ねがい事ひとつ 20代・大学生~・女
「…で、どうすんのよ」
「なにが?」
「なにがじゃないわよ。あんた、この先どうすんのって話よ」
午後の2時。
昼時は過密状態だった学食も、今はすっかり人がまばらになっていた。
遅い昼食を食べに来る人間もいれば、次の講義まで暇で雑談するグループもある。
どこかの有名私立大ではずいぶんオシャレな所もあるらしいが、この学食とは無縁の話だ。
長机に椅子が6脚。それが延々と並んでいる。
古びているわけではないが、いかにも設備の1部だと言わんばかりの見た目をしている。食券に名前だけ書かれた貧弱なメニューが、一層それを際立たせていた。
具無しカレーは最早、この学食の名物だった。
「この先、ねぇ…」
「院行くなら、今のうちに色々準備しなきゃならないし。
就職するならまだ先だろうけど、にしてもどういう分野行きたいとかさ」
「院行く金は、無いなぁ。奨学金…も無いな」
「じゃあ就職か」
「だねぇ。就職だねぇ…あぁ、全然想像つかないわ」
「適当だなぁ…てかあんたさぁ、そもそも大丈夫なの?卒論」
「まぁ、たぶんね」
「私の専門じゃないからわかんないけどさ。何だっけ?テーマ」
「まぁ、解析というか。実際に解析するのは、データ入れればプログラムがこなすわけだから、解析のための手段というか、アルゴリズムとか考えて実装するのが、私のやる所かな。で、結果の検証。まぁ、卒論だし検証はそう細かくいらないだろうけど」
「抽象的だなぁ」
「これ以上は具体的な内容になるし」
「どうせ聞いても私はわからん。そっちとは専門違うし」
「だろうね。私も化け学はさっぱりだわ」
気がつけば、目の前にいるこの友人とは入学来の付き合いだ。だからもう、4年程の仲になる。
ただ、専攻は最初から違っていた。興味の方向と言ってもいい。
互いに違っていることを最初から認識しているから、ここまで続いてきたのかもしれないと、最近は思ったりしている。
「…あー、ちょっと喉乾いた。お茶いる?」
「ん、あぁいいよ。私も一緒に行くわ」
セルフの給茶機に、お茶を汲みに行く。
コップを取りながらも、話は続く。
「で、どうすんの。就職」
「正直、まだ何も考えてない。卒論面白いし、その割に分量多いから中々進まないし。余計他のこと考えないよね」
「院行くならそれでもいいけどさ…就職するなら、そればっかじゃまずいでしょう」
「だろうねぇ…あぁ、大学はいつから就職予備校になったんだろうね」
「知らないよ」
「…周りからはさ、入る学部の話したらスグ、就職先の話されたんだよね。高校の頃」
「まぁ、そうだろね」
「それが意味わかんなくてさ。別に大学行きたかったし、行って勉強して研究してみたかったから行くのであって、それ以外の理由無いわって感じだったんだよね」
「そりゃあんた…普通はそうならないでしょ」
「大学なんだから、別に勉強して研究できれば目標達成じゃない。気が済んだら中退したって構わないぐらいでいい気がするんだけど」
「世間知らずな意見だね」
「…知りたくないよ、そんな世間なんて」
元いた席に戻り、2人でしばしお茶を飲む。
窓の外を見ると、強い風が吹き始めていた。
昼前から曇っていた空は、雲が厚くなっていく。
天気予報では雨は降らないと言ってたけれど、風景だけならまるで台風の来る前日のように見えた。
お茶を飲み終えると、今度は私から切り出した。
「別にさ…贅沢を言ってるつもりは無いのよ。普通に生活できる収入があればいいし。それでキツくなく働けて、問題なく生活できて。貧乏には慣れてるし。大学で勉強も出来たし、研究も今してるし。だからもう、卒論書いたら大学に未練も無いかな」
「ふぅん」
「だから仕事は本当に、今言ったくらいの要望しか無いのよ。だから専攻と違ってても別にいい」
「はあ」
「まぁ、あんまり違う分野行くのも、少しもったいないとも思うけどね。それでキツイ仕事に就くのもイヤだし」
「割り切りすぎじゃない?」
「優先度高くないんだよね、そんなに。生活だって、今みたいな生活で満足だし。まぁ自由な時間は減るんだろうけど。…ただね、1つだけ譲れない事は、ある」
「何よ」
「小説書くこと」
「え、そこ?」
