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Ω高等院の制服を借りる約束をした翌日、俺はいつもどおり学校に行き「しばらく学校休むから」と友人らに宣言した。
「はぁ? この前の熱だって小学校一年、いや二年だったっけ? それ以来だって言ってなかったか? そんな健康優良児がなに言ってんだよ」
「その熱だってほんとだったか怪しいけどな」
「うるさいな。ちょっと野暮用があるんだよ」
「野暮用って、またそんなこと言って……あ、」
「あ」と口を開いた友人は、すぐに苦笑するような顔で俺を見た。ほかの友人らも「あー、うん、世の中いろいろあるよな」と頷き始める。
「別に言えないような理由じゃないからな」
「いや、言わなくていい」
「ただでさえブラコンなのに、Ωになったらそりゃあ心配するよな」
「しかも有名な学校に通ってんだろ? それだけでも大変そうだし、ブラコンの心配性が加速するのもわからんではない」
「出席日数足りてたよな? それなら期末試験さえちゃんと受ければ何とかなるんじゃねぇの?」
「ノートなら取っておいてやるよ」
理解が早いことには感謝するが、何度もブラコンと言われるのは聞き捨てならない。「誰がブラコンだ」と反論すると「おまえ以外いないだろ?」と当然のように言い返された。
(ブラコンじゃない、俺はただヤマブキが心配なだけだ)
前はここまでじゃなかった。俺とヤマブキをよく知る奴らは「いいや、おまえはブラコンの心配性だ」なんて笑うが、言われるほどじゃなかったと思っている。
そもそもずっと同じ学校でいつも一緒だったんだ。それなら普段の様子がわかるし、何かあってもすぐに手を貸せる。だからそこまで心配することはなかった。
でも、いまは家にいるときの様子しかわからない。俺の知らないところで何かあったんじゃないかと思うだけで心配でしょうがなかった。
(ヤマブキがΩになったことだけでも心配なのに)
とにかくヤマブキが安心して学校に通えるようにしなくては。そうすれば俺も安心して残りの学校生活を送ることができる。
「とにかくしばらく休むから」
「しばらくってどのくらいなんだ?」
「うーん、一週間くらいかな」
「なんだ、たった一週間かよ」
「おまえのことだから夏休み明けてもとか言うんじゃないかと思ってた」
からかうような言葉に「うるさいぞ」とひと睨みする。
「取りあえずの一週間だよ。もし状況が変わらないようだったら延長するつもりだから」
鼻息も荒く宣言した俺にみんなが盛大なため息をついた。
「ま、せいぜいヤマブキに嫌がられないようにしろよ」
「さすがに温厚なヤマブキも怒りそうだけど」
「呆れてはいそうだけどな」
「だな」
笑っている全員をもうひと睨みした俺は「ちゃんとノート取っといてくれよな」と言って自分の席に戻った。
(あとは何て言って休むかだよな)
取りあえず腹痛で一回は休めるだろう。あとは学校に行く振りをしてどこかで着替えれば何とかなる。問題は学校のほうだ。
(無断欠席じゃ父さんか母さんに連絡が行くだろうし……)
だからといって母さんに正直に話せば「なに馬鹿なこと言ってんの」と止められるに決まっている。
(……父さんに頼んでみるか)
父さんは元々教師をしていたが、いまは大型チェーン店の書店に勤めている。いつも穏やかで怒ったことがなく、俺たちの相談にも真剣に答えてくれるような人だ。
そんな父さんの口癖は「いましかできないことは、いまやる」だった。俺がヤマブキを心配していることをちゃんと話せば、きっとわかってくれるはず。Ω高等院に行くことが「いましかできないこと」だと、きっと理解してくれる。
(なんたって俺はヤマブキのヒーローなんだ)
