唄と夢恵、そして地下で舞うドクター
陽が登り始めると、唄は外に出る支度を始めた。寝不足か、目が少し赤くなっている。
「モンファさん、いきましょうか」
既に目を覚ましている夢恵。両腕は縄で縛られている。
「累、あの子を頼みますよ」
ベッドの上で寝ている累の耳元にささやいて、唄は夢恵と共に部屋を出た。
「なぜ殺さない?」
夢恵の目には、疑惑と不安が入り交じっている。
「まだ殺す必要がないと判断しただけです。もし、必要性を感じれば、殺しますよ」
相変わらず、穏やかな口調の唄。
「なぜあの二人をおいていった?」
「あの子を、これ以上危険な状況に置きたくないのですよ。僕といれば、いつか殺されかねない。かかってくる全員が全員、あなたみたいな暗殺者ではないでしょうし」
夢恵はそれを聞いて、唄を睨み付けた。
二人はホテル街を出て、商店街を歩いている。朝から、市場が開かれており、商店街は賑やかである。
「これからどうする」
「あなたが、彼女を殺し損ねたことはあなたの雇い主にはもう知れてるはず。となると、あなたを狙った刺客が放たれるんですよ。だから、それらを撒く、もしくは始末しなければいけないです。こんな、人通りの多いところは早く抜けなければ、他の人に迷惑をかけかねない。かと言って、人通りの少ないところにいけば、すぐさま殺されるかもしれないですね。現に、後ろのサングラスの二人、銃を持ってるかもしれないです」
夢恵と唄は、気づかれない程度に首を回し、背後を確認した。そこには、黒いスーツとサングラスを身につけた二人組が、様子をうかがいながらつけてきている。
「ついてきてくださいね」
唄は歩く速度を上げ、十字路で右に曲がった。その先には、低級住宅地がある。
サングラスの二人も速度を上げ、追いかけて曲がる。すると、目の前に唄はいた。
「なかなか腕利きの悪い人ばかりを雇っているようですね」
二人の首へ、簪が刺さっていく。一つは桜の形をした唄の簪、もう一つは竜の形をした、夢恵の簪である。
「お前は、かんざしを使うのか」
「そうですよ」
死体を目立たないところへ転がす唄。
「なぜ、捕まらない」
「死体など、毎日何体も見つるような、治安の悪い場所でしか、基本殺さないからですよ。あなたは、彼女をホテルで殺そうとしていましたが、そんなことを繰り返していれば、いつかは足がつきますよ」
「うるさい」
張は舌打ちをする。唄は。周りを見渡して首をかしげた。
「もう少し、尾行してきていた気がするのですがね……」
「撒いたのか?」
「そうだとすれば、あなたの雇い主は本当にケチな人間だってことになりますね。それとも恵まれていないのか」
「バカにしすぎだ。あの人のことをバカにするな」
張は涙目になりながら声をあげた。
「あなたは分からないですね。なぜ、怒りながら泣いているのです?いずれにせよ、一つ確かなのは、その人物はもうあなたを殺そうとしているのですよ」
「そんなことない。何かの間違いだ」
「そんなに泣いたって仕方がない……」
唄の体はふらついた。寝不足のせいだろうか。いや、後ろから刺されたのだ。
「逃げなさい」
咄嗟に、袂から二本のナイフを取り出し、一つを夢恵に渡す唄。ためらいを僅かに見せた夢恵だが、唄の圧に押され、今向かっていた方へとまっすぐ走る。
血の出ている脇腹を押さえながら、背後にいた刺客の足に残りのナイフの刃先をかすめる。よろけた刺客の足を引っ張り、転けさせる。そして止めをさすと、夢恵と同じ方向へ走るが、途中で左へと曲がった。すでに、人通りの少ない低級住宅地に入っている。その後ろを、また一人の男が追いかける。先程までの三人と同じような格好をしている。
「あれで最後だと嬉しいのですが……」
老人が一人、路上に紙を敷いて寝ている。唄がその前を通るときに目を覚まし、面白そうに見物している。スーツの男は一定の距離を置きながら、唄に銃口を向けている。
「それにしても、彼らに命令されてるのはどういうものなのでしょう。夢恵さんは標的になっていないのでしょうか……」
唄の体力は、大分限界がきていた。しかし、一つの勝算があった。狙いを定められないように、よろけながら歩き、老人が目を覚ましたことに感謝をしていた。
「おい、おい、聞いてるのか!その銃を見せろ。見せろってんだ。聞こえねえのか?」
