17
次の日、俺は学校に行くことができなかった。後天性Ωになりつつあると言われたこともショックだったが、友達とどう接すればいいかわからなくて仮病を使った。俺がショックを受けていることは両親ともにわかってくれたらしく、二人とも何も言わずに休ませてくれた。
(俺がΩになったって言ったら、あいつらどんな顔するかな)
なんだそれと笑うかもしれない。それともギョッとした顔をするだろうか。
(……後者だろうな)
ヤマブキがΩになったときのことを思い出すと気が重くなった。このまま何も言わずに過ごすことも考えたが、もし突然発情してしまったらと考えると黙ったままでいいはずがない。
明日は学校に行こう。でも、どうやって説明すればいいんだろう。それともやっぱり黙ったままでいようか。そんなことを考えているうちに夕方になっていた。
「キキョウ」
帰宅したヤマブキが遠慮がちに声をかけてきた。いつもならノックせずにドアを開けるくらいなのに、俺がふさぎ込んでいると思って気を遣っているんだろう。
「入れよ」
そう声をかけると、ゆっくりとドアが開いた。「あのさ」と遠慮がちに顔を覗かせる。
「ちょっといいかな」
「だから入れって言ってるだろ」
「うん」
制服を着たままのヤマブキが足音を立てずに入ってきた。手には大きな白い封筒を持っている。
(あれって……)
見覚えのある封筒だ。年末に届いたものと色も形もそっくりで、「まさか」と思わずつぶやく。
「宅配ボックスに入ってた」
差し出された封筒には役所の名前と“Ω高等院編入手続き書類”という文字があった。
「……マジか」
まさかヤマブキが言っていたとおりになるとは。しかも昨日の今日だ。ヤマブキのときはもう少し時間がかかったはず。それなのにやけに早いことが気になった。
「なんでこんなに早く書類が来るんだよ」
「Ω高等院で検査したからだと思う」
「……どういうことだ?」
俺の声が尖っていることに気づいたんだろう。俺そっくりの目を何度か左右に動かし、それから覚悟を決めたように口を開いた。
「Ω高等院の検査って、世界でも有数の精度を誇るくらいすごいんだ。専門の病院でも見つけられないようなΩの遺伝子を見つけることができるって授業で習った。おれも転校してすぐに保健室で検査して、それで具体的な遺伝子のことがわかったんだ」
「遺伝子って……おまえの遺伝子って、そんなに特別なものなのか?」
「うん。上位一パーセントもいない超優秀なαを生むことができる遺伝子を持ってるって説明された」
「は……?」
チョウユウシュウナαヲウムコトガデキル遺伝子……つまり、すごいαを生むことができる体ということだろうか。
(……なんだよそれ)
意味がわかった途端に嫌な気分になった。
(優秀なαを生むしか能がないって言われるようなものじゃねぇかよ)
昔、Ωがそういう扱いを受けていたことは知っている。βでも学校の授業でαとΩの歴史を習うからだ。しかしいまは違う。αほどではないにしてもΩも優秀な人がほとんどで、医者や学者、芸術家、中にはスポーツ選手としてαと渡り合っているΩもいるくらいだ。
それなのに“超優秀なαを生むことができる遺伝子”なんて、どういう説明だ。そんな時代錯誤な遺伝子なんて冗談じゃない。
(……って、まさか)
ハッとした俺にヤマブキが申し訳なさそうな顔をしながら「そうだよ」と口にした。
「キキョウもおれと同じ遺伝子を持ってる。まだ完全なΩじゃないって言われたけど、そういう遺伝子があるってことは、いずれΩになるってことだ」
「……それを調べるためにΩ高等院で検査したってわけか」
「黙ってたことは謝る。でも話せば検査に行かなかったよね?」
「当然だろ! それに俺はβだ。Ωになりたいなんて思ったことは一度も……って、そういうことを言いたいんじゃなくて……」
ヤマブキがグッと唇を噛んだことに気づき、慌てて口を閉じた。
「おれだってΩになりたいなんて思ったことは一度もない。でもなったものは仕方がない。そういう遺伝子を持ってるってことも受け入れないとって思ってきた」
俺そっくりの目がキッと睨むように俺を見た。
「だからって、おれは超優秀なαを生むための道具じゃない。そうならなくて済むように、一人でも生きていけるように努力してる。αに見初められるためのΩなんてうんざりだとも思ってる。だからおれは自分らしいΩになろうと努力してるんだ」
