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今日もアゲハ先輩がケーキを持って現れた。しかも俺が学校から帰るタイミングを狙ったかのように黒塗りの車が目の前に停まる。最初は車を見るだけでムッとしていた俺も、こうも熱心に通われると呆れる気持ちのほうが強くなっていた。
(どんなに通っても俺からΩの香りがすることなんてないのにな)
いっそ憐れに思えてくる。そんな気持ちが混じり始めたからか、家に招き入れることにもあまり抵抗がなくなってきた。
(今日もヤマブキが好きな店のケーキだな)
持っている紙袋からそう判断した。それにしても毎回よくヤマブキが好きなケーキを選んでくるなと感心したくなる。従弟がΩ高等院に通っているらしいが、もしかしてヤマブキのことを聞き出しているんじゃないだろうかと勘繰りたくなった。
(おー、やっぱり桃のタルトか)
中身を確認したら予想どおりのものだった。つい三日前、スマホの画面を見ながら「おいしそうだなぁ」とつぶやいていたヤマブキを思い出す。
「今日はヤマブキくんはいないのか」
「もう少ししたら帰ってくるだろ」
さっき最寄り駅に着いたというメッセージが届いた。「帰ったら桃のタルトがあるなんて最高」とピョンピョン飛び跳ねるウサギのスタンプつきで返信が来たから、寄り道せずバスに乗ったに違いない。
(それにしても、いつの間にかすっかりくん付けで呼んでるよな)
俺とヤマブキを親しげにくん付けで呼ぶのが気に入らない。だからといって変な愛称を付けられるのも嫌だから大人しく言わせておくしかない。
それにしてもとアゲハ先輩を見た。相変わらずキラキラした顔で、この容姿なら最初に本人が言っていたとおり大勢がお近づきになりたがるだろう。Ωはもちろん、βの女の子だって夢中になりそうだ。
そんなα様が、どうしてβの俺の匂いにこだわるのかさっぱりわからない。いくら待っても俺からΩの匂いなんてするわけないのに、かれこれ三週間近くもケーキ持参で通い続けている。
(いい加減諦めがつきそうなものなのにな……ってまさか、本当はヤマブキを狙ってるんじゃ……?)
不意にそう思った。それなら毎回ヤマブキが好きなケーキを持ってくるのも納得できる。もしかして珍しいΩだと知って近づいたのかもしれない。
ヤマブキが体調を崩したとき、最初に診てもらったのは近所のクリニックだった。突然の高熱にてっきりインフルエンザかと思って連れて行ったものの、医者に「紹介状を書きますね」と言われて大きな病院に行くことになった。もしかして大変な病気なんだろうかと困惑する家族に医師が告げたのは、ヤマブキが後天性Ωになったということと珍しい遺伝子を持っているということだった。
珍しいというのが具体的にどういうことか俺は知らない。説明を受けた両親にもあえて聞かなかった。第二次性はナイーブな問題だし、たとえ兄弟でも突然Ωに変わったヤマブキのことを根掘り葉掘り聞くのはよくないと思った。
しかし、そのせいでαに狙われているのだとしたら聞いておいたほうがいいのかもしれない。遺伝子云々は抜きにしても珍しいΩということは希少価値が高いということなんだろうし、これからもアゲハ先輩みたいに狙ってくるαがいるかもしれないということだ。
(ってことは、俺はダシに使われたってことか)
それも腹が立つが、騙すようにヤマブキに近づいたことが何より許せなかった。「やっぱりαってのはとんでもないな」と、目の前で優雅に紅茶を飲む先輩を睨みつける。
(こんなやつに紅茶なんか出してやるんじゃなかった)
それでも渋々出したのは、ヤマブキからのメッセージに「お茶出しといてね」とあったからだ。そんなことしなくていいと思ったものの、毎回ケーキを持ってくる先輩を無碍にするのもよくない。そう思って紅茶を用意したが、やらなけりゃよかったと後悔する。
「どうかしたか?」
睨んでいることに気づいたのか先輩が視線を上げた。相変わらずのすまし顔にムッとしていると、玄関を開ける音と「ただいまぁ」というヤマブキの声が聞こえてくる。
「おかえり……って、どうかしたのか?」
「え? なにが?」
「いや、何がって……」
居間に入ってきたヤマブキを見て「あれ?」と思った。別に変わったところはないが、何かが引っかかる。きっと両親も気づかない、でも双子の俺にはわかる微妙な違いに眉が寄った。
(やっぱり学校で何かされてるんじゃないのか?)