老人は目の前を通る刺客に声をかける。老人のしつこさに、刺客は老人に銃口を向けた。
「だま……」
刺客の横腹にナイフの刃が沈んでいく。さらに、首に簪が刺される。スーツ男は手から銃が落とし、倒れた。
「はぁ、ありがとうございます」
老人に手を差しのべる唄。
「あんたには借りがあるからな。って大丈夫か?」
限界が来たのか、唄は気を失った。それと同時にスーツの男が少しずつ動きだし、手探りで落とした銃を探し始めた。唄は急所に刺すことができなかったようだ。
「おいおい、大変だ」
老人は慌てている。
刺客は銃に手を触れた。最後の気力を振り絞って銃を握りしめ、横に倒れる唄に目掛けて撃とうとする。が、その銃はだれかにけりとばされた。目線をあげると、そこには夢恵がいた。
「おい、嬢ちゃんはどっちの味方だ?」
「わからない。が、今はこいつを助ける」
夢恵は唄を指差した。そして、スーツ男に刺さったナイフと簪を引き抜く。刺客は完全に息を引き取った。
「ここで見たことは誰にも話さないか?」
「ああ、もちろんさ。その和服野郎には命の借りがある。それよりも、早く去りな」
夢恵は、唄に応急処置を施す。そして、唄の腕を自分の肩に回し、そこを離れた。
少し歩いていると、足元から誰かの声が聞こえた。
「おい、ウタちゃんじゃないの。大丈夫?」
白い肌に蝶のタトゥーをいれた顔の人物が、地下に続く階段の先にある扉から、顔を覗かせている。
「怪我をしている」
「あなた、だぁれ?とりあえず、ウタちゃんを下ろして。両手をあげて待ってて」
その人物は、胸が見えるほどボタンを開けた白シャツに、ジーンズのパンツという格好をしている。胸に膨らみはないが、少し高めの声をしている。
「お前は、ウタを知っているのか」
「知っているわよ。ねぇ、両手を上に挙げてよ」
「信用できない」
唄を担いだ状態で、夢恵は身構えている。
「あら、別にいいわよ。それでウタちゃんが死んでもいいなら。アタシは悲しいけどね。アタシ、一応医者よ。免許ないけど。そのまま放っておいたら死んじゃうかもね」
素早くまばたきをしながら、夢恵の目を見つめている。
「わかった」
唄を下ろし、持ってる武器をすべて地面におき、両手を上に挙げる夢恵。
「そのままでいてね」
その謎の人物は階段を登ってくると、まず唄の背中と膝裏に腕をまわし、抱き抱えて下へ降りた。ハイヒールを履いており、履いた状態では唄よりも、身長が高く見える。
「まだそのままよ。寝かしてくるから」
中に消え、また戻ってくると、次は武器をすべて持って階段を降りていく。
「あなたもついてきなさい」
夢恵は警戒心を抱きながらも、ついていく。
中に入ると、そこは少し暗く狭い部屋だった。壁一面には虫の標本が並んでいる。
「アタシは舞よ。あなたは?」
「夢恵。ここは?」
「アタシの家、そして施術場でもあるわ。そうだ、あなたもタトゥーいれる?」
「いらない」
夢恵は部屋中を見回した。
部屋にあるのは、ソファーが三つに丸テーブルが一つ。他は怪しげな道具と、壁にある標本。まるで生活感がない。
「アタシの家だって言ったから驚いてるのでしょ?嘘よ」
唄は三つのうちの一つのソファに寝かされている。
「ひどい傷ね。あなたがしたんじゃないでしょうね?」
「ちがう。やられた」
ハサミや糸などを取り出してくる舞。
「痛々しいから見ない方がいいわよ。それでは、ドクター舞、手術を始めます」
素早い手つきで消毒、縫合を行う舞。
「終わったわ」
しばらくして、舞は道具をすべておいた。
「あとは、目覚めるのを待つだけよ。それにしても、この子、寝不足もたまってたのね」
唄の頭を撫でる舞。
「助かったのか」
手術中、標本を眺めていた夢恵は心配そうにしている。
「大丈夫よ。ねえ、あなた、何者なの?この子の敵?味方?」
「わからない」
「わからないね……あなた、中華の地の服装をした暗殺者って有名な人じゃない?想像してたより、可愛い少女だったのね」
「さわるな」
舞は夢恵の頭を撫でようとした。が、夢恵はその手を払いのけた。
「気の強い子ね。ねえ、あなたを信用するからさ、ウタちゃんの様子見といてね。アタシ買い物にいかなきゃいけないの」
舞は部屋をでた。
「おいていかれた。ただ、復讐しようとしていただけなのに。父さん、母さん、どうしたらいいんだ……」
夢恵は空いてるソファに座り込み、泣いたまま眠ってしまった。