唄の過去
物心ついた頃には唄は、西京の家に住んでいた。とは言っても、自分が西京にいるということを、その頃の唄はまだ理解していなかった。
幼い唄に与えられていたのは、その体には大きすぎるぐらいの広い部屋だった。大人一人が余裕をもって寝れる大きなベッド。広い机にたくさんの書。その部屋で唄は、運ばれてくる食事を取り、やって来る怪しい先生に勉学を習った。また、時々部屋から連れ出され、長い廊下を渡って、庭に連れていかれた。そこで、体術を教えられ、体力を鍛えさせられた。
「あなたは目の前でお父さんとお母さんを殺されてしまったかわいそうな子。でも、あなたはまだ小さかった。覚えてないのは仕方ないわ」
若くて品のある、美しい女性は毎日のように唄の部屋にやって来た。丈の長いスカートに、地に着きそうなほど垂れた袖のある、赤色ベースの着物をよく着ていた。
「あなたはわたしに助けられたのよ」
女性はよく、夜に本を読み聞かせた。唄はそれが好きだった。昼間に読まされるような難しい話ではなく、童話ばかりだった。優しい声に耳を傾けながら、眠りに落ちていくのは至福だった。
唄は毎日を楽しんでいた。両親の記憶はまるでなかった。このときはまだ本当に何も思い出していなかった。
「あなたには才能がある」
体術を学んでいるとき、女性はよく見物に来た。どういう才能なのか、唄にはわからなかった。それでも、誉められることは嬉しくて心地よかった。だからより一層、励んだ。
ある頃から、学問よりも体術をメインに教えられた。より厳しい稽古をされた。気配の消し方、人の気配の感じ方、急所のつき方など、暗殺者にとって必須の能力を鍛えられた。
それから二年して、唄は初めて仕事を命じられた。内容はネズミの始末。
「厨房にいる盗人をどうにかしてほしいのよ。これまで鍛えてきた成果を見せてくれる?」
鼠は害だと教わっていた唄は、女性の頼みを引き受けた。
夜中に厨房へと一人で入った唄。カサコソと、物音の聞こえる方へと忍び寄る。鼠をどうやって退治するかを考えていた唄の目に入ったのは、見知らぬ男が食品を漁っている姿だった。
「え?」
思わず声を出してしまった唄。振り替える男。
「なんだ、このくそガキ。見たことねぇな。ここで見たことは誰にも言うなよ」
男は片手に包丁、もう片手に盗った食品を持って厨房から出ようとする。唄は、怯えていた。もう、鼠どころではなかった。
「じゃあな、くそガキ。誰にも言うなよ。って見逃してもらえると思ったか?絶対に誰かに言うだろ。殺してやる」
男は振り向き包丁で切りかかろうとする。
怖くなった唄は、それを避けて気づけば男の背後にたっていた。咄嗟に髪に留めていた簪を手に握っている。
「なんだてめえ、やんのか?」
男は腕を後ろに振り回す。しかし、唄は姿勢を低くしてそれを避ける。
「このやろう!」
男は、両手に包丁を構えなおして思いきり振り下ろす。その両腕の間に入りこみ、唄は胸の辺りに簪を突き刺す。そして、すぐさま姿勢を低くして男から離れる。
男は叫びながら倒れる。
唄は、その死体をしばらく眺めていた。すると、あの女性がやって来る。
「よくやってくれたわ」
その声を聞き、ようやく唄は自分が一人の男を殺したことに気づく。自分の手には血がついている。
「ごめんなさい」
男に向かって謝る唄。
「謝る必要などない。そいつはここ最近、入ったばかりの雇われ。それが毎晩、厨房から食事を盗み出してると噂があったのよ」
その夜、唄は自分がこれからどう生きていかなければならないのかを聞かされた。女性は楊と名乗った。それまでは、「お母さん」もしくは「お姉さん」と呼ぶように言われていた。しかし、唄はその呼び名は家族に用いるものだと何かの書で読んで、ずっと呼ぶことはなかった。
唄はこれから、暗殺者として生きるか、死ぬかのどちらかしかないと言われた。
唄は刺客の道をえらんだ。標的は楊の家周りの悪人が多かった。まだ唄は十五にも満たないであろうとき。そんな子供でも、命を奪うことが罪であることは知っていた。しかし、そこから逃れる術を見つけられるほど頭は回らなかった。
それから五年ほどして、唄は世界各地の仕事を引き受けるようになり始めた。
「やはり、お前には才能がある」
唄が初めて中華の地をでるとき、楊は唄を見上げていた。唄の腕は徐々に有名となり、指名されるようにさえなった。
それからしばらくして、和の地での仕事を引き受けたときだった。和歌に出会い、独学した。吟遊詩人を名乗り始めたのも、青と白の市松模様の和服を着始めたのも、このときからだった。
唄が楊のもとを離れてから約八年後、唄はロックストーンでの初めての仕事を引き受けた。そこで、累や舞に出会った。




