訪問者
「楊さんじゃない」
唄へ注がれていたカスミの視線は、夢恵の方へと向けられる。静かに語っていた唄や、標本を眺めていた累も夢恵に注目する。
「どういうことです?」
「知ってる楊さんじゃない…」
夢恵は誰とも目を合わせないように、視線を下げている。
「同じ育女でも子によって育て方が違ったのか」
「はぐくめ?」
累の言葉にカスミは首をかしげる。
「楊みたいな人間のことだよ。孤児を引き取って暗殺者として育てるんだ。世界各地にそういうことを代々やってる金持ち一族がいるって噂だ」
「知らなかった……」
「それはそうだろ。大体の人間は知らずに生きて死ぬようなことさ」
「モンファちゃんも、ウタさんみたいに知らない間に暗殺者として育てられたの?」
夢恵は顔を挙げ、唄の方を見た。
「ちがう。最初から知っていた。復讐のために言うことを聞いた」
唄を見る夢恵の顔は、武器を持っていれば今にも飛びかかりそうなほどに、敵意を表している。
「あら、モンファちゃん。また怖い顔してるわね」
そこに舞が帰ってきた。
「早いな」
「明日の朝までには用意してもらえるわ。四人は今晩、ここで泊まるのかしら?狭いけどアタシは勝手にしてもらっていいわよ。アタシはトモダチのとこに行ってくるから。ここに食料置いておくわよ」
舞は雨に濡れた袋をテーブルに置く。
「もう行くのか?」
「ルイちゃんもしかして、寂しいの?」
累の背後へ来て腕と尻をさわる舞。その手を払い除ける累。
「そんなわけないだろ。あんたが来ると会話の調子が狂いだす」
「アタシの部屋なのにそんなこと言わないでよ」
そういって体をくねらせながらカスミの方へ寄り、耳元に顔を近づける。
「ピンチの時こそ、男の心をつかむチャンスよ」
それを聞いてカスミはまた耳を赤くする。
「あなた顔に出やすいタイプなのね。かわいい」
カスミの肩をポンポンと叩き、出口へ向かう。途中、夢恵の後ろを通るが絡むことはなかった。
「それじゃあ、また明日ね。ちゃんとチケットは持ってきてあげるから安心してね」
濡れた傘を手に取り、外へ出ていった。
「本当になに考えてるのかわからないやつだな」
累は壁の方を向き、三人には背を向けている。
「でも、助けてもらっているのですから。感謝しなくてはいけませんよ。そして、モンファさん。僕に対して敵対心を向けるのは構いません。楊さんのことも、今はなにもわかりません。ただ、今僕を殺しても真相にはたどり受けないと思いますよ」
唄はなだめるような目付きで夢恵を見ている。
「そんなのわかってる」
唇を噛みしめる夢恵。
「それならいいんで……」
「カスミちゃん、ソファの後ろにかくれろ」
累の言葉と同時に、部屋の出口を誰かがノックした。カスミは慌てて累の命令通りに動く。唄は簪を右手に用意して構える。
「誰でしょうか」
「さあな」
累は手元にあった舞の治療道具を手に取った。夢恵は体勢を変えることなく、ソファに座っている。
「マイちゃん、いないの? それじゃあ、そこにいるのは……もしかして!」
猫なで声で誰かがドアの外から叫んでいた女性の、ノックする力が大きくなる。
「マイちゃん、今助けるからね!」
無理矢理ドアをこじ開けようとしている。
「どうする?」
「仕方ないですね」
唄はドアに近づき鍵を開ける。ドアを思いきり開けたのは、黄色の髪に、黄色のドレスを着た女性だ。唄と累は女性に部屋のなかを見られないように立つ。
「あら、ウタちゃんにルイくん。マイは?」
「舞さんは自宅の方に行ってます。僕たちは今晩、ここを借りてるんです」
女性を押して自分が外に出てドアを閉める唄。
「そうなの。どうしてなかを見せてくれないのよ」
「舞さんに見せないように頼まれてるんですよ」
「あら、そう。それなら仕方ないわね。でも本当に二人だけかしら。女の子連れ込んでんじゃないの?」
疑い深い目を向ける女性。雨で髪は少し濡れているようだ。
「本当ですよ。とりあえず、ここには舞さんはいませんから」
「わかったわ。帰るわ、残念だわ」
女性が階段を上っていくのを確認して、唄は部屋に戻った。
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街灯の少ない下級住宅地の夜は暗い。
すでに雨は上がっているが水溜まりがあちこちにまだある。
「ちゃんと準備できたかしら?」
舞は布で顔を覆った小柄な人物に尋ねた。
「用意しましたよ。約束通り、五枚です」
舞はそれを受け取り、金を渡す。
「確かに受けとりました」
「それじゃあ、ありがとうね」
二人は特に挨拶もせずに別々の方へと消えていった。




