1話 帝国の始まり
人々の叫び声が聞こえる。それは勝鬨であり、負けて死ぬ寸前の断末魔であり、逃げる際の鳴き声でもあった。
平原にて人間がナーガへと攻撃を加えておりバタバタとナーガは倒れていく。魔法が上空を飛び交っていき多くのナーガが魔法にて吹き飛んで肉片となり散らばっていく。
その様子を本陣で槍を握りしめながら、ナーガ族の王、イーマ・ナーガは呆然と眺めていた。
「なにがあったというのだ? なぜ我が軍が負けているのだ?」
どんなモンスターに対峙しても恐怖を感じる事はなかったイーマは震える声で側近に声をかける。側近は恐怖の表情で戦っている兵士たちを眺めていた。
3万のナーガ族の兵士。人間など精強なるナーガ兵ならば1人で3人と戦える。その兵士が3万人である。東部でも肥沃なる平原を支配しているイーマ・ナーガは中央にて覇を唱えるべく、絶対の自信をもって集めた大軍で竜神山脈を踏破して、古代神殿にて覇を唱える予定であった。
その途上にあるちっぽけな人間の国など相手にはならないと考えていた。東部でも北に位置する人間の国や獅子の力をもつ獣人族などは厄介だが、進軍位置にある国など相手にはならない。そう考えていた。
特段予想外のことなど無かった。途上にある砦はちっぽけだ。ナーガ族ならば簡単に乗り越える事ができる砦壁。少数のたいした力をもたない人間の兵士。あっさりと片付けて軍を進めていた。
油断はしていなかった。狭路には入らずに平原を主として進軍していたのだ。敵の不意打ちを防ぐべく斥候を多数出して、感知系の魔法をメイジたちに使わせていた。
完璧なる進軍であった。その対応に正面からの戦闘しかないと人間たちは考えたのだろう。平原に農民すらもかき集めてきたとわかる軍勢。貧相な武器。鉄製どころか、竹槍を持って対峙している兵士たちもその中には見えた。その数5000人程。騎士だけならば500人ぐらいであろうか。
対してこちらは3万の精強な兵士たち。己の下半身は竜鱗にも負けず、上半身も鉄製のハーフプレートを装備している。武器も鉄製の槍だ。そうそう曲がることもない鍛鉄された物。そしてナーガ族の強靭なる筋肉。尻尾すらも戦いに巧みに使えるのだ。
「ならばこそ、敵を哀れに思っても負けるとは考えてもいなかった………」
唇から震える声音が飛び出してくるが、その声音が届いても側近も怯えるのみで、弱気な主君だと注進してくる者もいなかった。
当然の話だとイーマは再び戦場を眺める。蹂躙されている軍を。
戦闘が開始された当初。人間の兵士は守りに入ったのか、柵を作ることもせずにナーガ族の突撃を受け耐えようとしていたように見えた。
突撃をしてきたのは、僅か5人の人間の子供だろうか。みな、痩身で貧弱そうな体格であり、鎧すらつけておらず、黒い変わった服を着ていた。
自殺でもしにきたのかと、この軍勢を見て絶望のあまりに突撃してきたのかと、そう考えていた。
先頭の男がその手の平に光り輝く剣を生み出すまでは。
魔法かと身構えたナーガ族に対して、まだまだ離れており、魔法の範囲にも入っていないと思われたのだが、その男は軽く右から左へと空を横薙ぎにした。
何をしたのかと困惑する先頭にいた兵士たちはそのまま光の軌跡が生まれ通り過ぎた後に、体が二つに分かて地面へと上半身は落ちて、下半身は倒れ伏した。その攻撃だけで数百人は斬られたとわかった。
大魔法を使われたと判断して、急いで突撃の合図をだす指揮官たち。それに合わせて敵を倒すべく蛇の下半身を持つナーガ族は這うように移動し始める。蛇の下半身といえど、人間が走るより速い。すぐに敵へと到達して倒すと思われた。
次の男が手を振るまでは。空へと掲げて、下へと振り下ろした姿をみて、またもや何かの魔法かと警戒したが、それでも突撃するしかない。怯まずに突撃する我が軍はそのまま上空から巻き起こった突風に押しつぶされた。
風であるのに、質量があるが如く、ナーガ族は鉄製の武器も同様に平べったい何かに変わって地面の染みへと変わる。
後方にて待機していたメイジナーガが杖を振り詠唱を開始して、100人は巻き込み倒せるだろう巨大な炎を生み出す。そうして多大な魔法力を使用した炎をたった5人に対して撃ち込まんとした。
この5人が自殺願望をもって突撃してきたわけではない。我が軍を倒すつもりで来たとわかったからだ。
「ファイアボール!」
幾重にもメイジナーガの声が響く。何重にも詠唱が重ねられた必殺の魔法、『ファイアボール』。必殺の魔法。強靭なるナーガでも耐えるのは難しい中級魔法だ。
その魔法が5人へ向かい飛翔していく。対して、5人は障壁も作らずにただ立っていた。3人目の男が指を突き出し、小さな炎が生まれてくるが、もう遅いと考えられた。その炎ではナーガ族の多重詠唱ファイアボールを防ぐことはできないと。
しかし、その小さな炎、松明の炎と同じぐらいの大きさの炎は男から撃ちだされてナーガ族のファイアボールへと相対する。そうして小さな炎はナーガ族のファイアボールに触れたと思ったら、瞬時にその小さな炎へと吸収されていく。
馬鹿なとメイジナーガが杖を取り落として、その光景を見つめる。その炎は小さな炎。ファイアボールを吸収しても大きくなることは無く、メイジナーガまで到達した。
一人のナーガにその炎が触れた。レジストをするために障壁を張り身構えていたメイジナーガ。
