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第5話

2037年4月、停戦期間の延長を連合政府が

平等党政府に申し入れたが、平等軍は政府の承認なしに拒否し、

5月11日に平等軍は北関東に「調査部隊」として侵入、

その先遣隊は東京城に入城、その後平等政府統治下での住民帰還が進められた。

連合軍はこれを受けて13日に相模沖に「調査艦隊」を派遣した所、

富士山の山体崩壊と愛鷹山・箱根山の噴火前兆を確認しつつ、南千葉に上陸した。

20日、平等軍は山手線内側に高層ビルを支柱とする巨大屋根の建設を開始し、

調査部隊の本部を大宮に設置した。

6月6日、東海・東南海・南海地震が連動地震として発生し、

震度7の揺れと津波が太平洋岸を襲い、

更に愛鷹山・箱根山が相次いで噴火し、

平等党政府は巨大屋根の建設を中止させ、両政府は松本にて講和した。

しかし平等党政府代表の星野氏が帰路にて9日、

浅間山の噴火に巻き込まれ死亡し、使節団も全滅した為、

停戦は事実上無効となりその報も伝わらず、

平等軍は長野に侵攻してからこの報を知ることとなった。

12日、連合政府と平等党政府は再び停戦し、

新潟・福島以北を平等党政府、富山・長野・山梨・静岡以西を連合政府、

他7県は共同管理とし、停戦期間を10ヶ年とした。

15日、平等党第2代書記長の座を巡り、

青森県の有力者で停戦破棄派の工藤浩太と

前書記長の息子で内政安定派の星野政信が対決し、

平等軍軍部・参謀らを味方につけた工藤氏が

クーデターを起こし、第2代書記長となった。

翌16日、星野一家は首都の米沢から新潟の小千谷へ逃れたが、

これ以降、星野氏に賛同する人々は次々と処刑された。

平等軍は20日、星野氏の佐渡逃亡説を信じ、第2次佐渡侵攻を決行した。

佐渡島民は突然の来襲にも負けず、先遣隊を全滅させたが、

国中平野を占拠され、南北二手に分かれてゲリラ戦を展開する結果となった。

また、国中平野に残った人々は平等軍による強制労働の後、虐殺された。

24日、星野氏は自分が正当な第2代書記長だとして即時停戦を求めて長岡で挙兵し、

新潟・福島などから20万3000人が集まり、上・中越を占拠して、

新潟を首都とする新潟平等党を結成し、

各行政施設などを支配下に置き、新潟政府と呼ばれるようになった。

対して平等党政府は29日、東北各県から34万2000人を徴兵し、新潟を目指した。

新潟政府は数的劣勢を撥ね返すため、男女皆兵を掲げ更に集結、

最終的には新潟平等軍の総数は30万6000人となった。

連合政府は平等軍の佐渡侵攻と虐殺に対して援軍を送り、

佐渡島から平等軍を駆逐、佐渡島民の生存権を確保した。

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