表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/17

(やっぱり滅茶苦茶見られてるよな……)


 そう思いながらそっと周囲を見る。がっつり見ている人もいればチラチラ見ている人もいた。ダンスが好きで仲間と広場で踊ったりすることがある俺は、見られることに割と慣れているほうだと思う。それでもバスに乗ったときから浴びせられ続ける視線にはうんざりした。


(Ω高等院が有名だってのは知ってたけど、まさかここまでとは)


 元々αやΩは数が少ないから注目されやすい。とくにΩはうなじを噛まれないように首輪みたいなネックガードをするから余計に目立つ。


(わかっててもネックガードつけないと怪しまれるし)


 Ωには数カ月に一度、発情という現象に襲われる。なんでもαを呼び寄せるフェロモンが大量にあふれ出すとかで、フェロモンを嗅いだαも発情に陥るんだそうだ。そのときαにうなじを噛まれると、Ωは噛んだαの番になる。俺たちでいうところの結婚みたいなものらしいが、実際はそれよりずっと厄介なんだそうだ。

 それに発情状態のαとΩは自制が利かなくなると言われていた。そのせいで望んでいないのにうなじを噛まれることもあるそうだ。そういう事故を防ぐためΩはいつもネックガードを付けていて、ヤマブキもΩだとわかってからはずっと付けている。


(ヤマブキはまだ発情になったことないっぽいけど、ネックガードだけは必須らしいからな)


 そんなネックガードもシャツに隠れてほとんど見えない。それなのにこれだけ視線を集めるのはこの制服のせいだろう。

 有名デザイナーがデザインしたとかいうΩ高等院の制服が有名だとは聞いていたが、どうやら本当らしい。しかもやたら高価らしく庶民には買えない代物なんだそうだ。

 そんな制服や学校で使う日用品などはすべて学校から支給される。制服は男女ともにブレザータイプで、胸元を飾るのはネクタイではなくやけにヒラヒラしたリボンだ。袖口には赤、青、緑の光る石があしらわれた特別製のボタンがついていて学年によって色が違うらしい。ちなみに二年生のヤマブキの制服には赤色のものがついている。

 鞄は一瞬黒にも見えるワインレッドという色らしく、靴も同じ色に輝いていた。着心地も履き心地も抜群だが、値段を想像すると落ち着かない。


(そんな制服を着るような学校にヤマブキが通ってるなんて、いまだに信じられないんだよなぁ)


 そもそも半年前まではヤマブキもβだった。体調を崩したときに第二次性の検査を受けてΩになったことがわかった。途中で第二次性が変わるのは珍しいものの、あり得ない話じゃないらしい。ただヤマブキの場合は珍しい遺伝子だったらしく、検査から十日経たないうちに役所からΩ高等院への転入書類が届いた。

 そんなこんなで、あっという間にヤマブキはΩ高等院に転校することになった。βの両親や俺にはΩの知識がないから、Ωのことをちゃんと教えてくれる学校に通うほうがいいとは思う。


(でも、通う学生がいい奴らばかりとは限らない)


 きっとヤマブキをいじめている奴らがいるに違いない。それに加えて通学でこんなに注目されるのだ。気が休まるときがなかったのだろう。

 通学はどうにもできないが、せめていじめっ子たちくらいは何とかしてやりたい。俺は集まる視線に若干怯みながらも、真っ直ぐ前を向いて改札を出た。

 電車の中もすごかったが、改札を出るとさらに視線が集まった。誰も彼もがヒソヒソ話をしながら俺を見ている。


(そういや学生の多くは車での送迎だって言ってたっけ)


 ヤマブキが「みんなすごいんだよ」と興奮したように話していた。だからこの制服で電車通学する姿が珍しいのかもしれない。


(毎日これじゃあメンタル病むよな)


 車での送り迎えはできないにしても、何か対策はできないだろうか。そんなことを考えながら歩いていると、背後から「きみ」という声がした。

 考えごとをしていた俺はその声を無視してズンズン歩いた。そもそも声をかけられたとも思っていない。ところが「待ってくれ」と肩を掴まれて足が止まった。


(見るだけじゃないのかよ)


 若干いらつきながら振り向くと、そこにはとんでもない美形が立っていた。見たことがないほど整った顔に思わずポカンとしていると、肩を掴んだ美形がニコッと笑顔を見せる。


「少しいいかな」

「は? え?」


 微笑んだ顔がなぜか近づいてきた。状況がわからず、ただ迫ってくる美形の顔を見つめ続ける。


(な、なんだ?)


