其の一
村が燃えていた。
雪の上にひれ伏した彼女を、
馬に跨った男たちは冷酷な眼で見下ろした。
その腕には、布に包まれた赤ん坊がいた。
「これは貴様らの身勝手な振る舞いが招いた結果だ」
「勧告は一昨年から届いていたはずだ」
「おとなしく差し出せば良かったものを」
赤ん坊は魔力を有する女の子であった。
これからの人生『候補』として国に管理され、
行く行くは国を支える重要な役職へ就くことになる。
彼女は手の平で雪を握りしめオイオイと涙をこぼした。
唯一の家族と離ればなれになるのが辛かったのだ。
外に追い出され、肩を寄せ合う村人たちも同様、
すすり泣く声が木の燃える音に混ざって木霊した。
国王は自室に戻り、扉に鍵を掛けると深くため息を吐いた。
無理もない。彼は連日の会議に辟易しているのだ。
「随分とお疲れのご様子で」
「おっと、君か……」
声の主を見た国王は一瞬怯んだが、先程と同様に溜め息を吐いてみせた。カーテンの陰に佇んでいたのは女だった。若くもなければ小皺も見当たらず、化粧で誤魔化している風でもない。ミステリアスという言葉がよく似合う女であった。素性の一切を明かさないが彼女の役割が何であるかを国王は知っている。それだけで十分なので彼女もそれ以上を明かそうとしない。
「二人きりでいるところを見られたらマズいと、前に言っただろう」
「あら、だから鍵をお掛けになったのでは?」
「……もういい。何の用だ?」
「先日公示なされた、お触れの件で参りました」
外部の人間が異変に気付いたのは二週間前のことであった。
国の季節を一括管理する季節の塔から冬の女王の帰還に関する報せが無いという。例年通りであれば季節の節目となる日迄には伝書鳩が飛んで来る筈なのだか、今年は期日を過ぎても姿はおろか羽音すら聞こえず、冬の寒さは益々強まるばかりである。
塔の様子を直接うかがうにも神聖な場所ゆえ関係者以外の立ち入りは禁止である。外から塔を眺めることしかできず、状況を把握出来ぬまま時は流れた。やがて冬が終わらないことに疑問と苛立ちを抱き始めた民衆が王城に押し寄せ、国王に対するデモが発生するまでに至った。
「苦肉の策だ。この際、国の面子も何も言っていられまい」
国王は深く溜め息を吐いた。
「その癖、無礼を承知で言わせてもらいますが、お止めになったほうが宜しいかと」
椅子に浅く座り、威厳もへったくれも無い王に、女は物怖じせず言い放った。
「国民を危険に晒すような真似をして、万が一にでも死者が出るようなことがあれば、国内はおろか近隣諸国からも非難を浴びるのは明白。責任問題に発展することでしょう。それが想像できぬ陛下ではありますまい」
「コサン大臣は先代から国政に携わる一番の古株だ。その人の提案となると、退けるわけにもいかない」
「ここにきて未だそのようなことを……」
「……手短に頼む。説教をしに来たわけじゃないだろう」
「頼る相手を間違えるな、ということです」
女は語気を強めて、まっすぐな瞳でそう言った。
国王は溜め息を吐きかけて、その息を飲み込んだ。
「言っておくが父の件を忘れた訳わけでは無いぞ」
女は恭しく頭を下げた。
「ご命令を、陛下」
「……今回は、君たちに花を持たせてやるか」
「我々は影で動く身。目立つ花は不要です」
そうだった。と国王は呟いて、揚々と立ち上り扉を開け放った。
扉の近くに立っていた近衛兵は女を見て身構えたが、
国王の一声で事無きを得た。
彼は人が変わったようにキビキビと歩き出した。
「大臣たちを説得するのは苦労するだろう」
「私もお供しましょう」
会議はまだ進行中である。
その証拠に複数の怒号がすでに城内を何往復かしていた。
「よぉ、俺たち何て言われてるか知ってる?」
「……なんだよ急に」
話し掛けられた方は気怠そうに応えた。
「まぁ聞けって、ケイス」
ケイスと呼ばれた男は眉をひそめてみせたが、ホセは構わず話し始めた。
「社会不適合者、ならず者、忠犬の糞、反政府組織、暗殺教団……」
「もういい、止めろって」
「女に首輪括られて尻尾フリフリ。情けないったらありゃしない、ってな」
ホセの開けた口から大量の白煙が噴き出て彼の顔を覆った。
「なら辞めるか?記憶と自由を犠牲にすれば、何時でも天国へ逝ける」
