表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/3

散歩執筆   20代・会社員・女

―遠くに、水平線が見える。

雲の無い空には、青い色がどこまでも広がっている。

上の方からグラデーションがかっていて、まるで1枚の絵のようだ。

本当にこれが本物の景色なのか錯覚させる程、美しく広がっている。


その下にたまに見えるビルや道路は、どれも大きく、それでいて整列しているかのように建っているから、まるでSF映画や近未来の世界に居るような気になれて、心地良い。


ゆりかもめの車窓から見えるこの景色は、朝の人が少ない時間に見るといよいよ、特別な物のように感じられて好きだ。


私は、小説書きと散歩をするために、ゆりかもめ沿線の混んでない駅によく来ている。

休日、それも次の日が出勤日では無い日に来る事が多い。

これは土日が定休の人で言う、土曜日と思ってもらえばいい。

私の仕事は平日が休みになることもあるから、その限りではないのだ。



ゆりかもめを降りて、ホームに立つ。他に降りる人はいない。アナウンスだけが、構内に響く。

人がほとんどおらず、周囲も静かだから音がよく響く。


この朝の静けさが好きで、私はあえて乗車中~駅を出るまでイヤホンをつけなかった。今日に限らず、気が向いた日にはこうする事がある。

晴れている日なんて、特にそうする事が多い。

走行音と社内アナウンスだけが流れている空間で、光の差し込む車内と車窓から望める景色を眺めるのは、それだけで少し贅沢に感じられる。



駅を出ると、人工的だなと分かる整備された道路と街並みが広がる。

ここで、イヤホンをつける。

別段うるさいわけではないし、景色も綺麗なのだけれど、先程までの余韻に浸り続けていればやがて、特別に思えたあの時間が、あの空間が、薄れていってしまうような気がして、それが勿体無く感じる。


心地よい静寂がいつまで続くかわからない、そんな精神的な陰りを抱えて歩くくらいならと、私は音楽プレイヤーのスイッチを入れる。


最近では、スマホのプレイヤーで音楽を聞く人も多いという。

しかし私は、常にスマホとプレイヤーを両方持ち歩く。


理由は、バッテリーと操作性。他にも細々あるが、この2つは大きい。

私はスマホで読むのも当然ながら、書く量が多い。

だから、書いている途中にスマホで他の操作をするという事をしたくない。


右手でスマホを操作しながら、左手でプレイヤーの物理キーを操作できるというこの組み合わせが、環境が、私にとっては1番快適な方法だ。

2台持ちなど不便という人もいるかもしれないが、これが出来ないほうが私には余程不便だ。


駅を出てからはスグ、ゆりかもめの路線に沿って歩いていく。

東京とは思えないほど、空がどこまでも広がっている。

遮る物がほとんど無いからだろう。

周囲には高い建物が少ないし、空き地も多い。どこまでも続いていそうな、無機質な街並み。


鞄には必ず、飲み物とパン等の軽食を入れている。

駅に行けばコンビニが入っていることが多いが、それでもこの辺に店や自販機は少ない。

疲れるほど歩くつもりはなくても、執筆に集中してしまい気がついたら、かなり歩いたどころか駅から遠いところまで来てしまうなんていう事もある。


また、歩きスマホにならないよう、歩きながら考えて、立ち止まって書き込む。

こんな風に歩くから、人が少なく見晴らしも良いゆりかもめ沿線は都合が良い。

しかし何より、この景色の中を歩けるというのが大きい。

まるで巨大な人工ジオラマの中を歩いているようで、けれど開放的で広い空を見ていられる。

いつ来ても、不思議な場所だと思う。


こんな中を歩きながら、小説を進めていく。

段々と、景色を眺めたり歩いたりしているよりも、小説を考える比率が増えていく。

その世界に、集中していく。



…気がついたら、大分歩いてきていた。

もう市場前駅の目の前にいる。

ずっと書くことに集中していた。

大分進んだので、スマホをポケットに入れて、風景を見ながら新豊洲駅まで歩くことにした。



私は、新豊洲周辺の景色が特に好きだ。


以前、秋口の夕方に新豊洲駅で降りて息を飲んだ事があった。

広がる空のあまりの美しさに、圧倒されたのを覚えている。

真上には、絵の具で染めたかのような濃い青。それが地平線に向かって、ゆっくりと空色に変化している。どこまでも広がっているかのような、均一で境目の分からないグラデーション。


