姉との再会(さいかい)、姪(めい)との対峙(たいじ)
姉は夫が建てた家に、今も娘と共に住み続けている。住宅ローンが保険で賄われたのは不幸中の幸いだった。そして更に幸いだったのは、私と姉の両親が裕福だったことである。お陰で姉は再婚の必要に迫られることもなく、平穏に暮らしている。
姉の家は、私の実家から電車で通える距離で、姉の子どもが幼かった頃は私や両親が何かと世話を焼きに行ったものだ。まあ私は当時、十代だったので大した役には立たなかったが。そして私が大学に進学する頃には、もう姉の家に通うことも少なくなっていった。
その私が久しぶりに姉の住まいを訪れたのは、電話をもらった翌日の朝方である。合鍵は何年も前から持っていた。ビジネスカジュアルな服に身を包んだ姉が出迎えてくれて、その姿は変わらず美しい。いつか再婚するのだろうかと、つまらない考えが浮かんだ。
「姉さんの家って、いつも中は綺麗に片づいてるわね。私なんか、独りなのに実家は散らかしっぱなしよ。共同生活に向いてないのかな、私」
「逆でしょ、たぶん。娘と二人だから、こっちの家は手分けをして片づけられるのよ。実家に独りで留守をしていたら、私だって堕落した生活をしていたと思うわ」
「どうかなぁ。ともかく私の方は、自堕落な独身生活を謳歌させてもらってますとも」
午前九時近く、私たち姉妹はそう言って家の中で笑い合った。私の初恋相手は、姉だったと思う。ひょっとしたら今も、その初恋を忘れられずに私は生きているのではないか。
「電話やオンラインでは私たちって、良くお喋りしてるけど。実際に会うと、ますます話が弾むわね。慌ただしくて、もう出張に行かなきゃいけないのが残念なくらいよ。今も自炊はサボってるの? 駄目よ、栄養には気を配らないと。昼夜逆転生活も、ほどほどにね」
「もう、姉さんったら。いいから早く行って。それで私の姪っ子ちゃんは、部屋の中なの?」
会うのは数年ぶりだが、私が姉の家を訪れたのに、姪は出迎えに来てくれる気配がない。人見知りの猫のようで、これが電話で姉が言っていた『精神的に不安定』という状態なのだろうか。このままでは姉の留守中、数日の間、姪は部屋から出ずに飢え死にするのではと思った。それは困る。
「ええ、自室に閉じこもってるみたいね。ま、適当に、外にでも連れ出してあげて。扱い方のアドバイスとしては、娘の好みに合わせようとしないでね。自信を持って、貴女の好きなように、貴女の好きな場所へ連れまわしてあげてほしいわ。それが一番、娘も喜ぶから」
じゃあ行ってくる、と姉は出ていってしまった。私と姪の、二人きり生活の始まりだ。姉とも姪とも私は十才の年齢差があって、さて姪っ子ちゃんと、どう接したものか。ちょっと考えたものの、結局、出たとこ勝負しかないと思った。
姪がどんな性格なのかも私には分からないし(部屋から出てこない辺り、今でも恥ずかしがり屋なんだろうとは思う)、年齢差がありすぎる。小細工で何とかしようとしても無駄だろう。私は階段を上がって二階の、姪がいる部屋の前で立ち止まった。
「姪っ子ちゃん、叔母さんが来たわよ。これから数日、よろしくね。ちょっと顔を見たいんだけど、部屋に入っていいかしら?」
ドア越しに声を掛けてみる。ちょっと強引かもしれないけど、私は姪の部屋を見てみたかった。姉さんの子どもだから、部屋が散らかっているということはないだろう。姪の性格が部屋の様子から分かるかもしれない、という思いつきが半分で。後の半分は、姪の中に、どれだけ姉の遺伝子が入っているのかを確認したかった。
美しい姉の遺伝子に、男性の遺伝子が加わって、どのような生命が誕生するのか。私から見れば完璧な姉が、男性と愛し合って、生まれた姪とはどのような存在なのか。男性を愛せない私にすれば、全てが神秘的で、手が届かない存在だからこそ興味深かったのだ。