その試みは全く意味がなかった。触れた場所を中心に炎は膨れ上がり、メイジナーガの部隊を全て巻き込む炎の渦となり、焼き尽くしていった。断末魔を叫ぶ暇もなく黒焦げになり灰となったメイジナーガ。
4人目の男が手を振るうときには一旦退却して態勢を立て直すかとイーマは考えたが、遅かった。最初に出会ったときに撤退をするべきだったのだ。
ゴゴゴゴゴと轟音が響き、ナーガ軍の周りに土壁が地面からせり出してきた、それはガラスのように切れ味鋭い土であり岩であった。乗り越えようとすればナーガの尻尾ですら切り刻まれる。
最後の5人目が手を振るうと霧が発生してきた。霧が平原を包みこみナーガたちは手にしていた槍を取り落とす。
ガシャンガシャンと槍が手から落ちていく。力が抜けて槍を持つこともできなくなったのだった。発生した霧が弱体魔法であったことがわかった。
そうして雄たけびが響き、人間の兵士たちが攻めてきたのであった。皮膚すらも弱くなり、あっさりと竹やりにすら貫かれる。こちらが力を振り絞って攻撃すると驚く光景となった。傷つけられた兵士はみるみるうちに傷が治っていったのだ。どうやらこの霧は敵への弱体化と人間の兵士たちを回復する力ももっているらしい。
有り得ない魔法の数々。そうして5人の男たちも突撃してきた。剣速は風のように速く見る事も難しい。そして巧みに指揮官を狙い倒していく。恐るべし戦士たちだった。名だたる将軍も、強力な魔法を操るメイジもその前にあっさりと倒されいく。
兵士たちを倒そうとしても、一撃で倒せなければすぐに回復してしまう。絶望しかない戦いであった。
3万の兵士は簡単にあっさりと瓦解していった。土壁の為に逃げる事も許されない。
人間種などナーガ族に比べれば下等種族である。そう考えていた。自分の領土に住んでいる人間も簡単な下働きしかさせていなかった。
その人間に自分たちは敗退する。撤退も許されない。ならばこの先精鋭であるナーガ軍がいなくなった我が領土はどうなるというのか?簡単に想像ができた。
絶望の思いと共に考え込んでいたイーマは叫び声に気づき、ハッと顔を上げた。
見ると、側近が次々と見事なる剣技にて人間に斬られて倒れ伏していく。1合すらも槍を合わせる事はできずに側近は倒れていく。その体捌きはまるで見えない動き。本当に人間なのかと疑問が浮かぶ。側近は精強なる兵士の中でも特別に強い兵士であったのに、まるでかかしのように倒れていく。
ここで我らナーガ族の運命は決したとイーマは確信した。
「だが、ここで一太刀すら与えずに倒れるわけにはいかん! 人間よ、名前はなんという!」
黒い変わった服を着こんだ黒髪の男は生み出した光の剣をもったまま、こちらへと視線を向ける。人間族も自分の支配地にいるので見たことがあるが、その男は異常であった。
戦場であるのに、高揚も見えず、また命のやり取りになれたような表情も浮かべていなかった。まるで人間の顔ではなく仮面のような無表情で冷たい顔をしていた。
その男がこちらを見て口を開く。
「まおーよ、このひかりのゆーちゃがおたちゅ!」
その幼い子供のような言葉足らずのその返事に呆然とするが、東部の言語を覚えていないのだろうと判断する。
「我は東部一の槍使い、イーマ・ナーガよ! 勝負せよ!」
叫び、すぐさま槍を突き出す。レッサードラゴンの鱗を容易く貫く槍の一撃。領土内では敵なしであった我が槍捌き。しかして、その一撃はあっさりと振るわれた光の剣により斬り裂かれる。技術もなく単に基礎能力のみで振るわれただろう攻撃。圧倒的な力。
鉄製であるはずの槍があっさいと切り払われたことを見ても、もはや我は動揺しなかった。こうなるだろうと考えていたのだ。
背負っているもう一本の槍を掴み構える。蒼い光を纏わせる魔法の槍だ。以前にオークの国を滅ぼしたときに手に入れた逸品。今度は斬り裂かれることは無い。
そうして、体内の魔力を活性化させ、身体と武器に纏わせる。
「けぇぇぇ! 槍技『スネークスラスト』」
『力ある言葉』を呟き強力な一撃を繰り出す。必殺の槍技は閃光のような速さで敵へと決死の一撃を入れる。相手の男は同じように光の剣を振るい、またもや槍を捌かんとするが、その行動ににやりと笑う。この槍技は尋常ではない力をもつのだ。その力任せの受け流しでは防げない。
槍がぐにゃりと蛇のように曲がり、光の剣を避ける。そしてそのまま敵の胴体へと突き立てられた。
「とった!」
倒したと確信した我は勝利の笑みをする。手ごたえありだ。しかし、男は平然とした表情で言葉を発した。
「なるほじょ、てきのこーげきにはこんなものみょあるにょね」
ぎょっとして槍を突き立てた相手の体を見ると、魔法の槍は身体の服すらも傷づけていなかった。そうして驚愕する我へと光の剣が振るわれる。斬られたことも感じずに上半身が下半身と断ち別れた
自らが傷一つすら与える事ができない相手。信じられない。まだ残る命の灯を使い最後の言葉を発する。
「貴様………何者だ………。人間ではあるまい………」
薄れゆく視界、消えていく命の灯を感じながら我の意識は遠くなっていく。
消えていく意識の間際に声が聞こえた。
「あたちはひかりのゆーちゃでちゅ。つよいでちょ」
まるで幼い女の子供の声音のようなその言葉を聞きながら我は死んだ。
その戦いを始まりに神聖カサマー帝国が始まったのだった。
勇者を召喚する偉大なる国の始まりであった。