まるで水の中を見ているかのようで、空と地表の間にある、黄色味を帯びた日の色の層が無ければ、いよいよ水中と錯覚しそうだった。

その層を見た時、あぁ、そこが境目なのだと、感覚的に分かる。


真上の青色から、グラデーションで降りて来る空色。そして急激に、日の色の層に溶けて、日の色は地表に向かい暗くなる。そんな空を見ていた。


その時はひたすらに、スマホで写真を撮り、帰ってからは晴れた新豊洲の写真や動画を探してまわった。

知名度はあまり無い様だったが、それでも見つかった物は、どれもやはり美しかった。



この時間、日は高くてあの日のような景色ではないけれど、広々とした道と澄んだ空を見ながら歩くのは気持ちがいい。

そしてスマホの中には、大分出来上がった小説。

とても、充実した気分になる。


…私は人に、1人で散歩して小説を書くのが趣味だと言ったらどう思われるのかは分からない。

けれど、私にとってはとても充実して、時に贅沢だとさえ思える時間なのだ。


多分、半分は散歩が目的だと思う。

小説がうまく行かなかったり、気が乗らなくても気重にならないから。

別段、書き方なんて勉強した事はない。入門書も読んだことはない。そういう本を買ったこともあったけれど、結局読まなかった。


書きたいことは、ある。

起承転結から考えることは、しない。


小説を考える時、散歩をしながらというのはすごく良い。

気持ちがいいし、開放的になる。

1人作業的になり、閉塞的になってしまうのを防ぐ。


小説というのは開放的で、自由で、澄んだ空気の中にあるようなものだと私は思っている。

どのような作品であろうと、その清々しく素晴らしい場の上から、様々な世界を紡ぐその感覚が、少なからず他の作者にもあるんじゃないだろうか。そう思ったりもする。


けれども、そんな考えすらも蛇足なのかもしれない。


ようは、書いていて楽しくて、時に夢中になれて、その時間がただ良くて。

そこに集中できていれば、他の事やら客観的などうこうなんて、いらないのかもしれない。



…そんな事を考えていたら、あっという間に新豊洲の駅に着いていた。

のどが渇いていたので、1度エスカレーターで登って改札前の自販機でお茶を買った。

飲みながら、窓から見える景色を眺める。


地平線が、目の高さより少し下になる。

快晴の広い空をバックに、高いビルが佇んでいる。

普段、地下鉄を出て見える街中のビルは隙間なく立ち並んでいるように見えるけれど、ここからは大きなビルしか見えないから、数える程のビルが点々と建っているだけに見える。


こうして見ていると、あの佇んでいるビルの中には、本当は誰もいなくて、あるいは数人の人しかいなくて、喧騒なんてもっと違うところの話なんじゃないかと思えてくる。

休日の東京は実は人がほとんどいなくて、建物だけがそこに残った静かな街なんじゃないかと。



そんな空想は、駅のアナウンスでどこかえ飛んでいった。

そうだ、このゆりかもめも乗り継いでいけば、喧騒に繋がっている。

目に見えないだけで、あのビルの下では今頃、人がせわしなく行き来しているのだろう。

ここが、そしてここから見える景色が、静寂なのだ。


そうしてなんだか1人で納得してしまった。

こんな風に1人で考えて、1人で結論を出したりするのもまた、こんな時じゃないと中々できないものだと思う。

仕事が忙しいと、こういう時間もたまに恋しくなる。


大分歩いたせいか、昼前なのに空腹だった。

このまま豊洲駅まで歩いても良いけれど、豊洲公園に行って早めの昼食にするのも良いと思った。


予定はない。いくらでも、自由にできる。

午後も多分、気の向くままに過ごすと思う。

スマホの中の小説も、同じようにまだ、ラストをどうするかは決めていない。


2つの自由を満喫しながら、私はまた歩き出した。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