姪の部屋が散らかっているとは思わないけど、部屋の何処かに、父親の影響があったりするのだろうか。姉の夫について知りたい訳ではなくて、むしろ姪を通して、私は姉の深い部分を知りたかったのだと思う。他人には理解されないだろう感覚で、私にも良くは分からない。
「……ど、どうぞ……。入ってきてください……」
鈴のような可愛らしい声が、部屋の中から聞こえてきた。へー、こんな声だったんだと私は驚く。それくらい私は姪の声を聴いた覚えがない。小さな頃の声は聴いたような気がするのだが。姉の声は少し低くて、私は少し高い。そして姪っ子ちゃんの声は私より高かった。
「許可してくれて、ありがとう。じゃ、入るわね」
吸血鬼は許可をもらわないと、家や寝室に入れないという話を何故か思い出す。何を考えているのか、私は。姉の子どもに手を出す気なんか無いので、雑念を払ってドアを開けた。
「……久しぶりです、叔母さん」
姪の部屋は、室内には勉強机があって、ベッドがある。ホテルの内装みたいに実用性が重視された部屋で、これは彼女の母親、つまり私の姉の影響だろう。姉は昔から大人びていて、実家にいた頃の部屋も、正にこんな感じだったと私は思い出す。
しかし部屋の様子よりも何よりも、私は姪の姿に目を奪われた。私より十才、下だから今は二十才だ。私の姉が結婚したときの年齢であり、それなのに数年前、私が見た高校生時代の姿と殆ど変わらない。
私の姉とは真逆で、大人っぽさが無いのだ。それが欠点ではなく、むしろ美少女が大人への階段を上っているような、妖しい美しさがあった。そんな姪に、私は声を掛ける。
「……久しぶりね、姪っ子ちゃん……ところで、その格好は何?」
姪はドレス姿で、仮に彼女が五才だったら、『ああ、今日はピアノの発表会なのかな』などと私は思ったことだろう。袖が短くて装飾は少ないドレスだけれど、二十才の子が着るには、どうにもファッションが幼すぎる。これが彼女の普段着なのだろうか?
「叔母さんと、一緒に出かけたかったんです。これから、私を連れ出してください」
姪はベッドに腰かけていて、上目遣いに、そう要求してくる。強盗やテロリストに遭ったような感覚があって、むしろ私は冷静になった。逆らってはいけない。こういう状況では、決して相手の気分を害してはいけないのである。私は命が惜しかったし、何だか張りつめている姪の気持ちも落ち着かせてあげたかった。
「ええ、いいわよ。ところで朝食は摂ったの? 顔が青白く見えるんだけど」
「まだです。叔母さんと一緒に食べたかったから。お店で食べたいんですけど、甘えていいですか?」
「もちろんよ。姉さんから貴女の世話を頼まれているもの。食事の後は、街でショッピングと行きましょうか。可愛いドレスを着てるんだから、外の世界にお披露目しないとね」
ドレスを褒められたからか、やや緊張ぎみだった姪の顔が嬉しそうに綻ぶ。ベッドに腰かけている彼女の手を取って、立ち上がらせると、姪の背は私より少し低かった。ああ、小柄なんだと思うと、先ほどからの圧迫感が消えたようで私は内心で安堵する。ちなみに姉は私よりも背が高い。
「これから数日、お世話になります。失礼もあるかと思いますが、どうか怒らないでください」
姪が私に頭を下げる。うん、彼女は悪い子ではないのだ。何でドレスなのかは気になるけれど、今は春休みの時期である。この格好で大学に行く訳でもあるまい。この季節になると毎年、春の風に吹かれて全裸で外を歩く人間も出るという。春先はそういう時期で、それに比べればドレス姿など何の問題もない。
「怒らない、怒らない。親と二人暮らしだと、息が詰まることもあるんでしょ。これから叔母さんと、羽目を外して過ごしましょうよ」