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 アゲハ先輩とかいう変態αに会ってから二週間以上が経った。


『二度と俺とヤマブキの前に現れるな。いいな』


 そう宣言した俺は二度とあのキラキラした顔を見ることはないと思っていた。それなのに、なぜか目の前にそのキラキラした顔が座っている。


「このお店のチーズケーキ、大好きなんです。ね、キキョウも好きだよね?」

「それはよかった。遠慮せず食べてくれ」

「ありがとうございます」


 ニコッと笑ったヤマブキが嬉しそうにフォークを手に取る。俺はと言えば「なんだってこんなことになってるんだ」と眉を寄せるしかなかった。

 一週間と少し前、再び我が家にやって来たキラキラ美形ことアゲハ先輩は片手に紙袋を下げていた。一年に一度だけ目にする有名なお店の紙袋に、ヤマブキが「パティスリーカグラザカのケーキですか?」と少し興奮した声で問いかけた。


「あぁ。Ω高等院に従弟が通っているんだが、彼からきみたちがここのケーキが好きだと聞いてね」

「従弟って、もしかしてコザクラですか?」

「あぁ」

「そっかー……あ、ケーキありがとうございます」


 一瞬何か考えるような表情をしたヤマブキだったが、すぐさまニコッと笑ってアゲハ先輩から紙袋を受け取った。


「おい、受け取るなよ」

「どうして? せっかく持って来てくれたんだから突っ返すなんて悪いよ」

「それでも、こいつから何かもらうのはやめとけ」

「きみのぶんもあるから遠慮しなくていい」

「そんな心配してねぇよ!」


 相手が先輩だということを忘れて言い返してしまったが、もはや言葉遣いなんてどうでもいい。二度と現れるなと言った俺の言葉を無視するなんてどういう了見だ。


「キキョウ、そういう態度は失礼だよ? せっかく持って来てくれたのに」

「理由もないのに受け取れるわけないだろ」

「この間のお詫びだ」

「は?」

「大勢の前で香りを嗅ぐのはマナー違反だと言われた。それにたとえ誘われたとしても衆人環視の前でキスをするのはよくないともな。そのお詫びだと思ってほしい」


 アゲハ先輩の言葉にヤマブキが「え? キスって、えぇ?」と茶色の目を見開いている。


「キキョウ、もしかしてアゲハ先輩にキスされたの?」

「聞くな」

「もしかして駅で?」

「だから聞くなって」

「みんなの前でキスされたの?」

「だーっ! せっかく忘れてたのに思い出させるな! あんたも余計なこと言うなよな!」


 腹立ち紛れに文句を言えば、なぜかアゲハ先輩に「忘れるとはひどいな」と眉をひそめられた。


「ひどいのはどっちだ。いきなりあんなことしておいて、俺はケーキぐらいで許したりしないからな」

「では、許してもらえるまでケーキを買ってくることにしよう。同じ店のものでもいいし、とくに希望がないなら俺が贔屓にしている店のものを買ってこよう」

「そういう意味じゃねぇよ!」


 庶民ならお高いケーキで懐柔できると考えていることに「これだから金持ちは」とムカッとした。ところがヤマブキは「やった」と喜んでいる。


「ヤマブキも喜ぶな!」

「だってパティスリーカグラザカのケーキだよ? 毎年誕生日にしか食べられないのに、こうやって何でもない日に食べられるなんて嬉しいもん。それに行列で買えないのが残念だって、この前テレビ見ながらキキョウも言ってたよね?」


 ヤマブキの指摘に眉間にグッと皺が寄る。

 毎年俺たちの誕生日ケーキはパティスリーカグラザカのケーキだと決まっている。元々は母さんが好きな店で、俺たちもすぐに好きになった。ただ、相当な人気店だから行列が絶えず気軽に買いに行くことができない。誕生日ケーキも半年前に予約しないと買えないくらいなのに、それが誕生日以外でも食べられるのはたしかに嬉しい……って、そうじゃない。


「ね、せっかくだから一緒に食べよう?」

「……」

「食べなかったらもったいないよ?」

「……」

「お詫びだって言うんだから、おれだけ食べるのは変でしょ? それにこのままじゃ駄目になっちゃうだろうし、捨てるなんてもったいないよ?」

「……しょうがないから食べてやってもいい」

「そいこなくっちゃ! そうだ、せっかくなんで先輩、お茶でも飲んでいきませんか?」

「は!? なに言ってんだよ」

「だってこのまま帰ってもらうなんて悪いよ」

「では、遠慮なく」

「そこは遠慮しろよ!」

「キキョウ、そういう態度はよくないっていつも言ってるよね?」

「……俺はお茶なんて用意しないからな」

「おれがやるから任せて」


 ニコッと笑ったヤマブキにそれ以上何か言うことはできず、結局アゲハ先輩を家に招き入れることになった。

 それからというもの、アゲハ先輩はまるで家に来るのが当然と言わんばかりの顔でケーキを持って来るようになった。そのたびに紅茶まで飲んでいく。今日も有名店のチーズケーキを持参し、そのまま部屋に上がり込んだ。


