15
月曜日、俺は朝から大きな病院に来ていた。ここはヤマブキが第二次性の検査をしたところで、右側には父さんと母さんが、左側にはヤマブキが座っている。
「学校休んでまで来ることなかったのに」
「だって心配だから」
「病気じゃないんだから心配する必要ないだろ」
「そんなこと言って、キキョウだっておれが検査した日は学校休んだよね」
「あれは何か大きな病気なんじゃないかと思ったからだよ。いきなり紹介状持って大きな病院に行けなんて医者に言われたら誰だってびっくりするだろ?」
「それはそうかもしれないけど……」
「今回は最初から第二次性の検査だってわかってんだから心配する必要ないのに」
「病気じゃなくても心配なの」
小声で言い合っていると「花岸さん」と呼ぶ声がした。両親と一緒にヤマブキまで立ち上がったということは付いてくるつもりなんだろう。「心配しすぎだろ」とため息をつきながら、ヤマブキのときと同じように家族全員で診察室に入った。
「結論から言いますと、Ωになっているとは言いづらい状態ですね」
ヤマブキの検査も担当した医者が、そう言いながら検査結果の紙を見せてくれた。
「この数値はたしかに通常より高くなっていますが、Ωですとここやここの数値も上がるんです。でもキキョウくんは高くない。ただ、βにしては全体的にΩ寄りになっていることはたしかです」
「つまり、どういうことでしょうか」
父さんの質問に、医者は「確率的に、将来Ωになるかもしれないという状態です」と答えた。
「おれと同じになるってことですか?」
「もし完全なΩになれば、ヤマブキくんと同じ後天性Ωということになりますね」
「ならないかもしれないんですか?」
「βのままという可能性もあります。ただ、この数値を見る限りΩに変わる可能性のほうが高いでしょう」
「おれたち二人とも後天性Ωになるってことですか」
「世界的に見て後天性Ωはそれほど珍しくはありません。ただし、一卵性双生児がそろって後天性Ωになるのは珍しい。しかもヤマブキくんは遺伝子的にも珍しいΩです。もしキキョウくんがΩになれば、同じような遺伝子が見つかるかもしれません」
医者の言葉にヤマブキが眉間に皺を寄せた。両親は小さく息を吐き、困惑するように顔を見合わせている。
(いまはまだβだったとしても、いつかΩになるってことか)
いつかなんてわからないが、俺はきっとΩになるんだろう。なぜかそんな気がした。なりたいと思っていなくても、きっとなってしまうに違いない。
「定期的に検査を受けるとか、そういうのは必要ですか?」
「そのほうが安心するのであれば」
「どのくらいの間隔で検査を受ければいいですか?」
「とくに決まった目安はありませんが、気になるなら定期検診を設けてもいいですよ」
「わかりました。キキョウ、おれも一緒に来るから検査受けよう」
「わ、わかった」
いつになく熱心なヤマブキの様子に気圧された。俺が自分で確認すべきことをヤマブキが全部確認してくれる。両親は書類を見ながら「どうしようか」と何か相談していた。俺はといえばヤマブキの様子に呆気にとられながら、これから何度も会うことになるだろう医者を見た。
(この人、たぶんαだよな)
第二次性を専門に扱う病院は多くない。とくに後天性のΩやαを診る病院は少ないと聞いた。だから通常のΩやαを診る専門医が後天性の専門医を兼ねることが多いらしい。同じ第二次性でも後天性は違うだろうし、両方を診ることができる医者はきっと優秀なんだろう。
(この人、その中でも飛び抜けて優秀なαだ)
頭でそう思ったというより、そんな気がした。どうしてそう思ったのかはわからないが、そんなふうに思ったからか体の中がソワソワする。まるでαを意識しているみたいな自分に気分がどんよりした。
(Ωになったような気分だ)
これじゃアゲハ先輩の思ったとおりになってしまう。すまし顔で笑う先輩を思い出すとともにコザクラの顔が浮かんだ。
昨日のコザクラは少し変だった。俺がΩかもしれないと話していたときは驚いたような顔だったのに、アゲハ先輩もそのことを知っていると聞いた瞬間、明らかに表情が変わった。まるで得体の知れないものを見るような、そんな表情で俺を見ていたような気がする。
(あれって、あんまりいい表情じゃなかったよな)
コザクラがそんな表情をする理由もわかっている。俺がもしΩになってしまったら恋敵になると思っているに違いないからだ。
(アゲハ先輩はどうするつもりなんだろう)
先輩は俺がΩになることを望んでいる。というより出会ったときから確信していた。もし本当にΩになったら……そう考えるだけで背筋がぞわっとする。それよりも気分が重くなるのはコザクラのほうだった。
コザクラはいいやつだ。せっかく友達になれたのに、Ωになれば遠ざけられるかもしれない。もし俺たちがβ同士なら、たとえ喧嘩しても仲直りすることができただろう。でもΩ同士だとどうなんだろうか。そもそも俺がβのままなら何も起きないのにと思うと切なくなってきた。
「Ωっていろいろ大変だな」
診察室を出た俺は、思わずそんなことを口にしていた。
「急にどうしたの?」
「ちょっとそう思っただけだよ」
一瞬きょとんとしたヤマブキが、「大丈夫だよ」となぜか胸を張る。
「おれがいるでしょ。少しでも体が変だと思ったら言ってよ? 隠し事なんてしないでよね?」
「わかってるって」
「ほんとかなぁ」
疑っているヤマブキに「ちゃんと言うって」と言いながら両親の背中を見た。まさか俺までΩになるなんて想像していなかっただろう。ヤマブキだけでも大変だろうに、俺までΩになったらと思うと申し訳ない気持ちになる。