保育園に通っていたとき、ヤマブキをいじめる年長の奴に立ち向かったことがあった。あのとき父さんに言われた「キキョウはヒーローだなぁ」という言葉はいまも忘れていない。
何とか休めそうだと安心したところで、昼休みを告げるチャイムが鳴った。今日の授業はほとんど耳に入っていないが、ヤマブキのほうが大事だから仕方がない。試験前にがんばれば何とかなるだろうと思いながら弁当を食べ始めたところで「ヤマブキ、ちゃんと食べてるかな」とまた心配になった。
そうやって一日中ヤマブキの心配ばかりしながら過ごした。帰宅すると今日はヤマブキのほうが先に帰っていて、ソファでスマホを見ている。それとなく様子を見ているが、やっぱりどこか元気がないように感じた。
夕方、制服とマンゴームースを先輩が持って来た。「このサイズなら大丈夫そうだ」と制服の大きさを確認していたところで母さんが帰ってきた。
母さんは近所の雑貨屋で働いていて毎日の出勤時間が決まっていない。朝から行くこともあれば昼過ぎに行ったりと時間帯がバラバラなのに、これまで一度もアゲハ先輩と遭遇したことがなかった。ケーキをもらうばかりで挨拶ができないことを気にしていた母さんは「ようやく会えたわ」と喜んでいる。
(でもって、なんで頬を赤くしてんだよ)
まるで恋する乙女のような顔だ。若干呆れつつ、「老若男女関係なく見とれるのは、まぁわかるけどさ」と少しだけ納得する。そんな俺の隣でヤマブキはずっとムスッとした顔をしていた。
「ねぇ、ほんとに制服借りるの?」
「当然だろ」
「そんなことしても絶対にばれるよ」
「大丈夫だって」
「全然大丈夫じゃないよ。そもそもおれたち、こんなにそっくりなんだよ? それなのにキキョウまで学校に来たら同じ顔が二人いるって大騒ぎになるでしょ」
母さんとアゲハ先輩が話しているのを横目でチラチラ見つつ、ヤマブキとコソコソ話をする。ヤマブキの指摘に「それもそうか」と思ったが、そのくらいで俺が諦めると思ったら大間違いだ。
「そこは何とかする」
「なんとかって、顔は何ともならないでしょ」
「大丈夫だって」
「……こんなことなら先輩がケーキ持ってくるの、断ればよかった。おれはただ、コザクラのために何かできないかって思っただけなのに」
「ヤマブキ?」
何かブツブツつぶやくヤマブキの声に被さるように「あら、もう帰るの? せっかくだからお夕飯、一緒にと思ってたのに」という母さんの残念そうな声が聞こえてきた。見ると、紅茶を飲み終わったアゲハ先輩が席を立ったところだった。
「いえ、今日はこれで帰らせていただきます」
「そう? 残念ねぇ」
「母さん、無理に引き留めることないって」
内心「さっさと帰れよ」と思いながらそう言うと、「でも、いつもよくしていただいてるのに」とますます母さんが残念そうな顔をする。それを見た先輩がキラキラの顔でニコッと微笑んだ。
「それに、いずれきちんとご挨拶に伺うことになると思いますので」
「あら、そうなの?」
「はい。いずれ必ず」
予言するかのようにそう言ったアゲハ先輩の目がなぜか俺を見た。そうしてニコッと笑う顔に首筋がぞわっとする。
「……もしかしてだけどさ」
「なんだよ」
袖を引っ張りながら顔を近づけていたヤマブキが耳元で囁いた。
「挨拶って、もしかしなくてもキキョウをお嫁さんにもらう挨拶だったり……は、さすがにないよね」
「はぁ!?」
思わず大声を出した俺に「どうしたの?」と母さんが不思議そうな顔をした。慌てて「何でもない」と首を振る俺に、ヤマブキが「冗談だって」と囁く。
「っていうか、冗談じゃなかったら困る」
「困るのは俺のほうだろ!」
小声で怒りながら、何とはなしに先輩を見た。なぜか自信たっぷりに笑っている顔に無性に腹が立つ。それでも制服を借りた手前、睨み返すわけにもいかない。
こうして俺は無事にΩ高等院の制服を手に入れ、さっそく翌日から潜入することにした。