7
アゲハ先輩に借りた制服は思っていたよりぴったりだった。これが小さくて新調したということは、先輩の従弟は俺やヤマブキより体が大きいということになる。なぜか二つ持っているというから鞄も借りたものの、靴はヤマブキの予備があってよかったと思った。もし靴を借りたとしてもサイズが合わなかっただろう。
(Ωは小柄な人が多いってイメージだったけど、そうでもないんだな)
そういえば有名なΩのモデルも背が高かった。「Ωは小柄だ」と思っているのは俺たちβの勝手な思い込みなのかもしれない。
とはいえ、やはり大きくないほうが目立たないはず。小柄で細めの体型に若干のコンプレックスを持っていた俺は、この体型でよかったと初めて思った。
それでもただ制服を着ただけじゃΩ高等院には入れない。ヤマブキが言ったとおり俺たちはそっくりだからすぐに注目されてしまう。それじゃこの前のようにヤマブキに迷惑をかけるだけだ。
そこで考えたのが変装することだった。変装の定番、伊達眼鏡はすでに友人に借りている。それでもばれそうな気がした俺は、ふわふわの髪をどうにかすることにした。まずは母さんが使っているヘアアイロンだとかでグーッと髪の毛を伸ばす。母さんも俺たちに似たふわふわ頭だが、これを使うと少し収まるのを見てこの方法を思いついた。そのうえで整髪料を付けてサラサラストレートをキープすればいい。
(口コミにすごいキープ力って書いてあったけど、たしかにこれなら何とかなりそうだな)
髪を整えたら最後に黒縁伊達眼鏡をかけて完成だ。
「……よし。これで黙ってりゃばれないだろ」
「ねぇ、ほんとに行くの?」
鏡越しに背後を見ると、眉間に皺を寄せたヤマブキが立っていた。昨晩から何度も同じことを訊かれるが、そのたびに「行くよ」と答える俺にヤマブキはどんどん不機嫌な顔になっていく。
「いじめられてなんかないって言ってるのに」
「それはわかった。でもほかに何かされてるだろ」
「そんなこと、ないし」
ほんの少し言葉が詰まった。いじめ以外に何をされているのか想像もつかないが、そのせいでヤマブキがストレスを抱えていることは予想がついた。それを確かめ、できれば原因を取り除いてやりたい。そのために俺はΩ高等院に行くんだ。
「俺はヤマブキを守ってやりたいんだよ」
「……だから、そういうのはもういいって言ってるのに」
「うん? 何か言ったか?」
よく聞こえなくて聞き返したものの、ヤマブキは怒ったような顔で「一緒には行かないからね」とだけ言って洗面所を出て行った。これまであまり喧嘩をしたことがなかったせいか、ヤマブキの態度に胸がチクリとする。それでもここでやめるわけにはいかない。
もう一度鏡を見て胸元のリボンを整えた。リボンの隙間からチラッと見えるネックガードはヤマブキに借りたものだ。
「Ωになってもおまえは俺の弟だし、手を貸せることは何だってやりたいんだよ」
指先でネックガードを撫でながらそうつぶやいたものの、第二次性が別々になってから少しずつ距離が開いているような気がしてならなかった。もう一人の自分みたいに感じていたヤマブキが遠い存在になっていくような気がして寂しくなる。それを振り払うように頭を小さく振った。
(さて、俺も行くか)
玄関に行くと、宣言どおりヤマブキは先に行ってしまったらしく靴がない。「はぁ」とため息をつきながらバス停に到着したところで、ちょうど駅前行きのバスがやって来た。
今日は母さんも朝早くに仕事に行ったおかげで、こうして家でしっかり変装することができた。「明日は仮病使えないし、駅のトイレで着替えるしかないか」と思いながら満員のバスから外を眺める。ちなみに父さんにはまだこのことは話していない。今夜こそ話さないといけないが、反対されるかもしれないと思う気持ちもあるからかなかなか言い出せずにいる。
(いや、これもヤマブキのためだ。何としても父さんを説得しないと)
改めて決意したところで「ねぇ、あれってさ」と囁く声が聞こえてきた。
制服のせいで車内のあちこちから視線を感じる。このあとの電車や学校の最寄り駅でも同じことになるんだろう。こんな状況をヤマブキは毎日体験しているんだと思うと眉間に皺が寄った。
それなのにヤマブキが通学のことで愚痴ったことはなかった。Ω高等院に転校した初日に「やっぱりこの制服は目立つね」と言っただけだ。本当はしんどかっただろうにと当時のヤマブキを思い返す。「気づいてやれなくてごめん」と心の中で謝りながら満員電車に乗り換え、Ω高等院の最寄り駅に向かった。
予想どおり電車の中での視線もすごかった。それらを振り切るように改札を抜け、足早に駅前の大通りを横切る。そのまま通学路と思われる道を歩いているが、途中で同じ制服を着た学生には出会わなかった。「やっぱり電車通学なんてしないのか」と思いながら歩いていると、段々と道ばたに停車している車の数が増えていく。それらの車から降りてくるのは同じ制服を着た学生たちだ。
(車通学が普通とか、住んでる世界が違いすぎる)
毎日この状態を見ていると、いかに自分と違う世界の人たちか思い知らされそうだ。ヤマブキもそうなんだろうか。そんなことを思いながら校門を見ると、制服を着ていない人たちまで中に入っていくのが見えた。