そんな俺の気持ちに気づいたのか、ヤマブキが「Ωになってもキキョウのせいじゃないからね」と囁いた。
「わかってるけどさ」
「おれだってΩになりたくてなったわけじゃないし」
「……そうだよな」
「でも、なってしまったものはしょうがない。だからね、おれはΩになった自分を受け入れることにしたんだ。それにこれから先ずっとΩなんだから、Ωとして人生楽しまないともったいないし」
予想外の言葉に思わず隣を見た。俺と同じ顔なのに、やけにかっこよく見える。前を向いている茶色の目もキリッとしているように見えた。
「ヤマブキ、かっこいい」
「前からだよ」
「そうだったっけ?」
「キキョウが知らなかっただけでしょ」
「そんなことないだろ。昔は泣き虫だったくせに。それなのにいつの間に強くなってたんだろうなぁ」
「泣き虫だったのは保育園の頃の話! それに、これからはおれがキキョウを守ってやるんだからね」
「なに言ってんだよ」
笑った俺にヤマブキが「ほんとだよ」と真面目な顔をした。
「キキョウはおれの大事な兄さんなんだから」
「……おう」
照れくさくて、ついそっぽを向いてしまった。そんな俺の手をぎゅっと握ったヤマブキに、俺は内心「ありがとな」と胸を熱くした。
翌日、俺はいつもどおり学校に行った。もちろんΩ高等院じゃなく元々通っている学校にだ。たとえΩになる可能性があったとしても、いまの俺はβだ。βとしての生活がある。
(っていうか、現実逃避に近いかもな)
俺はΩになることを百パーセント受け入れることができずにいた。それは当然のことで、これまでも、これから先もずっとβだと思っていたんだから仕方がない。
昨夜も結局あれこれ考えてあまり眠れなかった。考えすぎて気分が重くなるくらいなら普段どおりの生活を送ったほうがいい。そう考えて、心配する両親に「大丈夫」と言って家を出た。
教室に入ると、仲がいい連中が「なんだよ、一週間休むんじゃなかったのかよ」と声をかけてきた。いつもと変わらない雰囲気にホッとするのと同時に「いつまでこうしてられるのかな」と思うと胸がギュッとなる。それをごまかすように「一週間も必要なかったんだよ」と答えるとみんなが笑った。
「心配性のキキョウが短期間で諦めるなんて珍しいな」
「重度のブラコンがたった数日で納得するなんて信じられない」
「きっとすぐにまた何かするんじゃないか?」
「だよなぁ?」
「しねぇよ」
俺の返事が予想外だったのか、友人らがきょとんとした顔をする。
「何かあったのか?」
「何もねぇよ」
「それにしては諦めがいいっていうか」
「いつものキキョウらしくないよな?」
「いつもなら『もう一回行ってくる!』くらい言いそうなのになぁ」
「重度のブラコンなのになぁ」
「もしかして、向こうにブラコンの気持ち置いてきたとか?」
「ブラコンブラコンうるせぇぞ」
ギロッと睨むと「だってなぁ」と全員が不思議そうな顔で俺を見た。
「そうだ、金曜日に期末試験の日程出たぞ。ほら」
手渡されたプリントには二週間後に始まる試験日程が書かれている。再来週の月曜から水曜まで、びっしりと全教科の名前が並んでいた。
不意に「去年の今頃はヤマブキと一緒に勉強してたっけ」なんてことを思い出した。最後に一緒に試験勉強をしたのは年末で、年が明けてすぐにヤマブキはΩ高等院に転校した。向こうの試験日程は知らないが、もう試験は終わったんだろうか。それともΩ高等院には期末試験なんてないんだろうか。
(もし俺がいまΩになったら、俺もΩ高等院に通うことになるのかな)
それならまたヤマブキと一緒に勉強できる、なんてことを考えてしまった自分に驚いた。何を弱気になっているんだと笑いたい気持ちと、同じくらい情けない気持ちで奥歯をグッと噛み締める。
「ノート、コピーするから貸して」
「そう言うと思って、ジャーン! コピーしておきました~」
「気が利くな」
「だろ? ヤマブキのために必死になってるお兄ちゃんを労ろうと思ってさぁ」
「コピー機がある図書室は冷房が効いてるから、そっちが目当てだろ」
「あはは、ばれたか」
俺の言葉に友人たちがいつもどおりの笑顔を浮かべる。それに笑い返しながらも、頭の中は「もしΩになったら」ということでいっぱいだった。
Ωになれば、きっとこいつらといままでどおり過ごすことはできない。ヤマブキがΩになったと聞いたとき、みんなの表情が一瞬変わったのを俺は見逃さなかった。
(そりゃあ友達が突然Ωになったら、聞いたほうもどう接していいか困るよな)
だからΩ高等院への転校はヤマブキにとってよかったんだと思う。
(じゃあ、俺がいまΩになったら……?)
たとえば来年、突然Ωになったらどうなるんだろう。来年は受験生だ。今年出した進路表には去年書いたのと同じ大学と学部を記入した。でも、Ωになったら進路を変える必要があるかもしれない。Ωになっても大学に通うのを止められたりはしないだろうが、Ωになって間もない俺に普通の学校生活が送れるか自信がなかった。
ヤマブキの発情を思い出すとますますそう感じた。もしαがいる前であんなふうになったら、助けてくれる人が誰もいなかったら、そう思うだけで気持ちがズンと重くなる。
(こんなんで俺、大丈夫なのかな)
授業の話なんてまったく耳に入らなかった。Ωになったらどうなるだろう、そんなことばかり考えているうちに一日が終わってしまった。「どっか寄ってこうぜ」と誘ってくれた友人らに「また今度な」と断った俺は、不安な気持ちを抱えたまま家路に就いた。




