6 導いてやる
部屋はノイとアルトの部屋を借りることになった。
ツェツイがいる間、彼らはイェンの部屋で寝るという。
本当に申し訳ないと思ったが、双子たちは兄ちゃんと一緒に寝られるからいいんだと喜んでいた。
みんなとても優しくて親切で温かい。
魔道士になりたいと言っても、大概の者は鼻で嗤ったが、ノイもアルトもアリーセさんも決して笑ったりはしなかった。それどころか、応援すると言ってくれた。
それがとても嬉しかった。
ずっとみんなといられたら楽しいのに。けれど、それは叶わない願い。
そんなことはわかっている。
ツェツイは机の上の一輪挿しに挿したすみれの花を見つめた。
きちんと水にひたしているのに、やはりいくぶん元気がない。蕾みのものは、きっと花開くことなく枯れてしまうだろう。
「花を咲かせてあげることができなくて、ごめんなさい」
呟いてツェツイはしゅんとうなだれる。
枯れさせてしまったのは自分の責任だというように。
食事が終わってからもしばらくずっと、修行の続きをやっていたが、やはり、魔術らしきものを使うことはできなかった。
「焦ることはねえよ。まだ時間はある。だいいち、いきなり術が使えるようになったら俺の方が驚きだ。だから、そんな落ち込んだ顔すんな」
と言って、お師匠様はうなだれる自分の頭をなでてくれた。
意外だった。
甘やかさないと言ったのに、その程度で落ち込むならやめちまえ、と厳しいことを言われるかと思っていたのに、お師匠様は優しかった。
だから、ほんの少しだけお師匠様の優しさに泣きそうになって、落ちる涙をこらえるのに必死だった。
だけど、もし一ヶ月たっても魔術を身につけることができなかったら、どうなるのか。
そのことを考えると恐ろしかった。
当然、この家にはいられない。
優しくしてくれたお師匠様も、自分を見放してしまうだろう。
師匠と弟子の関係もなくなる。
そうなってしまったら自分はどうなるのか……。
しかし、ツェツイはいいえ、と頭を勢いよく振った。
今は悪いことも、余計なことも考えるのはやめよう。
ふう、と小さくツェツイは息をつく。
だけど、どうすれば魔法が使えるようになるのか。
何かきっかけがあればと思っていても、そのきっかけがつかめず、気ばかりが焦る状態であった。
亡くなった父も母も魔道士ではなかった。けれど、間違いなく自分には魔術を使える素質がある。
それを確信したのは──
その時、静かに扉を叩く音が聞こえた。振り返るとアリーセが扉から顔をのぞかせている。
「遅くまで熱心ね」
「す、すみません……もう寝ます」
ランプの明かりだってただではない。こうして夜更かしすれば、それだけ迷惑をかけてしまうのに。自分の家にいたときは節約を心がけていたが、そんな気遣いも忘れていたとは。
「いいのよ、そんなことは気にしないの。ここにいる間はツェツイの好きなようにしていいと言ったでしょ。みんなツェツイのことを応援してるのよ。だから、遠慮はなし」
「はい……」
部屋に入ってきたアリーセは机の上のすみれに視線を落とす。
ツェツイは肩をすぼめてうつむいた。
「大丈夫。自信を持つこと。必ずできるってね。それに、見込みのない者を連れてきて術を教えようとするほど、あれもバカではないよ」
「はい……あの、アリーセさん!」
ばっと顔を上げたツェツイに、アリーセは何? と首を傾げた。
「お師匠様のこと、なのですが……」
とまで言いかけてツェツイはううん、と首を振った。
「ごめんなさい。何でもないです」
アリーセはあのバカには内緒だよ、と口許に人さし指をあてた。
そのほっそりとした白い指先をすみれの花にかざす。
『清らかな水よ
小さき乙女に
癒しの力を』
ツェツイの胸がとくんと鳴った。
謳うように流れるアリーセの詠唱に応えて、首を垂れていたすみれの花がゆっくりと起きあがり、みずみずしさを取り戻す。まるで、たった今切り取ったばかりのように。
このまま花開くことなく枯れてしまうかと思っていた蕾もゆっくりと頭を持ち上げ、誇らしげに花弁を広げ始めた。
「アリーセさん!」
初めて目にした魔術に興奮して、胸のどきどきがとまらない。
優しさに満ちたアリーセの魔力がツェツイをも包み込む。
素敵。
とても素敵!