(ちょっとは遠慮しろよな)


 そう思いながらヤマブキがいれてくれた紅茶を一口飲んだ。いつもと違ってやけにいい香りがする。


(……母さんか)


 きっと母さんが高い紅茶を買ってきたんだろう。というのも、アゲハ先輩が両親のぶんまでケーキを買ってくるようになったからだ。いまでは母さんまで「アゲハ先輩が来る日が楽しみだわ」なんて言い始めている。


「一体なんなんだよ」


 ぼそっとつぶやいた言葉に先輩が「お詫びと確認だ」と答えた。


「Ωの中には体調や季節によって香り方が違う人がいると聞いた。もしそうだとしたら、通って確認するしか方法がない」

「だから何度も言ってるけど、いくら確認したって俺はβだ。βからΩの匂いがするなんてあるはずないだろ」

「あのときたしかにきみからΩの香りがしたんだ。間違いない」

「いいや間違ってる」

「間違いない。俺は自分の鼻とαの本能を信じている」

「じゃあ、それがポンコツだったってことだろ」

「ちょっとキキョウ、」


 静かにケーキを食べていたヤマブキが俺の袖を引っ張った。それを無視してキラキラした顔をジロッと睨みつける。


「とにかく、その匂いは俺のじゃない。ヤマブキの制服を着てたんだからヤマブキの匂いだったんじゃないのか?」


 俺の指摘にアゲハ先輩が「違うな」と首を横に振った。


「わずかしか香っていないが、ヤマブキくんからは違う香りがする。例えるなら春の花のような香りといったところだろうか。柔らかいのに意外と主張が強いフリージアやスイートピーのようなイメージだ」


 先輩の言葉に、制服を着たときに感じた甘い匂いのことを思い出した。てっきり香水かと思っていたが、あれはヤマブキのΩとしての匂いだったらしい。


(Ωって本当に匂うんだな)


 一般的にαやΩの匂いはβにはあまり感じられないと言われている。ただ、そうした特別な香りはβの間でも人気で、最近はαやΩのような香りが楽しめる香水というものも売られているそうだ。つけた人の体温や汗なんかで微妙に匂いが変わるらしく、そういうところがαやΩっぽいと俺の周りでも噂になっている。


「しかしキキョウくんの香りは違う。あのとき香ったのは、花というよりスパイスやハーブに近いものだった。シナモン、月桂樹、ローズマリー……そうだな、甘いのに刺激的な香りといった感じか。いまでもはっきり覚えているが、あれはヤマブキくんの香りじゃない」

「そっか、おれって春の花みたいな香りだったんだ。まだ発情したことがないから自分の香り、わからないんですよね」

「そういえばコザクラがそんな話をしていたな。……あぁ、だからきみは」

「先輩、お茶のおかわりどうですか?」

「うん? あぁ、いただこう」


 アゲハ先輩が何かを言いかけたところで、ヤマブキが遮るようにおかわりを勧めた。それが何となく不自然な気がしてヤマブキをチラッと見る。


(もしかして俺に聞かれたくない話とか……?)


 聞いてもβの俺にはわからない話なのかもしれない。それでも秘密にされたような気がして複雑な気持ちになった。


(この前まではお互いのこと、なんでも知ってたのにな)


 双子だからか言葉にしなくてもわかることが多かった。ところがヤマブキがΩになってからというもの、体調の変化にも気づきにくくなった気がする。「前はヤマブキが体調悪そうなとき、何となくわかったのにな」と思うと、一人ぼっちになってしまったような気がして少しだけ寂しい。


(寂しいなんて、十六にもなってなに言ってんだか)


 思わず口元を歪めると「兄弟で第二次性が違うとはどういう感覚なのだろうな」と先輩が口にした。


「え?」

「いや、気にしないでくれ」


 先輩の言葉に、なぜかヤマブキが浮かない表情になる。


「ヤマブキ?」

「うん? なに?」

「いや、なんか元気ない気がして」

「そんなことないよ。だって大好きなチーズケーキ食べてるんだからさ」


 そう言って笑うヤマブキに胸がチクンとした。やっぱり何か隠しているんじゃないだろうかと疑ってしまう。


(そりゃあβの俺には何もできないかもしれないけどさ)


 それでも俺たちは生まれたときからずっと一緒にいる双子なんだ。両親よりもお互いのことはよくわかっている。だからこそ悩みがあるなら相談してほしい。そう思っていても「まぁ、Ωのことはわからないけどさ」と現実を考えるとやっぱり寂しくなった。


(βの俺にできることなんてないのかもな)


 目の前に置かれたチーズケーキを一口食べる。味は変わらないはずなのに、前に食べたときより少しだけ酸っぱいような気がして思わず眉を寄せてしまった。

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