(そういえばオープンキャンパスがあるとか言ってたけど、今日だったのか)
そんな話を少し前にヤマブキがしていたのを思い出した。
Ω高等院では夏休み前と秋休み前の二回、オープンキャンパスが行われるんだそうだ。通えるΩは限定的ながら、事前に構内を見ておきたいという要望に応えて行われるようになったらしい。ちなみにオープンキャンパスでは通う予定がないΩも見学可能だと言っていた。
(そういや夏休みと秋休みには他校のΩも一緒にイベントやるとか言ってたっけ)
一種のΩ交流会みたいなものらしいが、俺たちでいうところの学園祭みたいなものだろうか。「これなら制服借りなくても潜入できたかもな」と思ったものの、オープンキャンパスは三日間だけだそうだから、それじゃ全然足りない。
少しばかり気後れしながらも顔を上げて校門を通り抜けた。校門から校舎までやたら広く、送迎用のロータリーまであるからかホテルのようにも見える。右側には校庭が、左側にはテニスコートやサッカー場が見えた。奥には体育館らしき建物もあり、そういうところは俺が通う学校と同じような感じだ。
(Ωでも運動部とかあるんだな)
そんなことを思いながらヤマブキが教えてくれた温室に向かうことにした。
温室は体育館からさらに奥まったところにあるとかで、授業中は学生や教師が近づかない一種の穴場なんだそうだ。昼休みや放課後は園芸部が部活で使用するものの、それ以外の時間は隠れる場所として最適らしい。「キキョウは授業、出られないでしょ」と口を尖らせながら教えてくれたヤマブキに感謝しつつ温室に入ると、独特のむわっとした熱気に眉が寄った。
(温室ってだけあってやっぱり暑いな)
ヤマブキの話では奥のほうにも出入り口があるということだから、そっち側の外で隠れることにしよう。南国っぽい花やよくわからない蔓植物なんかを見ながら奥に行き、小さな扉を開けると意外と涼しいことに気がついた。見つけた折りたたみ椅子を扉の外に置き、園芸用品が載っている棚に鞄を置いてから単語帳を取り出す。
(とりあえず勉強しながら昼休みを待つか)
持って来た麦茶を飲みながら期末試験の勉強をしたりうたた寝したりして過ごした。ちょうど目が覚めたところでチャイムの音がしていることに気づく。スマホを見るとちょうど十二時で昼休みが始まる時間だ。
(まずはヤマブキを探さないと)
鞄を温室のカバーの隅に隠して温室から離れた。昨夜必死に覚えた構内の見取り図を思い浮かべながら校舎のほうに歩いて行く。
途中、レストランかよと突っ込みたくなるような学食の横を通ったが覗き込むことはしない。なぜならヤマブキは母さんが用意した弁当を持って来ているからだ。「今日の肉団子もおいしかったな」と先に食べた弁当を思い出しながら中庭っぽい場所に向かう。
以前、ヤマブキから中庭で弁当を食べていると聞いたことがあった。きっと今日もそうに違いない。見取り図で何カ所か中庭っぽい場所を見つけたが、ヤマブキが弁当を食べるならここだろうと当たりをつけた場所に向かうことにした。
(……いた)
予想どおりベンチに座るヤマブキの姿を見つけた。周囲を見渡した俺は、少し離れた垣根の陰に隠れることにした。
(さぁ、来るなら来い)
相手が何かするとしたら昼休みに違いない。俺は敵を待ち伏せするような気持ちでヤマブキの様子を伺った。
ヤマブキが保冷バッグから弁当箱を取り出してベンチに置いた。そのまま食べ始めるのかと思っていたが、何かに気づいたようにパッと顔を上げる。視線の先を見ると、制服姿の誰かが近づいて来るところだった。
(俺たちより背が高いな)
やはりΩが小柄だというのは勝手な思い込みなのかもしれない。そんなことを思いながら様子を見ていると、その人物がヤマブキの隣に座った。そうしてしばらく何か話をしていたが、突然その人物がヤマブキに抱きつくのが見えてギョッとした。
「は!? っと、」
思わず出てしまった声を抑えるように口を手で塞ぐ。そうしながらも目はヤマブキたちをしっかり見ていた。
抱きついているやつは男だ。ということはヤマブキと同じ男のΩなんだろうが、そいつがなぜヤマブキに抱きついているのかがわからない。体が大きいからか、まるでヤマブキをすっぽり抱きしめているように見える。
(いやいや、ここ学校! っていうかヤマブキのやつ、何でされっぱなしなんだよ!)
相手がαだったら大変だぞ、そもそも恋人作るの早すぎだろ、まずは俺に紹介しろよ、そんなことばかりが浮かぶ俺は相当混乱していたに違いない。抱きしめられたまま相手の頭を優しく撫でているヤマブキにモヤモヤし、同時にカッと頭に血が上るのがわかった。
「なにやってんだよ!」
気がついたらそんなことを言いながら飛び出していた。ハッとしたような顔を一瞬見せたヤマブキは、すぐに眉間にギュッと皺を寄せる。抱きしめていたほうは俺を見て首を傾げ、ようやく腕をほどいてから「知り合い?」とヤマブキに尋ねた。
「知らない」
ムッとしたような顔でそう言ったヤマブキは、弁当箱と保冷バッグを持って足早に去って行った。残された不埒な男はきょとんとした顔で俺を見て、一方の俺は睨みつけるように男を見返した。