あたしも、誰かを癒やせるような魔道士になりたい。
アリーセは片目をつむってにっ、と笑った。
「きっと、ツェツイだけの詠唱が見つかるはずよ」
◇
ベッドで丸くなっていたツェツイは、抱きしめていたくまのぬいぐるみに顔をうずめた。もこもこの感触が気持ちいい。
ひとりで眠っても寂しくないようにと、ノイとアルトが貸してくれたのだ。
あれからすぐにベッドに入ったものの、どうしても眠れずにいた。
時計を見ると、すでに三時を回っている。
こんな時間まで起きているなど初めてのこと。いつもなら仕事で疲れて家に帰ってきて、それから学校の勉強をしながらテーブルで眠ってしまい、朝を迎えるということもしょっちゅうであった。
眠れないのは、慣れない他人の家での生活と、魔術を習得できなかったらという未来への不安、そして、それ以上にアリーセの魔術を目にして興奮していたから。
ツェツイは、おもむろにベッドから起き上がり裸足のまま、ぬいぐるみを抱え部屋をでた。
向かった先はイェンの部屋。
扉を静かに開け、小さく開いた隙間に身体を滑らせ部屋の中へと入る。
窓際に置かれたベッドにイェンと、イェンを挟むようにして両側にノイとアルトが眠っていた。
足音を忍ばせベッドへと近づいていく。一度だけ床板がぎしりと軋み、びくりと肩を跳ね足を止める。三人が目を覚ます気配がないことを確かめ、ツェツイは再び足を踏み出した。
ベッドの上に這い上がり、イェンの隣に眠っている双子の一人をころんと転がした。
「うーん……」
「ノイかな、アルトかな? ごめんね。ほんとにごめんね」
そう言って、イェンと双子の間にできた隙間に、くまのぬいぐるみと一緒に身体を潜り込ませる。
掛け布団を目の辺りまで持ち上げ、ちょんと、イェンの肩に頭を寄り添える。
お師匠様のおとなり、あったかい。
あのね、お師匠様の側にいると、とっても安心できるの。
すごく心地よくて。
さっきまでの不安も何もかもが不思議なことに消えていって、いつまでも側にいたいと思ってしまうの。
ずっと眠れずに自室のベッドで何度も寝返りを打っていたツェツイだが、イェンの隣に寄り添った途端、数分もしないうちに、深い眠りへと落ちていった。
安心したのか、すぐにツェツイの静かな寝息が聞こえてきたのを確認して──
腕をつかって半身を起こし、イェンは肩に落ちる長い髪をかきあげた。
ツェツイの向こうではノイがうん……と唸って寝返りを打ってこちらを向く。寝返った拍子にツェツイに抱きつきそうになるノイを手で押さえ、イェンはもう一度反対側へと弟の身体を転がした。
「おまえはあっち向いて寝てろ。ついでに、これでも抱えてろ」
と、ノイにくまのぬいぐるみを抱えさせる。
はい……と寝ぼけながら呟いて、ノイはきつくくまのぬいぐるみを抱きしめた。さらに、今度は背中でアルトが兄ちゃん……と寝言を言って、がっしりと背後から腰に抱きついてきた。
寝返りをうったときにずれたアルトの布団をかけ直す。
立てた膝に頬杖をつき、イェンはやれやれとため息をついた。
「おまえら……これじゃ、俺が寝られねえだろ。ったく」
狭いベッドに四人。それも、体温の高い子ども三人に引っつかれて、暑くて寝苦しいことこのうえない。
まいったな、と頭に手をあてたイェンはふと、手元に視線を落とした。
右手の薬指に、ツェツイが指を絡ませぎゅっと握りしめてきたからだ。
すやすやと眠るツェツイを見下ろすイェンの口許に微笑みが浮かぶ。そっと手を伸ばしてツェツイの頭を優しくなで、指の背で頬に触れる。
「必ず俺がおまえを〝灯〟へ導いてやる。おまえが望むのなら……さらなる高み〝灯〟の頂上をおまえに……」
見せてやる。