「ヤマブキ、」
「でも、そうなるのは簡単じゃない。Ω高等院に通い始めて痛感した。そして強くなるためには、そうなるための準備ができる安全な場所が必要だってことも知った。だからキキョウをΩ高等院に誘ったんだ」
ベッドに腰掛ける俺の前にヤマブキが座った。ベッドに置いた手に触れながら俺を見上げる。
「初めてキキョウからΩの香りがしたとき、きっとおれと同じだと思った。いつ変わるかわからないけど絶対にΩになるって確信もした。それにキキョウは……もうαに目を付けられてる」
「……アゲハ先輩か」
「あの人はキキョウが特別なΩだってきっと気づいてる。おれより先に香りに気づくくらいだから、そこまでわかってるって思ったほうがいい。このままじゃキキョウは……だから詳しく説明しないまま検査に連れて行った。養護の先生にはおれと同じかもしれないって話もした」
ヤマブキの話を聞いたスレンダー美人の先生は、俺が特別な遺伝子を持っていることを前提に検査したのだろう。それで書類もこんなに早く届いたに違いない。
(騙されたっぽいのは腹が立つ。だけど……)
ヤマブキは本気で俺のことを心配している。βの俺よりΩのヤマブキのほうがαの脅威をよく知っているはずで、俺がΩになった後のことを真剣に考えてくれたんだろう。匂いがする前から何か察していたのかもしれない。だから第二次性検査に学校を休んでまで付いてきて、保健室での再検査を受けさせようと考えたのだ。
(暴走ばっかりしてる俺のこと、あれだけ怒ってたのに)
それなのに今回はヤマブキのほうが突っ走っている。まるで俺みたいに無茶をするヤマブキを見たのは初めてだった。
(やっぱり双子って性格も似るのかな)
短時間でいろんなことがありすぎたからか、正直どう受け止めればいいのかわからない。勝手なことをするヤマブキには腹が立ったし、両親には申し訳ない気持ちでいっぱいだ。学校のことや仲がいい友達のことを考えると、どうしようもなく泣きたい気持ちにもなる。
でも、これは全部ヤマブキも経験してきたことだ。ヤマブキはそれら全部を乗り越えようとしている。ヤマブキにできて俺にできないはずがない。
(そっか。Ωになるってことはヤマブキと同じってことか)
Ωになったらどうしようと不安だった数日前と違い、いまはそこまで不安じゃなかった。いや、不安は不安だが、それより「取り残されるわけじゃないんだ」とホッとする気持ちのほうが強い。別人になっていくヤマブキを見るたびに焦燥感のようなものを感じていたが、それがなくなり嘘みたいに気分がすっきりしている。
「いろいろごめん。謝っても許してもらえないかもしれないけど、でもおれは、」
「わかってるって。俺のこと、守ろうとしてくれたんだろ?」
「キキョウ」
「おまえ、俺のヒーローだもんな」
「え?」
「ちなみに俺はおまえのヒーローだけどな」
「……なに言ってんのさ」
床に座ったまま俺を見上げていたヤマブキの顔がクシャッと歪んだ。笑っているような、それでいて泣いているような顔をしている。
「俺、Ω高等院に転校する」
「……いいの?」
「いいも何も、ほとんどΩだって言われたうえに特別な遺伝子持ってんだぞって言われたら転校しないわけにはいかないだろ? それに俺、Ωのことほとんどわからないし。このままだとろくでもないαにいいようにされかねないだろうしな」
「そんな目に遭うの、俺だって嫌だからな」と続けると、ヤマブキが「おれも嫌だよ」と少しだけ笑った。
「父さんも母さんも、また驚くだろうなぁ」
「たぶんね。でもおれで免役できてるから意外と平気かもしれないよ」
「そうだといいんだけど」
「……あのさ、こんなときに何だけど、おれ、またキキョウと一緒の学校に行けるのけっこう嬉しいかもしれない」
「半年、いや七カ月ぶりか? そのくらいしか間空いてないのに随分久しぶりのような気がするなぁ」
「おれもそう思ってた」
「また一緒に学校行ったり勉強したりするってことかぁ。ま、そのほうが俺も安心だけどさ」
「どういう意味?」
「ほら、通学途中で痴漢にあっても学校でいじめ……はなかったみたいだけど、とにかく何かあっても俺が一緒なら安心だろ?」
「それ、おれのセリフだから」
顔を見合わせた俺たちは、どちらからともなく笑った。こうして俺は潜入ではなく正式にΩ高等院の制服を着ることになった。