「これだけは譲れない。別に仕事にしたいとかじゃなくて、今までどおり趣味で。…たださ。どんな仕事して生活しててもいいんだけど、小説の事考えて、家で書いて。それができなくなるような生活だけはしたくないわけ。仮に人が羨む仕事しようが生活しようが、それが出来ないような生活なら、私はいらない」
「言い切るね」
「…どこかでさ、小説考えて書ける生活なら、続けられると思うのよ。今までもそうだったし、これからも。でも、それができない生活なら、したくない」
「そんな重要かね」
「重要だよ」
「じゃあさ、仕事で成功したり昇進したりして忙しくなって小説書けないとか、金持ちの旦那と結婚して旦那からやめろって言われたらどうする?」
「仕事なら転職するかもね。旦那なら別れるかも」
「そんなに?」
「たぶんね、続かないんだよ。それだと。…最初しばらくはさ、まぁ大丈夫かと思うかもしれないけど。結局、無いとダメだって、なると思うんだ。別に四六時中書いてないとって訳じゃなくて。ただ…不定期でも、ふっと思い立った時、書けるようじゃないと。読んだり書いたりできないと」
「ふぅん」
「私にとって大事な事ってさ、そういう所なんだよね。実利というかさ。世間体とかどうでも良くて」
「なるほど。うーん、分かんないね、別に賞取りたいとかでも無いんでしょ」
「もらえるならほしい」
「現金な奴だな」
「でも、もらえるならほしいというだけでさ。もらえないならとか、取れそうにないなら書かないとか、そういう訳じゃなくて。印税生活とかできるならそれに越したことはない訳。…でも、仮にそうなっても、誰にも見せない小説は書いたりするだろうね」
「賞取った後に?」
「というか、仮にもう印税生活で書く必要もなくなっても、出版社どころかネットにも公表しないんだけど、何というか自分用に小説は書くんじゃないかと思う。頻度はわからないけど」
「書くこと自体が目的な訳か」
「そうね」
「でもねぇ…いつまでその考えで行けるかね。大学出て、就職して仕事して。それでも、その考えは変わらないのかね」
「…どうなんだろうね。本当、どうなんだろうね…」
そう答えてから、私はまた窓の方を見た。
さっきよりも強さを増した風は、落ち葉を巻き上げて唸っていた。もう、秋になっていた。
それからの会話は、あまり覚えていない。
たぶん、その後は互いに取っていた講義に行ったのだろうけれど、会話の内容ばかり鮮明に覚えていて、それからの事はなんだかはっきりしていない。
その後、友人は宣言通り院に進んだ。そして、専攻していた分野で名の通る会社に就職した。
仕事内容は、よく分からない。しかし未だに、職場の不満をよく言っている。
私は、なんとか卒論を仕上げて就職した。
結局は専攻していた分野の、延長的な仕事に就いた。
そして何年か働いた後、人間関係と忙しさに潰れそうになった。
学生時代はまさか、自分がそんな風になるとは思いもしなかった。けれど、実際は見事に陥っていた。
そして色々あった後、小説を書けないような生活ならする必要はないという基準を思い出して、会社を辞めた。
今は、給与は低いものの、細く長くやっていけるような仕事をしている。
学生時代の専攻とはほとんど関係無いような分野だし、そもそも大卒の仕事じゃないと言う人もいるかもしれない。
しかし、それから私の生活は充実する事となった。
結局、あの頃から、あの時言った私の言葉から、指標は変わっていなかった。
私は、変わっていなかった。
あの会話をずっと覚えていたわけではない。けれど、何年も経ってから思い出してみて、分かった。
色々変わりながらも、私の根幹は変わらなかった。そして、その根幹はあの頃既に出来ていた。
唯一気にしていた、変わらないでいられるかという懸念。
あれは結局、変わらなかった。むしろ変われない部分だったのだと気づいた。
当時の私が言った通り、普通に生活できる収入があり、キツくなく働けて、問題なく生活できる。そして、思い立ったら自由に小説が書ける生活。
それだけで十分に、今の私は満足している。この先もそうだと、今は分かる。
当時1つだけ譲れなかった事は今、色々な遠回りも経て、ようやく叶っている。
手放すつもりは、もう無い。