第2話
2035年1月、連合軍は運行休止となった万葉線の軌道上を
装甲で覆った車輌を用いて富山市へ向かったが、
神通川から富山市中へと通ずる橋梁が切断されていた為、
針路変更して富山市の南方、つまり県中部に位置する大沢野周辺に前線基地を築いたが、
戦線は膠着し、一進一退の戦が続いた為、連合軍は富山市街地に、
艦砲射撃の予告と2月までの民間人の避難が必要の趣旨のビラを撒き、
2月初旬、連合艦隊は神通川東岸の壁面に砲撃を開始した。
これに恐れ戦いた平等軍北陸部は富山県域での停戦を提案し、
連合軍はこれを受理した。
その結果、常願寺川までは連合領域とし、
神通川-黒部川地域を非武装地帯とした。
3月、連合軍は岐阜県域木曽川以南に残る平等軍の
駆逐作戦の一環として、土岐南西部に位置する多治見基地の攻略、
更に長野への退路である中津川の占拠を決行した為、
平等軍は土岐を密かに脱出し、愛知県へと撤退した。
3月10日、連合軍は土岐を無血占拠したが、
平等軍による突然の空爆で大損害を被った。
これには内外から批判が殺到し、以後空爆は行われなかった。
15日、連合軍は長野県の攻略を開始した。
中津川から恵那山トンネルを通り、飯田まで進軍し、
長野県南部の住民の岐阜県への避難を急いだ。
それを聞きつけて平等軍は26日に諏訪に駐屯基地を設けた。
翌27日これまでは両政府の合意の下、名古屋検問を通しての
運行が続けられていた東海道新幹線を平等党政府は一方的に停止し、
東側列車を豊橋止まりとし、西側列車を清洲で塞き止めた。
この対応に対して、連合軍は長野県を駒ヶ根、伊那、塩尻と北上し、
28日には松本に侵攻、連合占領域内の市民を次々と岐阜県域へ避難させた。
30日、諏訪湖西岸の岡谷まで進軍した連合軍は、
東部の諏訪駐屯地にいる平等軍中山道大隊に降伏を促した。
「講和」でない理由は、自衛隊が平等軍に殆ど加入せず、
平等軍は徴兵によって編成された素人主体の軍になり、
士気も殆ど無い為、特に長野県内では連戦連敗の様相を呈していたからである。