 綺麗な黒髪が顔に当たった。左肩は美形の手に掴まれていて、反対側には美形の頭がある。


(……もしかしなくても、これって抱きしめられてるってやつじゃ……)


 真っ先に「なんで?」と思った。初対面の男に抱きしめられるなんてあり得ない。「え? どういうこと?」と混乱している俺の耳に「スン」と息を吸うような音が聞こえてきた。


(匂いを嗅ぐときみたいな音だな……って、まさか)


 もしかしなくても本当に匂いを嗅がれているんじゃ……。そう思った途端にぞわっと鳥肌が立った。慌てて体を離そうとしたものの、耳元で「動くんじゃない」と言われて動きが止まる。


「そのまま動かないで」

「動かないでって、いや、あの、だから何して、」


 一旦顔を上げた美形が再び顔を近づけてきた。しかも今度は明らかに首筋の臭いを嗅ぐようにクンクンと鼻を鳴らしている。あまりの恐怖に「ひぃっ」と悲鳴を上げながら仰け反った俺は、そのまま美形の体を押しのけて飛び退いた。


「まさかそんな反応をされるとは思わなかったな」


 美形が明らかに不機嫌そうな顔をしている。


(いやいやいや! いきなりあんなことして不愉快になるのは俺ほうだろ!?)


 喉元まで文句が出かかったものの、グッと唇を噛んで我慢した。なぜならヤマブキはそんなことをしないからだ。「俺はいまヤマブキなんだ」と言い聞かせながら、さらに二、三歩後ずさる。


「そ、そうですか?」

「もしかして香りを嗅がれるのは初めてか?」

「へ? 香り?」

「そうか、初めてか。それなら驚いても仕方がない。驚かせて悪かったな」


 謝っているのに偉そうな態度の美形が一歩、二歩と近づいて来る。慌てて逃げようとしたものの、それより先に美形の腕が腰に回って逃げられなくなった。


(待て待て待て! なんで腰に手なんか回してんだよ!)


 頬を引きつらせながら、それでも手は出さずに「あの、」と美形を見上げた。すると「どうかしたか?」と整った顔に見下ろされて言葉が詰まる。

 人間、見慣れないものを見ると動きが止まるというのは本当らしい。「綺麗すぎても驚くんだな」なんてどうでもいいことを思いながら、それでも何とか逃れようとジリジリと足を動かした。ところがそれを遮るように美形がさらに密着してくる。


「あの、離してもらえませんか」


 状況に堪えられずそう訴えたが、美形は「それは難しいな」と返してきた。


「は?」

「間違いないと思うが、念のためもう一度確認させてほしい」

「か、確認って?」

「αの俺が確認したいことといえば一つしかないだろう?」


 そうか、こいつαだったのか。


(そういえばこいつが着てる黒っぽい制服、どこかで見たような……)


 そんなことを思っていると「いい子だ」と言った美形がキラッキラの笑顔を浮かべた。あまりの眩しさに思わず目を瞑ると、「積極的だな」という声がしたのとほぼ同時に唇に何かが触れる。


(……何だこれ)


 ふにっとした柔らかいものだということはわかった。それがグッとくっつき、さらにムニムニと動き始める。よくわからない感触にそっと目を開けると、焦点が合わない距離に美形の顔があった。そういえば鼻の近くに生温かい息のようなものが当たっている気がする。


(これって……)


 頭に浮かんだ言葉に「まさか」と思った。否定したかったが、この状況から導き出される答えは一つしかない。一瞬青ざめ、すぐに頭に血が上った。腹の中で「この変態野郎が!」と罵りながら目の前の体を思い切り突き飛ばした。


「お……っと、急に暴れたりしてどうした?」

「ふ、ふ、」

「ふ?」

「ふざけんな……っ」


 腹の底から叫び、そのまま数歩後ずさった。そうして美形を思い切り睨みつけながら袖口で唇をゴシゴシと拭う。


「ひどいな。それでは俺が汚いもののように感じるじゃないか」

「うるさい! いきなりキ、キスするとか、変態のくせになに言ってんだ!」

「変態とは失礼極まりない。それに俺の前で目を瞑ったのはきみのほうだろう」

「はぁ!? 俺が悪いって言うのかよ!?」

「あれでは誘っているようにしか見えない。しかし、Ω高等院の学生にしては口が悪いな」

「なに言ってんだ。俺は、」


「Ωじゃない」と言いかけてハッとした。自分が着ている制服を思い出し慌てて口を閉じる。 気がつけば周囲に人だかりまでできていた。それはそうだろう。ここは大きな駅で、改札から離れているとはいえまだ駅構内だ。通り過ぎながら、中には立ち止まって俺たちの様子を見ている人たちまでいる。


(まずい、早くここから離れないと)


 このままじゃヤマブキが騒ぎを起こしたことになってしまう。


(俺がヤマブキの足を引っ張ってどうするんだ)