ヤマブキは「何もないよ」と言うが、最近は頻繁に疲れたような顔をする。ため息をつくのも見かけるし、俺と一緒に通っていたときには見られなかった様子にいろんな想像が脳裏をよぎった。
(いじめられてないって言ってるけど、ヤマブキは人がいいから気づいてないだけかもしれない)
たとえば委員会だとかを押しつけられても快く引き受けるから、ここぞとばかりにいろいろ押しつけられている可能性もある。そういう些細なことが積み重なって熱を出したのかもしれない。
(……俺が何とかしてやらないと)
静かに見守ろうと思っていたが、やっぱりヤマブキを放っておくことはできない。こうなったら今度こそ本気で学校に乗り込んでやる。
「キキョウってば、また何か変なこと考えてるでしょ」
「おまえのことは俺が守ってやるからな」
「もう、またそんなこと言って。何度も言ってるけど、キキョウが心配するようなことは何もないからね? それに守ってやるってどうするつもりなのさ?」
「今度こそΩ高等院に行く。そしておまえのストレスを排除してやる」
「だから、いじめなんてされてないって言ってるのに」
ため息をつく姿も心なしか元気がない。俺は「大丈夫、任せろ」と胸を張った。
「違うって言ってるのに。そもそも学校に行くって、制服はどうするつもり? おれ、予備の制服なんて持ってないよ?」
「それは……この前みたいに俺が行ってる間はヤマブキは休んでればいい」
「やだよ」
「それじゃあ……そうだ、入れ替わってこっちの学校に来ればいいよ。元々通ってた学校だし懐かしいだろ?」
「やだってば。それにキキョウじゃすぐにばれるよ。おれだってすぐにばれるだろうし」
「大丈夫だって。前にも何度か入れ替わったことあったけど大丈夫だっただろ?」
「おれはよくても、キキョウは無理だよ」
「なんでだよ」
「だってキキョウ、Ωのこと何も知らないでしょ? 周りは全員Ωなのに何かあったときどうするのさ」
「それは……気合いで何とかする」
俺の返事にヤマブキが「そういうの、キキョウの悪いところだからね」と眉間に皺を寄せた。
「それなら一緒にΩ高等院に行けばいいんじゃないか?」
「え?」
「それいいな」
アゲハ先輩の提案にヤマブキは目をまん丸にし、俺は「初めていいこと言ったじゃないか」と少しだけ感心した。
「先輩までそんなこと言わないでください。キキョウってば本当にやりかねないんですから」
「本気に決まってるだろ。あんたもたまにはいいこと言うんだな。問題は制服か……」
Ω高等院の制服は支給品で一般販売されていない。サイズが合わなくなったり汚れや破損があった場合は学校に申請して新しいのを届けてもらうんだそうだ。学生は金持ちばかりだから、着なくなった制服を古着屋で売るなんてこともしないだろう。
どうやって制服を調達しようか考えていると「予備の制服ならある」とアゲハ先輩が口にした。
「なんであんたがΩの制服持ってんだよ」
やっぱり変態なんじゃないかという眼差しを向けると「従弟がΩ高等院に通っていると言っただろう?」と呆れた目で見られた。
「従弟が一年のときに着ていた制服がある。入学したときより背が伸びたからと二年になるタイミングで新調したんだが、キキョウくんの体型なら前のものが入るだろう。必要なら持ってくるが?」
「貸してくれるならぜひ」
「ちょっとキキョウ! 先輩も煽らないでください」
「俺はおまえが心配なんだよ。そのためならΩの制服を着て学校に乗り込むくらいどうってことない」
「だから心配されるようなことはないって何度も言ってるでしょ」
「俺にまで嘘つくなよな」
そう言うとヤマブキが口をつぐんだ。その様子から「やっぱり何かあるんだな」と確信する。
もしヤマブキが言うとおり何もないならそれでいい。でも、何か起きているならどうにかしてやりたかった。
「では、三日後にケーキと一緒に制服も持って来よう」
「明日がいい」
「キキョウ!」
「明日か……わかった。では明日、夏の制服一式持って来よう。ケーキは……そうだな、たしかマンゴーのムースが出ていたな」
何か言おうと口を開きかけたヤマブキが「マンゴー……」と言いながらほんの少し視線を上げた。きっと桃のタルトと一緒にスマホで見ていたマンゴームースを思い出しているんだろう。
(相変わらず甘い物が好きだな)
それに最近はよく食べるようになった。育ち盛りってやつかもしれないが、それにしても俺より食べる姿に感心したくなるくらいだ。
(……段々俺が知ってるヤマブキじゃなくなっていくみたいだな)
そう思うと少しだけ寂しくなる。だからこそヤマブキのためにできることはしてやりたい。きっとすぐに何も手助けしてやれなくなるだろうから、せめていまだけでもお兄ちゃんでいたい。
そう思いながら久しぶりに先輩の顔を正面から見た俺は、「制服、よろしくお願いします」と頭を下げた。