十月十日
「初めまして、私は高橋美琴。あなたのママです……いや、だったかな? 過去形?」
「おいおい、それで大丈夫なのか? これから毎日続けるんだろ。しっかりやらないとさあ」
「ごめんごめん。ちょっと……いろいろと、ねぇ……」
ビデオカメラを構えていた私の旦那は苦笑交じりにカメラを置き、ベッドに腰掛ける。
清潔感満載の白い部屋にベッド、机にはフルーツの盛り合わせが定番というどこにでもある病院の一室。
窓の外では木枯らしが吹きすさび、遠くに見える紅葉が日本の秋を彩っている。
――――――こんな日は昔を思い出す。
◆ ◆ ◆
私には母がいなかった。私を産んですぐに亡くなったそうだ。
その所為で小さい時は声も知らない顔も知らない母をよく恨んだ。
クラスメイトに馬鹿にされ、いじめられたこともあった。
私が泣きながら帰って来ても家には誰もいなかった。
当時、父は仕事で夜遅くにしか帰らず冷蔵庫のお弁当を食べる毎日。朝は私の方が早くて父は着替えもせずに布団で横になっていた。
そんな私でも普通に高校を卒業して、就職し数年後には生涯のパートナーを見つけた。
父は男手一つで育てた意地を張り「娘はやらん!」と凄んでいたが、後日旦那と飲みに行き、
ベロンベロンに酔っぱらって情けなく泣きながらも認めてくれた。
そして結婚式の日取りも順当に決まり、父に報告しに行った日。
「お前に見せたいものがある」
そういって父は年季の入ったビデオデッキを取り出してきた。慣れない手つきで配線を行いながらも父の顔は真剣そのものだった。
「ねぇ、見せたいものってなんなの?」
「…………………」
「ねぇってば」
「………………ちょっと待ってろ」
いくら聞いても父は答えてくれず、仕方なく手持ち無沙汰に座布団の角をつまんでいた。
しばらくして、
「よし、いいぞ……かなり前のものだからな。調子が悪いと思ったが、大丈夫そうだ」
テレビにつながれたビデオデッキに父は『十月十日』と擦れてもう読めそうになくなっているタイトルの ビデオを入れた。少しの待ち時間とともにそれは再生される。
『——―—————これさぁ、ちゃんと撮ってる? 私達の娘に宛てた大事なものなんだからしっかりとってよね』
ビデオが再生された瞬間、私は息を呑む。
『うるせえな、機械モンは苦手なんだよ……。赤ランプがついてるからきっと大丈夫だろ』
画面に映っているのは恐らく病院の一室。純白のベッドには若く愛らしい女性が笑っている。
他に聞こえる男性の声は父だ。つまり……この人は。
『改めて。初めまして……になるのかな私の可愛い娘ちゃん。あなたのお母さんですよー。 まだ顔も拝めてないけどね。でも、たぶんあなたが生まれてくる頃にはきっと私はいないだろうから、 こうしてビデオに残すことにしましたー』
私の母と名乗る人物は画面の中で元気いっぱいに自己紹介や生い立ちなどを話してくれていた。
生まれつき身体が弱いこと、それで苦労したこと、それでも父に出会って結婚でき、私を授かったこと。
『―—―—―—最初はすごく迷ったの。あなたを産んだら死ぬかもしれないってお医者さんに言われて。 なんでかな私もそんな気がすごい感じちゃったんだけど、それでもあなたを産みたいと思いました』
画面の中の母は木漏れ日に照らされ、微笑が寂しそうに見えた。しかし笑顔でとつとつと語った。
『知ってる? 赤ちゃんが生まれてくるにはね十月十日かかるって言われてるのよ。これマメね。でもあなたが成長していくのを見れないのはとっても残念。あなたにもきっと寂しい思いをさせるでしょうね。だからね、パパと相談してあなたが産まれてくるまで毎日ビデオで撮っていこうと思いました』
私の膝にはいつしかぽつぽつと涙が零れ落ちていた。
それが何の涙なのか私にはわからなかったけれど……ただ一つだけ、私はきっと、この人に愛されていたことだけはわかった。
「お前が産まれた後に一週間と経たず逝っちまった。お前は少し憎いかもしれんが、結婚して家を出ていくまでこれを見せない約束だった。お前が母になる日が来るまで」
「……うん」
「まぁ、最後らへんは体調が良くなくてビデオどころじゃなかったしたまにさぼったりもしたが撮りまくったよ。いくらかかったことか……」
「…………うん……うん」
『というわけで強く生きろよ!私の娘なんだからね』
その日は遅くまで画面の中の母を見続けていた。
◆ ◆ ◆
結婚してしばらくしてから私も子供を授かった。
何の因果か私も子供を産んだら命を落とすかもしれないないと言われた。
父はお前たちで決めろと突き放したが内心悲しんでいることはよくわかった。
旦那にも母のビデオを見せ、二人で相談して今日に至る。
十月十日の娘へのメッセージを綴っていく。
けれど私も母に似て、少しばかりさぼってしまうかもしれないけれど。
あなたは望まれて産まれてきて、こんなにも愛されていることを伝えたい。
十月十日では語りつくせない愛の証明を。無機質な音を立てるカメラに残していこう。
きっと届くと、お腹の胎動に応えながら。
了