二人は森の中に身を潜めて上からの指示を待っていた。幸運にも雪は止んでいるが、寒風は容赦無く彼らの間をすり抜け粉雪を巻き上げた。その度に二人は体を縮こませ、いつ終わるとも知れない冬の暴力に耐えるのだった。誰かに見られてはならないので火を焚くことは出来ない。それが尚更ホセの神経を逆なでするのだ。
「だが実際問題、この職場は辛いぜ?かれこれ一時間はこうしてる。女王より早く俺たちが死んじまうぞ」
「そうボヤくなって。また評価下がるぞ」
雪を被った茂みの奥から少年が現れた。彼はアルディラ。彼の右手には、身長と同程度の杖が握られていた。ケイスやホセのように触媒を腕に埋め込むには肉体的に困難かつ時期尚早だとして、彼は触媒の携行を余儀無くされているのだ。
「どうだ、状況は?」
アルディラは自分の吐いた息の行方を見送ったあと、横並びに座る二人の、ケイスの横に座った。
「塔の前に人集りが出来てるよ。リロア侯爵まで見えた。大方、褒美目当てで出張ったは良いけど打つ手なしで考えあぐねてるってところだね」
「そっちじゃねぇ。塔の内部の様子はどうだって聞いてんだ」
「……やっぱり占拠されてるみたい。それもかなり厄介な相手」
「どういうことだ?」
「身内だよ」
「じれったいな。ハッキリ言えよ」
「……女王の近衛兵さ」
それを聞いて二人は唸った。
「反乱でもやろうってのか?」
「近衛は精鋭揃いだし、定期的な精神浄化も施されてる。そんな事するような馬鹿はいない、と思いたいがな」
「ボスの指示は?」
「まぁだだよ」
ホセの溜め息には若干の怒りが混ざっていた。
会議室の中央の円卓では大臣たちが議論を白熱させていた。
大臣はいずれも深い皺の入った顔をよりしわくちゃにして自分の意見を押し通すことに必死なようだ。
「国境付近の軍を幾らか呼び戻して、塔へ向かわせましょう」
「軍を後退させるなぞ絶対にならん!東側の思うツボだ!」
「待って下さい。今のは、今回の事態に東国が関与しているという確証があっての発言ですか?そういった発言は十分な証拠があると証明した上で……」
「国民に御触れを出したのだから、じきに問題は解決されますよ」
「それこそ無責任だ。褒美で民衆を釣ろうだなどという考えは改めるべきだ」
「だいたい褒美といっても、何をくれてやるつもりだ?誰が出すのだ?コサン大臣か?そんな財源どこにある?」
「そういえば大臣は?」
「先ほど陛下と同じ頃に退室なされましたが……」
「ちょっと待て。褒美を『くれてやる』とは貴様、何様のつもりだ!」
「ホラホラ、怒鳴らないで。落ち着いて話し合いましょうよ。ね?」
「どうせ酔って出た放言さ。あの人、あの日しこたま呑んでたから」
「民なくして国なしと!私は昔からあれほど……」
「ああ、だから今日はいつにも増して……」
「やかましい!誰かそいつを摘み出せ!」
顔を真っ赤にした大臣の一人は近衛兵たちによって両脇を抱えられ退場した。
「私を何処へ連れて行く!言論封殺だァ!」
それと入れ替わりに国王と女が現れた。
「怒鳴り合いでは、議論も進展しないでしょう」
「何だ貴様は?」
大臣が投げかけたそれは国王へではなく、
彼の斜め後ろで物静かに控える女への言葉であった。
「彼女は『モンスーン』の伝令だ」
その言葉に場が一瞬、凍りついた。
「今回の件、彼らに一任しようと考えている」
国王の提案に、予想に反せず、大臣たちは難色を示した。
「あのような輩を信用するなど!」
「奴らは姿も見せない暗殺部隊ですぞ!」
「先代陛下の件をお忘れですか、陛下?」
「手段は選べないと仰ったのは、貴方がたではないか」
国王の言葉に大臣一同の非難轟々は弱まったものの、行き場のない怒りや不満は室内に充満し、ある者は唇を噛み締め、又ある者は結んだ唇の隙間から呪詛を唱えているのが聞こえた。
重苦しい沈黙を破ったのは女だった。
「皆さん、ご不満がおありのようで、それは私も承知しております。しかしその事を論じている猶予は残念ながらありません。今は女王陛下の御身を第一に考え、一刻も早く事態を終息させるべきかと……」
「そんなこと分かっとる。余計な口を挟むんじゃない」
「そこで、どうでしょう。全ての責任は我々が負う、ということで」
大臣たちは嘲笑とともに頷いた。
「出来るものならやってみろ。失敗したら『モンスーン』は即時解体。全員、監獄島行きだからな」
「まぁ、君ぐらいなら私の秘書として雇ってやらんこともないがな」
女は表情を変えることなく会議室を後にした。