 グッと右手を握り締めた俺は、ヤマブキじゃないと言わなくてはと考えた。目の前の変態αにもだが、集まっている人たちにもヤマブキじゃないことを知らしめなくては。そうしなければ毎日この駅を使うヤマブキに迷惑をかけてしまう。


「おれはΩ高等院のΩじゃない」


 大きな声ではっきりとそう口にした。


「制服を着ているのにか?」

「これは……知り合いに借りたんだ」


 美形の顔が訝しむような表情に変わった。俺たちを見ている野次馬もざわつき始める。


「制服を借りたって、どういうこと?」

「Ω高等院の学生に憧れてるんじゃない?」

「えぇ~。だからって借りてまで着る?」

「きっと通いたくても通えないΩなんだよ」

「もしかして、制服着てたら優秀なαに声かけられるとか思ったのかもね」


 聞こえてくる囁き声にカッとなった。


(ヤマブキはそんなことしない!)


 ヤマブキは優しくて我慢強くて、しかも努力家だ。Ωだとわかってからも「独りで生きていくことになるかもしれないから」と言って勉強をがんばっている。そんなヤマブキが誤解されたような気がして腹が立つと同時に情けなくなった。


(こんなことしなけりゃよかった)


 ヤマブキのために動いたはずが、結局こんなことになってしまった。「キキョウは思い込みが激しいから気をつけて」と苦笑するヤマブキの顔を思い出すとますます情けなくなる。


(絶対にヤマブキに迷惑はかけられない)


 ここにいるのはヤマブキじゃないと印象付けなくては。


「俺はΩ高等院のΩじゃない。制服は借りただけだ。貸してくれたやつに迷惑がかかるから帰る」


 まるで宣言するように大きな声で言い放ち、急いで改札に戻った。そのまま出たばかりの改札を通過し、階段を上り始めたところで電車が到着したというアナウンスが耳に入る。全力で駆け上がった俺は滑り込むように乗車した。

 できるだけ身を縮めて最寄り駅まで戻ると、バスには乗らず人目を避けるように裏道を通って家に帰った。歩きながら何度も「ヤマブキに迷惑がかかりませんように」と祈ったのは言うまでもない。


 翌日、完全に熱が下がったヤマブキの代わりに俺が熱を出してしまった。「キキョウが二日も熱を出すなんて珍しいわね」と不思議がる母さんが部屋を出て行くと、ヤマブキが「大丈夫?」と心配そうな顔で覗き込んでくる。


「平気だって」

「でもつらそうだよ」

「寝てればよくなるよ。それよりヤマブキこそ学校、どうするんだ?」


 昨日は行きたくなさそうな様子だった。熱が下がったとはいえ無理してまで行くことはない。そう言おうとした俺より先に「今日は行くよ」とヤマブキが答えた。つらそうな顔はしていないものの、苦笑いのような笑顔に胸が痛くなる。


「無理しなくていいんだぞ?」

「無理なんてしてないよ」

「俺に隠し事なんてするなよ」

「別に隠し事なんてしてない。それにキキョウが思ってるようなことは何もないから」

「俺が思ってるようなことって何だよ」

「キキョウはおれが学校でいじめられてるって思ってるんでしょ?」

「……違うのか?」


 俺の質問に「いじめられたりなんてしてないよ」と笑った。


「本当の本当に?」

「本当の本当に」

「嘘じゃないよな?」

「嘘なんてつかないよ」

「……でも、無理はしてるだろ」

「そりゃまぁ、半年前にΩになったばかりだからね。多少無理はしてるけど、でもおれはこれから一生Ωなんだ。このくらいでへばってちゃ生きていけない」

「……そっか」


 いつの間にヤマブキはこんなにも強くなったんだろう。半年前までとは違う凛々しい表情にホッとしながら、同時に心のどこかで寂しさを感じていた。


(Ωになったから強くなったのか……って、違うな。ヤマブキは本当は強いやつだ)


 それなのに小さい頃の泣き虫だった印象が抜けなくて、つい「兄の俺が守ってやらないと」なんて思ってしまう。


(もう俺がどうこうする必要ないのかもな)


 そう思うとやっぱり寂しい。だからといって、βの俺にΩのヤマブキを守り続けることはできないだろう。それに昨日みたいな騒ぎを起こしたら逆に迷惑になる。


(ヤマブキ、ごめんな)


 心の中で謝りながら「じゃあ行ってくるね」と部屋を出て行く後ろ姿を見送った。「昨日のこと、学校で騒ぎになってなけりゃいいけど」と心配していたものの、夜心配で眠れなかったからか気がつけばぐっすり眠ってしまっていた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