両親が厳しくて、そのせいでアゲハにしわ寄せがいってる気がして心配なんだ」


 我が家に来るときの先輩はいつも自信たっぷりでキラキラしている。ああいうのがαなんだろうと誰もが想像する理想のαそのものだ。

 ところが実際はそうじゃないということなんだろうか。αやΩというだけでも大変そうなのに、そこに家柄が加わると俺なんかじゃ想像できないことがいろいろあるのかもしれない。


「やっぱり大変そうだな」

「うん、いろいろね。でもアゲハは自分が無理してるってこと、自覚してないんじゃないかな。いくら優秀なαでも無理をすればいつか疲弊する。願いが叶わなかったときの落胆も大きくなる。僕はアゲハがそうならないか心配で仕方ないんだ」


 そう言って遠くを見る横顔に「もしかして」と思った。


(もしかしなくてもこの人、先輩のことが好きなんじゃ……)


 確証はない。でも、そんな気がしてならなかった。そして、その気持ちを誰にも言えないでいるように感じた。


(Ω高等院の学生は優秀なαと結婚するって聞いたけど)


 果たしてそれは本人にとって幸せなんだろうか。許嫁という言葉を聞くくらいだから、もしかすると家同士の理由で結婚することが多いのかもしれない。そういうことで、この人はアゲハ先輩に気持ちを伝えられないのかもしれない。


(とんでもないところにヤマブキは通ってるんだな)


 改めてそう思い、同時にこの人を気にかけるヤマブキの気持ちが少しわかったような気がした。

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